53話 重圧
会議を終え、村長の屋敷を出たエリンが玄関の扉を開けた時、不意に村長からの助言を得る。
「エリン団長。お主が団長となってからというもの、忙しい事は分かっている。しかしせっかくこのクモレイア村に戻って来たのじゃ。たまには休憩がてらに仲間に顔を見せてやってはどうかな?」
「ちょうど今、私も同じ事を考えていたところよ。あの子達とは最近ロクに顔を合わせていないもの。フェリクスからの報告を聞くと元気にやってる見たいだけど、無茶しすぎないように言ってあげなきゃ」
「ホッホッホ、その意気じゃ。今のうちに顔を見せてあげなければ、次はいつになるやら」
「そうね...」
村長の言葉がエリンの胸中に刺さった。大きな戦いが始まる。その前にみんなの顔を見たい。そして笑っているところを、団長として胸を張れている所を見せてあげたい。
エリンはかつて自分がいた寮へ向かおうとするが、近づけば近づくほど、足取りが重くなっていく。
「なんでだろう、早くみんなに会いたい筈なのに」
会議での内容、そしてエレハイネ砦での記憶が混ざり合う。
これから起こる戦い、壊滅した拠点、これまでに守れなかった団員たち、狂気に満ちた謎の青年。怪物と化したザッケス。
会議で話された脅威を退ける事が団長としての責務であり、失敗すれば団員や仲間たちが怪物に変えられてしまう。
エリンは立ち止まり、両手を見ると、震えていた。その手に握られた采配に仲間の命が懸っている。そう考えるだけで、恐怖と緊張が彼女の体を支配した。
「エリーン!」
遠方から、喜色を含んだ愛らしい少女の声が聞こえてくる。
俯いた顔を挙げると、黒いドレスに群青色の髪の上に赤いリボンを乗せた少女マリカが手を振ってエリンの元へ駆けつけて腰元に手を回して力強く抱きしめた。
「おいマリカ、やめとけよ。今のエリンは団長なんだぜ?構ってる余裕なんて無いって」
アルシュはマリカの背後から、目を細めながら歩を進めるが、久しぶりのエリンの顔を見られたためか、頬は少し緩んでいる。
「何よ、少しくらいいいじゃ無いの。アルシュだって本当は嬉しいくせに」
「別にうれしくねえよ。まぁ顔見られた事はちょっと嬉しいけど....」
アルシュは顔を赤くして赤みがかった空に視線を逸らした。
マリカはそれを見て、意地悪に歯に噛んで見せる。
「フフフ!君たちって本当に変わって無いんだから!」
気付けば、心の翳りは二人の愛弟子たちとの再会によって薄らいでいた。
「か、変わったもん...アルシュは相変わらずだけど、私は前よりずっと強くなったわ!アルシュは相変わらずだけど」
「お、俺だって強くなったわ!ってか二回も言うな!」
アルシュが取り乱すのを見て、二人はは吹き出すように笑った。
思えばこんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。アルバ村では、資源の不足に苦しむ村人たちの抗議や、村人の墓石の前に膝をついて涙を流す者たちを見るのが日課で、微笑むことすら忘れていた。
エリンは喜色な笑みを浮かべると共に、気付けはその頬には涙が伝っていた。
マリカは友人であり、愛弟子である彼らに、感謝した。一緒に付いてきてくれた事。一緒に戦ってくれた事、彼らが一緒だったからここまで生き延びる事ができた。
「エリン...?」
「いえ、気にしないで。君たちに会えた事が嬉しくって」
マリカは不思議そうな顔つきでエリンの肩にそっと手を載せた。
エリンはその時に気づいた。マリカの背が少しだけ伸びていた事に。
「マリカ...背、伸びたのね」
「ふふん、気付いた?妖精族は魔力量のの上昇に伴って体つきも変わるのよ?つまり、私が強くなった証よ」
胸は相変わらずと思考したが、商会でのマリカの暴虐を最近になって体験したアルシュは全力で自身の言葉を喉の奥に押し込めようとする。
「胸...」
しかし、一番出してはいけない「胸」という単語だけが漏れてしまい、青い眼光がアルシュに向けられる。
「アルシュ〜...?」
「い、いや別に?前に飲んだエールで『胸焼け』...ぐぎゃっ!!」
下手な誤魔化しも虚しくアルシュはマリカの拳骨を受けた。
エリンはその光景を視界に収め頬を緩めるも、彼女の脳裏に置かれた葛藤までは消え去る事はない。そしてその表情には自然と暗澹が浮かび、手をそっと胸に当てた。
「エリンがそんな顔するなんて、大変なんだな。団長って」
アルシュは頭を摩りながら暗い顔つきのエリンにそっと呟く。
それを聞いたエリンはこれからの展望について話せるわけも無く、無理やり口角を上げて目尻を引き攣らせる。
「な、何よ。私が強いの知ってるでしょ?」
「ああ、分かってるよ。でも辛いのも分かる」
「エリン...一体どうしたの?さっきから変よ?何かあったの?」
感情を隠しきれないエリンの言動にマリカも心配する。
「べ、別になんでも無いって」
エリンは堪えられない表情を隠すように二人に背中を向ける。
眉間を歪め、歯を食いしばる表情など、今の二人には見せたくはなかった。
強い自分を見せたかった。安心させたかった。
しかし、これから起こりうる不吉な未来が彼女の言動を楔で縛る。
もし、またあの青年と出会した時に団長としての責務を果たせるだろうか。
仲間が次々と怪物となって行く現状を前に正気を保てるだろうか。
思考するほどエリンの表情は強張り、その不安は胸中を蝕んで行く。
「行こうぜマリカ、どうやら今の団長はご乱心らしい」
アルシュは自分たちでは彼女の苦しみをマリカの肩をポンと叩いた。
「でも、エリンは今...」
「ああ、そうだ。あの人は殻の中に引きこもって頭を抱えるのに忙しいんだ。だから俺たちは邪魔だ。行くぞ」
「アルシュ、そんな言い方ないでしょ!?ちょっと待ってよ!」
エリンは背中で二人が立ち去って行くのを見送る。もはや声も出せず、拳を握り絞める事しかできなかった。
「エリン、別に言いたい事を無理に聞こうとなんて思わない。大体、俺って団長になった事なんてないからそこから見える景色も分からねえ。でもな、あんたは一人じゃねえんだし、少しは頼れよ」
エリンからは、堪えていた感情の雫がとめどなく零れ落ちた。
疲弊した思いをそっと温かく包み込むアルシュが包み込む。そしてエリンは振り返り、「待って」と二人に呟いた。
「ごめん...!」
それは今、勇気を振り絞って愛弟子たちにかけられる唯一の謝罪だった。
二人はそんなエリンの顔を見て、優しげに微笑んだ。
「なんだよエリンだって全然変わってねえじゃねえか」
「アルシュ、さっきから失礼よ。エリンだって色々あったんだから!」
団長なのに愛弟子たちに泣かされる自分が情けなかったし、この先が思いやられるようだった。
しかし、気分は悪くなかった。
マリカとアルシュは本当に成長した。まさかあれほど歪みあっていた二人がここまで頼もしく、強くなるとは。
自分も負けていられないと思い、エリンは二人にこれからの戦いについて話す。
「なんだよそんな事か」
「覚悟して聞いて損しちゃったわ」
しかし、二人の反応は軽いものだった。特にアルシュはエレハイネ砦での戦闘を経験しているにも関わらず、眉を動かすどころか、青筋を浮かべ、ため息をこぼした。
「あのなぁ、...俺たちは今までなんのために強くなって来たと思ってんだよ」
「だって、敵はあの時の...」
「大丈夫よ。もう敵がその怪物だろうと、竜族だろうと私が蹴散らしてやるんだから。もう私は弱くない。信じて」
エリンは目を見開いた。二人は全く動揺も見せずに彼女の懸念を飲み込み、受け入れた。
彼女は胸の重みが消えて行くのを感じた。そして表情が安らぎ、二人を抱き寄せてそっと呟く。
「ありがとう」