50話 希少な獲物
その後、ビヨルンは昼の食糧を捕獲するために汗水を垂らしながらウサギを追いかけていた。
「なんてすばしっこいんだ!?」
というのも、ビヨルンの計画では、獲物を捕まえてマリカに振る舞う事になっていた。幸い小動物は至るところにいたが、追いかける事で精一杯だった。
「ハァハァ、クソッ!」
ビヨルンを切らして膝に手をついていると、それを見かねたアルシュが提案する。
「おい、俺も手伝うぜ...」
「アルシュ、何度言わせりゃ気が済むんだ?これは俺のための作戦なんだ、邪魔すんじゃねえ」
ビヨルンはアルシュの好意を押し除けて、目の前で嘲笑うかのように、ウサギが立ち尽くしている。
まんまと挑発に乗せられたビヨルンの腑が煮え繰り返り、ウサギに向けて両手斧を振りかぶる。
「舐めやがって....!?」
そして踏み込みを入れようとした刹那、ビヨルンの真横を青い稲光が過ぎり、気付けば眼前のウサギは力無く倒れていた。
「ホント、口が回るだけで全く役に立たないわね」
そしてビヨルンが必死になって一匹も仕留められなかった小動物を三匹、五匹とマリカは次々に仕留めていく。
「う、嘘だろ...」
「仕方ない。あいつは魔術も得意だから、飛び道具を使える点から考えるとこういうの得意なんだろうぜ」
ビヨルンはアルシュに肩をポンと叩かれ、唖然となって自分の計画と共に尊厳が崩されて行くのを眺めていた。
「どう?かなり捕まえられたんじゃない?」
マリカはカゴの中に収められた獲物を誇らしげに二人に見せつける。
「さ、流石はマリカだなー。おかげで食い物には困らなさそうだし、納品もできそうだな」
「ふん、当たり前よ」
アルシュは素直に喜びたかったが、隣で落ち込みを隠せず俯いているビヨルンを見て喜びきれなかった。
「じゃ、食事にしましょう?」
「そうだね。調理は俺がするからマリカは待っててよ」
「あら、じゃあそうさせてもらうわ」
ビヨルンは最早、うさぎの皮を剥ぐことすらも止めさせようとせず、二人から離れて立ち尽くしたまま一言も離そうとはしない。それに対してマリカは全く気にする素振りも見せない。
アルシュはそれが気の毒すぎて手元が狂いそうだった。
「後で声かけるか...」
その背後に、しゃがんだアルシュの倍程の大きさの謎の四足歩行の生物が突進してくる。
マリカは気付いたが、その前にビヨルンが立ち塞がり、口元から生えた歪な牙を避けながら頭部を押さえつけ、その生き物の勢いを殺すが、凄まじい力で徐々に押されて行く。
「何だこいつは...魔物、か...!?」
アルシュとビヨルンが不気味に感じている今までに見たことのない生き物を視界に入れ、目を見張る。
まず、目に入るのが顔の中央を占める、大な鋭い一つ目だった。次に口元から生えた螺旋状に伸びた牙
まるで猪のようだがその体格は大きく、四足歩行でもアルシュの頭一個分の大きさはあった。
「避けて!」
背後からマリカが剣を振りかぶり、跳躍して魔物に攻撃を仕掛ける。
しかし、ビヨルンとアルシュはものの魔物は避けようとせず、縦に振り下ろされた一閃がその頭部に叩きつけられる。
「なんで?」
しかし、魔物の体は意外と硬く、刃が通らないため、傷一つ残さずにマリカは退行した。
「オラァ!」
それに代わるようにビヨルンが斧を魔物の胴体に叩きつけるが、傷一つつかず、後ろ蹴りを受けて弾き飛ばされ、体を大木に打ち付ける。
「ビヨルン!」
最早作戦どころではない。魔物が生息するとは聞いていたが、想定の斜め上を行く強さだった。
アルシュは後部を向ける魔物に向かって腰にかかっていた剣を叩きつけよっとしたが、魔物は後ろへ振り向き、頭部の角でアルシュの剣を受け、その体を投げ飛ばした。
木を蹴り付けて受け身を取ったアルシュにマリカは助言する。
「アルシュ、無駄よ。そいつは闇雲に攻撃を打ち込んでもダメージ一つ付かないわ。多分、魔力で外殻を強化してるのよ」
「魔物ってそんな事もできるのか。って事は俺ってつまり、この豚にも負けてるんじゃ...」
「もう、調子狂うじゃない、こんな時に限って落ち込まないでよ!」
マリカがアルシュに向かって声を荒げている間にも、魔物は赤い一つ眼をギラつかせ、口から生やした湾曲した牙を偶然見つけた二人の獲物に向けて突進しようとする。
「俺を、忘れんじゃねえ!」
しかし、ビヨルンが斧に渾身の魔力をゆらめかせて背後から振り下ろす。
魔物は背後の獲物への意識が削がれていたため避けきれず、臀部にあった丸いイボにその一撃を受ける。
すると、イボにヒビが入ると同時に魔物を覆っていた魔力の鎧が消える。
「ど、どうだブハッ!?」
そして痛みに驚嘆するように魔物の目つきは変わり、油断していたビヨルンを蹴り飛ばし、勢い余ってマリカとアルシュの方へ突撃する。
「どう言う訳だか知らないけれど、あいつの魔力が解けた見たいね。チャンスよ!?」
「ああ、なんでか知らないけど、今なら倒せそうだ!」
マリカは瞬時に手を青い光を纏い、稲妻を放つ。猪の魔物は勢い余って避け切ることができず、元に雷を受け、ヨロケることで減速する。
「今よ!アルシュ!」
「もらったああああ!」
アルシュが刀身を振り下ろす。猪の魔物は必死に避けようと左に逸れたためか、先程まで鉄のように固かった胴体がパックリと割れて動かなくなった。
「よっしゃああああ!」
「やったわね!思わぬ収穫よ!」
二人は魔物を倒し、命を拾った事と、希少な素材を入手できた事が嬉しくて歓喜していたが、気の幹に背中を預けるビヨルンは下をむき、二人に聞こえないように口の中でそっと言い放った。
「何も良くねえよ...」
夕陽が沈みそうな頃、三人は希少な獲物のを担ぎながら村に戻ろうとしていた。
ビヨルンの気分は相変わらず優れず、眉をおとし、俯いてばかりで一言も話そうとしない。
理想であれば、今頃マリカにプロポーズでもしていたのだろうが、今日はビヨルンにとって散々な一日だった。
マリカにいいところを見せるどころか影が薄く、ロクに相手にもされなかった。
最早可哀想で口も聞けそうにない。
アルシュはあの気性の荒いマリカの事だから一筋縄では行かないだろうと気持ちを持ち直しながらも、今後のビヨルンへの対応を考えながら胃を痛める。
「やったわ!まさかあんな見たこともない魔物に会えるなんて!もしかしたらこれで弁償費チャラになるどころかガッポリ稼げるかもしれないわね!」
マリカはビヨルンの落ち込みなど気にも留めず希少な素材を得られた事を喜ぶのでいそがしそうだった。
そこでふと、彼女の喜びの中に違和感を感じ、耳を通じて脳裏をざわつかせていた。
「でも、あんな魔物、ここら辺じゃあまり見ないよな。一体どこから来たんだろうな」
「うーん、言われてみればそうね。カヤールの街にもあんな魔物はいなかったわ。ジルドラスから来たんじゃないの?」
「あんな一つ目の猪なんていねえよ。牙の生えた羊とかならいたけど」
「何よそれ。気持ち悪い」
思えばあのような魔物は見たこともなかった。牙の生えた一つ目の猪など、故郷のどこを探した所で見つかるとは考えられない。
そして何か胸中に寒気を感じた事も気のせいではない。それはかつて、エレハイネ砦で、謎の青年と出会った時に味わった恐怖を思い出させるような忌まわしき感覚。
呼吸が乱れ、額が汗で滲み、立ちくらむ。
「アルシュ?大丈夫?」
「なんだ、今度はどうしたんだ...?また俺がコケにされるのか?」
「な、なんでもない。大丈夫だ...」
マリカとビヨルンはその不自然な動きに首を傾げる一方、得体の知れない脅威の存在に、アルシュは胸に手を当て、脈動が早まって行くのを感じていた。