55話 クモレイア村の危機
クモレイア村の丘の上に聳える小さな寮のドアをミカイルは決意を決めて軽く叩いた。
するとエリンが返事をしながらそのドアは開ける。
「あら、ミカイル?」
「いきなりですまない。急用があってな。貴方がここにいるかもしれないと聞いた物だから」
「急用?」
ミカイルはどこかしら落ち着かない表情だったが、とりあえずエリンは「上がって」と、彼を寮のリビングに案内してソファに座らせる。
ちょうど寮にはにはマリカとアルシュも自室にいたため、ミカイルの存在に気づき、階段を降りて様子を伺う。
「で、一体何の用?そういえばあなたの付き添いはいない見たいだけど」
エリンは怪訝な表情でミカイルを見つめる。彼女は夜明けの団を侮辱したニンバを嫌っているため、警戒する。
「あいつは、村へ戻った」
「なんで?」
エリンは首を傾げる。ニンバはこれからミカイルと共に数日間の間クモレイア村で過ごして散策する、と言う予定を立てていたはずだった。
「あいつはこの夜明けの団をエリンだけではなく、この村全体を侮辱した。その事で話し合った結果彼はこの村から去る事になった」
「ふん、いい気味よ。散々エリンの事を馬鹿にしといて、偉そうな顔でこの村を歩き回られたんじゃ溜まったものじゃないわ」
「おい、マリカ、やめとけよ。これは団長同士の話だぞ」
エリンがミカイルの言葉を聞き返そうとする前に、マリカが階段を降り、鼻を鳴らしながら、清々した顔つきで二人の話に割って入る。
アルシュはそんな彼女の肩を掴み、静止する。
ただでさえ重要な話し合いが始まろうとしているのにマリカが入ればそれどころではなくなるだろう。
「別にいいじゃない。私だって一言言ってやらなきゃ気が済まないのよ」
「マリカ、あの...これは大事な話だから...」
エリンは顔色に困惑を浮かべて辿々しい口調でアルシュに手を振り払うマリカに断りをいれようとする。
「構わない。俺はただエリンに許可をもらいに来ただけだ。一度この村を出てニルバともう一度話をしようと思う。この村を見て回るのはそれからだ」
「別にいいけど、今後どうして行くかって話し合いもまだしてないのに、それじゃあアルバ村の再建が遅くなってしまうわ」
「それでもいい。大体、よく考えればこれまで俺が的確な判断を下してこれたのもあいつのお陰だ。あいつを抜きにした話し合いで良い答えが導き出せるとは思えん。お前たちには酷い事を言ったが、あんな奴でも俺にとっては頼れる仲間なんだ。いい加減な事を言っているのは分かるが、受けていて欲しい。頼む」
ミカイルは真剣な眼差しをエリンに向けて懇願する。
エリンはニルバの顔など二度と見たくはなかったが、ミカイルの必死な様子を見て、葛藤する。
「あんな奴、受け入れられるわけないでしょ?次あいつに会ったら間髪入れずにぶっ飛ばすって決めてるのよ」
エリンはニルバがそこにいる風にイメージしながら空に向かって拳を突き出して彼への敵意を現すすが、アルシュは全く対照的な意見を漏らす。
「戻るって決めたんならそれでいいんじゃないか?必要なんだろ?後々になって後悔するくらいならそれで良いと思うが」
「なんであなたはいつも私と真逆の意見を言うのよ!」
マリカはアルシュに怒声を浴びせたが、それはミカイルを思っての事だった。
ニンバの人となりはともかく、信頼のおける仲間がいることは良いことだ。大切なものは失って時間が経ってからその価値に気付く事が多い。
「分かったわ。ミカイル、その願いを受け入れるわ」
「もう、エリンまで。あいつの事嫌いじゃないの?」
「確かにニルバの人となりから見て、マリカが嫌がるのも分かるし、私も正直苦手なところはある。でも私にとってマリカが大切であるように、ミカイルにとってはニルバは大切な存在なの。だったら口出しできないわ」
「もう、エリンって意地悪なんだから」
エリンはミカイルの願いをすんなりと受け入れる。そしてニルバを受け入れる事を心に決める。
マリカは彼女の決断に疑念を抱いたが、『大切』と言われた事に顔を赤くして、彼女の意見を渋々呑んだ。
「こんな事になってしまって本当にすまない」
「でも大丈夫かな。いつジルドラス軍か魔物が攻めてくるかも分からない中で村の再建を遅らせるのは悪手じゃないか?」
「大丈夫よ。ジルドラス軍はアルバ村への奇襲に失敗してる。だから恐らくそんなにすぐには襲って来ないと思う。それに、アルバ村にはこっちの兵士を配置してあるから異変があればすぐに教えてくれるわ」
アルシュにアルバ村への懸念が浮かんだが、すぐにかき消され、胸を撫で下ろした。
「なんだよ心配させやがって、ちゃんと団長できてんじゃねえか」
エリンは自分の采配に自信が持てていないと嘆いていたが、アルシュの目の前にいるのはあの時の弱気な女性ではなく、まさに夜明けの団の団長だった。
「そりゃそうよ。私だって、いつまでもウジウジしてられないわ」
「さすがはエリンね。私の師匠ってだけの事はあるわ」
胸を張って見せたエリンをマリカは誇らしげに讃える。
「でも、時間は有限。話を早く進めたいと言う気持ちもある。だからミカイル、三日以内に戻ってきて?」
「ああ、約束するとも。ニンバと共に、なるべく早くこの村に戻って来る」
「交渉成立ね」
そしてエリンはミカイルと握手を交わす。それを見届けたアルシュは息を大きく吐いて部屋へ戻ろうとした時、外から敵襲を知らせる鐘の音が鳴った。
「敵襲?まさか、ここにもジルドラス軍が来たっていうの?」
マリカは咄嗟に自室から剣を取り出して来た。アルシュも剣を取りに行ったついでに窓を覗くと、門の方角に土煙が上がり、木片が舞っているのが見えた。
「門の方だ!敵襲かどうかはまだ分からないけど、これは只事じゃねえ!」
アルシュはその目に見えた異変を下の階にいる三人に伝える。
エリンは急いで寮の扉を開けた瞬間、男性の大きな悲鳴がクモレイア村に響き渡った。
その声に聞き覚えのあるミカイルが大きく目を見開く。
「ニルバ...!?」
信じ難いが、クモレイア村を飛び出して行ったはずのニルバの声にそっくりだった。
しかし、不自然だった。数キロ程離れたその場所からなぜ彼の声が届くのか。
ミカイルは期待と不安を抱きながら歯噛みして、誰よりも早く大地を蹴り上げて、彼が無事である事を祈りながら門へと向かい、三人もそれに続き、途中で門の方面から離れるキルガに遭遇する。
「エリン!いいところに!今からちょうどアンタのところに行こうとしてたんだ!」
「キルガ、一体何があったの!?」
「突然馬鹿でかい魔物が一体現れて門を破壊したんだ!ビヨルンやその場にいた兵士たちが食い止めている!」
「魔物!?って事は前に俺たちが森で遭遇した魔物と...?」
「ええ、恐らくは。だとしたらエレハイネ砦の一件とも関連する事になる」
「ねえ、二人とも、一体何の話をしているのか分からないのだけど?」
二人の会話に取り残され、悔しげに声を張り上げる。
エリンの脳裏に会議での話された内容が思い浮かぶ。あの青年が関わっているのであれば、その怪物は元々人間だった可能性が高い。
「分かったわ!それならあの怪物達は私たちで食い止める。だから村人を安全な場所に避難するように、他の兵士達に伝えて」
「任せとけ!」
エリンからの指示を受けたキルガは方向を変えて家屋の屋根を伝って消えて行った。
「大変な事になったな。最悪、あいつも一緒だぜ」
「ええ、でも退く事はできない。急ぎましょう」
「だ か ら、私も話に入れなさい!」
「....っ!」
置いてけぼりにされている事に我慢が出来なくなり、マリカはアルシュの頭を叩いた。
ミカイルは魔力で走力を強化させ、全力で走る。ニルバを心無い言葉で切り捨てた事は後悔していたし、話し合いの余地はあったはずだ。もっと上手くやれば、そのうち夜明けの団を受け入れ、共に笑い合う事もできたはずだ。
これからのアルバ村には、彼のように強い男がいなければならない。妖精族だからと言う理由で団長に持ち上げられた自分だけではこれからの困難は乗り切る事ができない。
「頼む。無事であってくれ」
そして、ミカイルは門へ近づき、受け入れがたい現状を目の当たりにして、思考が凍りつく。
後から到着したエリンたちも、大きく目を見開いた。
辺りは血の海となっており、既に駆けつけていた兵士たちが事切れて横たわっている。
生き残った兵士たちはたじろぎ、または腰を抜かしながら眼前の怪物に怯えている。
細長く白い肌の体を這わせて人のような足を六本生やしている。
その後部の長い尻尾の先端は尖った針のようで黒ずんでいる。
その怪物は人面で禿頭の中年男性を想起させる。ミカイルはその見慣れた顰めっ面を見て、つい声をかける。
「ニルバ...なのか?」
ミカイルはその怪物の正体がニルバであると思考した自分を疑ったが、その怪物の慟哭を聞いて、やがて確信する。
「そんな...嘘でしょ...?だってニルバはさっきまで一緒に...!」
エリンは息を呑んだ。先程話し合っていたニルバがなぜ魔物になっていたのか。その脳裏にエレハイネ砦で出会った青年の存在を浮かべ、背筋を震わせる。
「な...なぜだっ...!」
「危ないぞ‼︎」
ミカイルは膝を吐き、変わり果てた友姿に嘆き悲しんだが、もはや彼は理性を失い、殺戮兵器と化している。
ニルバは尻尾の針の先端を項垂れるミカイルに向けて放ったが、アルシュがその体に飛びつき、回避させる事で地面が穿たれる。
「何やってんだ!死にてえのか!!」
「す、すまない...でもニルバが...!」
アルシュは敵前で剣も抜かずに無防備で立ち尽くすミカイルに怒号を浴びせる。
「ちっ!アンタは村のために命張れるって思ってたのに、仲間が敵になるとこれかよ。ガッカリだぜ」
「アルシュ、言い過ぎよ!」
かつて、ザッケスを怪物に変えられたからこそアルシュを咎めるエリンの声は強かった。
しかし、アルシュはそれでも覚悟を決めて戦ったエリンを知っている。
ミカイルに彼女と同じ強さを感じていたが。気のせいだったようだ。
それに目の前には巨大な魔物が一体。今にも兵士たちに血の花を咲かせようと針を構えているのも事実。
「ミカイル、残念だけど覚悟を決めて。ニルバに掛けられている魔術の発動は恐らく対象者が死んでいる事が前提となっている。ザッケスもそうだった。だから、ニルバはもう...!」
「く...!」
ミカイルは一度脇にかかった剣の柄を握ったが、抜く事が出来なかった。彼は決して仲間の介錯をしに来たのではない。和解しに来たのだ。
「だが...俺には、あいつに剣を向ける事など...できない...!」
既にミカイルに戦意はなく、この残酷な現状を受け入れる事で精一杯だった。
「おい!今のは大丈夫だったか!?」
血の色よりも明るい赤髪のビヨルンが攻撃を避けたアルシュとミカイルに駆け寄る。
胸当てをつけており、返り血を浴びていた。
「何とかな。それより、このおっさんを安全な場所に避難させてろ。そのうちに俺がこいつを殺しておく」
「殺しておくだと?その前にマリカが全部片付けちまいそうだが」
アルシュは首を傾げてマリカの方を振り向くと、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべて、片手には雷をこれまでにない程轟かせていた。