48話 ギルド場での一騒動
翌日、アルシュは一睡でもできないまま朝を迎える。目元はクマで黒ずんでおり、病人のような顔つきだったが、ビヨルンとの約束を果たすためにマリカを連れてギルドへ行く。
そこは仕事を受ける事ができる案内所で、資源や物品の売り買いもできるような場所だ。
と言っても、普段はカヤール本土から資源が届けられているため、誰も食べる事には困らない。それでも、酒や音楽を嗜むなど、娯楽のためのちょっとした小遣いを稼ぐ程度には十分な役割を果たしている。
「一体どうしたの?あなたらしくもない。一日中稽古をするしか能がないかと思っていたのに」
「最近忘れてたけど能が無いって言われて油断してた事に気付いたよ。せっかく息抜きしようと誘ってやったのに、嫌ならいいんだぜ?」
「べ、別に嫌じゃないわよ...」
マリカは細くした目を背けてアルシュに横顔を見せながらそっと呟いた。
アルシュは金銭に興味はなかったが、ビヨルンにキッカケを作ってやるためにも、渋々このギルドを訪れている。
薄暗い木造の家屋の内部は広々としており、窓から差し込んだ木漏れ日のおかげで闇を払うことができている。
しかし、椅子に踏ん反り、酒を煽る連中から放たれる陰気臭さまではどうしようもなかった。
一人はアルシュよりも頭2個分と長身ではあるものの、ヒョロガリで顔の頬骨が突き出ている。
もう一人は小太りで、丸い顔の両サイドに鼻下から伸びた髭が突き出ているのが特徴的だった。
彼らはゴキブリを見るかのような目でアルシュに冷ややかな視線を浴びせて、ひっそりと侮蔑を溢し、その薄君悪い笑いがアルシュの耳を掠める。
「見ろよ、竜族のアルシュだぜ?前にザッケス団長を殺したって言う...」
「マジかよ、マリカも一緒じゃねえか、なんであんな疫病神とつるんでんだ?」
「おいバカ、聞こえるだろ...?」
アルシュはエレハイネ砦での活躍によって多くの者からの信用を得たものの、全員が認めている訳ではない。
手荒な手段で無理矢理地下牢を脱走したのがまずかったのだろうか。中にはアルシュがザッケスを殺害したとでっち上げる者もいた。
アルシュは彼らの冷遇に耐えているつもりだったが、当然拳に力が入り、痛切を顔に浮かべる。
「聞こえるから何だってんだ?強いって噂だが、あんなガキに俺様が負けると思うのかよ!エリン団長もイカれてやがる。あの女は俺たちを裏切ってでも竜族を庇うだろうぜ!全く頭に来やが....!?」
小太りの男の口が開いたまま動かなくなった。アルシュは真横で何かが光ったような気がしたため
真横を見ると、マリカの右手が青い光を帯びて稲妻がバチっと言う音を立てている。
彼女は眉を怒りに歪め、歯を食いしばっていた。そして殺気に満ちた青い眼光を小太りの男に突き刺して、今にも殺しそうだった。
アルシュは焦燥に駆られ、マリカの右腕に手を当てる。
「何するの?離しなさい」
「お前、自分が何をしようとしているのか分かってるのか?もし団員を死なせでもしたら罰を受けるどころじゃ無くなるぞ」
「あなた、そう言うところは前と変わっていないのね」
マリカは右手の光を霧散させて平然とするアルシュに呆れ果て、静かな怒りを声にする事によって大きく燃え上がらせる。
「なんで、なんであなたはそんなにも冷静でいられるの?バカにされてるのよ?それにエリンだって...そんなの許せるわけないじゃない!」
「.....」
「へ、へへ、そうだ。やってみろよマリカさんよ。お前だって俺を攻撃すればどうなるか分かるだろ?」
マリカはアルシュだけではなく、エリンを侮辱された事が許せず、感情に任せて掌に魔力を滾らせていた。
冷や汗を流した小太りの男は身構えながらも、悔しげな面持ちのマリカの足元を見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
それを見て、アルシュは首を傾げる。
「は?何言ってんだ?俺はマリカに殺すなって言っただけだぜ?」
「な、何を...ぐ べ っ!?」
アルシュは地を蹴り、椅子に座る小太りの男の頬に握り拳を叩きつけ、そのまま後ろの受付カウンターの台にまで投げ飛ばした。
「ニャッ!?」
受付を担当していた獣族の女性が、突然カウンターの台に走った衝撃と音に動揺し、耳を尖らせ、長く白い家で覆われた尻尾を後ろにピンと際立たせる。
そしてアルシュは青筋を浮かべ、ダラシなく地面に崩れ、白目を向いた小太りの男に向けて呟いた。
『お前を殴るななんて、一言も言ってない...!!』
マリカは怒りのままに拳を振るったアルシュに目を見張る。
細身の男は酷く動揺して立ち上がり、後退する。
突如、周囲の兵士や村人たちは騒然とする。店の外へ逃げ出すものや、中には剣を抜く者もいる。
村の衛兵と思われる獣族の男が頭部の垂れ下がっていた耳を突き立てて、アルシュに刃を向けながら血相を変えて咎める。
「貴様!自分が何をやったのか分かっているのか!?」
「ああ、ムカつくやつを殴った。大丈夫、殺してない」
「そう言う問題じゃない!今回のは度を超えている!上の判断によっては反逆罪と見られてもおかしくはないぞ!」
「.....マジで?」
「ああ!マジだ!」
アルシュは顔を恐怖に引き攣らせる。前回のアルバ村のでの一件以来、ニルバを殴れなかった事を少しだけで悔いている自分がいた。
それと欲求が満たさ身内の中でのいざこざ程度なら、始末書程度で済むと思っていた。
しかしまさか反逆罪、ひいては極刑に値する程の事態に陥いる事など考えもしなかった。
顔からは汗を滝のように流し、目線をチラリとマリカの方に向け、助けを求める。すると彼女が口を開いた。
「アルシュ...」
「な、なんでしょうかお姉さ...ゴバッ!?」
下から突き出されたマリカの拳を顎に受け、アルシュは宙を舞う。それから天井が高くてよかったと思考したところで落下し、重力の赴くままに、その身を細身の男の座っていたテーブルに叩きつける。
アルシュはテーブルの上で半身を起こして顎を撫でながらマリカを叱責する。
「痛っ〜!何しやがるんだ!死んだらどうするんだよ!」
「こんなのであなたが死ぬわけないでしょ?それと、どうせ殴るのなら私にやらせなさい!」
細身の男は恐怖でたじろぎ、腰を抜かした。小柄な少女から繰り出された一撃とはいえ、もし自分があの少年の代わりだったらと妄想し、背中を凍り付かせる。
「き、貴様も反逆する気か!?」
衛兵はマリカに剣を向け直すが、手元が狂い、足が笑っている。
思考ではマリカに対する敵対心はあったものの、体がそれを全力で拒んでいる。
「何よ?あなたも上に飛ばされたいの?」
「ひ、ひぃっ!」
衛兵はたじろいだ。一人の少女を前に怖気付くのはクモレイア村の兵士として恥じるべきだが、マリカは特別だ。彼女を怒らせては行けない。
しかし、そう後悔したもののマリカに刃を向けたまま体は動かない。
「止めるべきだろうか、今言ったばかりだから殺しはしないだろうが...いや、もしかしたら...」
アルシュはかつて受けたマリカの怒りの一撃を思い出し、背筋を震わせる。そしてテーブルに腰を下ろし衛兵の無事をただ祈るしかなかった。
「おい、そこまでにしといてやれよ。ったく...せっかくいい夢見てたってのに」
アルシュは耳に意識を向ける。カウンターの奥の階段から聞き覚えのある声が騒然とする店内に響いた。
カウンターの奥を見やると茶色い髪を伸ばし、無精髭を生やした男が薄目を開けて後頭部をボリボリと掻きながらゆっくりと階段を降りてくる。
それはかつて、エレハイネ砦で共にザッケスと戦ったフェリクスだった。
「フェリクス?なんでそんな所に?」
「なんだよ。なんか騒がしいと思ったら、お前の仕業かよ」
フェリクスはかつての戦友の無様さにため息をこぼす。魔が抜けたマリカは面識のないフェリクスを見て動揺するアルシュに疑問をこぼす。
「アルシュ、その人知り合い?」
「ああ、人を道具呼ばわりして無価値と分かれば切り捨てる、最低で薄情なフェリクスだよ」
「ねえ、そりゃあんまりだよ。自己紹介でこんなに傷ついたのは生まれて初めてだよ」
フェリクスは眉を落とし、胸に手を当てて悲そうな顔をする。
アルシュはかつて、エレハイネ砦で共に戦ったとはいえ、アホと二回言われ、感謝ごと払い除けられた事を未だに根に持っていた。
「で、なんであんたがそんな所にいるんだ?二階はここで働く従業員とか上役なんかが泊まれる部屋だぞ?」
「なんでって、そりゃ俺が村の上役になったからだよ...今ではギルド長って、なんでそんなに驚いてるんだ?」
アルシュは口を開けたまま数秒固まっていた。フェリクスの言葉を飲み込めない。かつて無名の兵士だった彼がいつの間に出世したのか。
「エレハイネ砦の時の経験で判断力がいいってんで、村長やエリンから評価が見直されてな。なんやかんやで団長の補佐までやらされてる」
「そんな話、いつ決まったんだ?」
「一ヶ月前くらいだな。てかなんで知らないの?普通こう言うのって皆んなの耳に入るはずだよな?」
「あなたの影が薄いからじゃないの?」
「お前はもう少し労わる気持ちとかないの?」
フェリクスが補佐に任命された事を知らないのも無理はない。最近、カヤール軍が拠点とする村が次々に奇襲を受け、一夜で壊滅すると言う事件が勃発していた。
生き残った数少ない村人の中には武装集団ではなく、たった一人の兵士によって壊滅させられたと言う証言もあった。
今はその調査を行うために、団長となったエリンはフェリクスを連れて壊滅させられた村の調査に駆られ、報告が遅れていた。
「おいフェリクス、あんたがそこまで偉いってんならそのガキ二人をなんとかしてくれ!こいつら、俺の連れを半殺しにしやがった上に、俺たち全員を同じ目に遭わせる気だぜ?」
細身の男は立ち上がり、フェリクスを上役と見るや否や、咄嗟に二人の沙汰を求める。
そして自然に口角が上がる。このガキ共は終った。散々コケにした事を後悔させてやる。
「でも、喧嘩をふっかけて来たのはそっちだろう?」
細身の男はフェリクスから受けた言葉に石のように固まり、その笑みは打ち砕かれた。
「ち、違う...!そっちが先に」
「否定したいのは分かるんだけど、なんか匂うんだよな...表情とか仕草とかで」
「い、いい加減にしろよ!?そんないい加減な理由で...」
「あっそ、じゃあ分かったよ。ハッキリさせよう。ここにいる全員に聞いたらいい」
そしてフェリクスは周囲で騒動を茫然と眺めている村人は兵士を見渡し、声を張り上げる。
「おい、お前らはこの騒動を見てたんだろ?だったら悪い方に指をさせ!嘘を吐こうとしても匂いで分かる。逃げたら問答無用で地下牢行きだ!」
フェリクスの指示を聞いた周囲は静まり返り、犯人の方へ人差し指を向ける。
アルシュは周囲からの反応を追うのに目が釘付けとなり、マリカは未だに細身の男を殴りたくて疼いているようだった。
「な、なんでだ...?」
細身の男は息を呑んだ。人差し指のほとんどが自分に向けられている事に納得がいかない。
「お前ら!裏切りやがったな!?」
「すまない、フェリクスが団長と繋がっている以上、嘘はつけねえよ...」
アルシュは胸を撫で下ろすが、直後にマリカが拳を握って細身の男に殴りかかろうと歩を進めようとしたため、慌てふためきながら彼女の脇を抱える。
「離して!やっぱり、あいつを一発殴っておかないと気が済まない...!」
「長く生きてるなら我慢くらい覚えろ!それと問題掘り起こすのやめろよ!」
その力は凄まじく、肘が横腹に直撃し痛みに苦しみながらも折角拾った命を捨てて堪るものかと必死になる。
フェリクスは身動きの取れないマリカを見て、「やれやれ」と深く息を吐く。
「さあ衛兵さん、その暴れ足りない妖精族が動けないうちに、早くそいつらを詰め所に連れてけ」
「は、はい...!」
そして細身の男と小太りの男は衛兵たちによって連れて行かれると、周囲の騒然とした雰囲気は薄らいで行く。
「いつまで掴んでるのよ...!離しなさい!」
「ぶらっべ!」
マリカの手を離そうとした瞬間、アルシュの顔に肘打ちが炸裂する。
「やれやれ、妖精族ってもっと穏やかなイメージがあるんだけどな」
「ふんっ!」
フェリクスは鼻を打たれて、しゃがみ混んで顔に手を当てるアルシュを気の毒そうに眺めて、腕を組んで鼻息を漏らすマリカの逆鱗に触れないように慎重に言葉を選ぶ。
アルシュはしゃがみ込みながら、救われた事への感謝を嫌々伝えようとする。
「礼は...」
「言わねんだろ?いいよ。言っただろ?お前に利用価値があるから助けてやったまで。前もそうだったし、今もそう。分かったら立て」
フェリクスが手を差し伸ばすと、アルシュは渋い顔でその手を握り、立ち上がった。
すると不意に聞き慣れた声がアルシュの意識を向けさせる。
「すまねえ、つい寝坊で...あれ?」
それは赤い髪を逆立てたビヨルンだった。急いで来たためか、装備は肩にかかった両手斧のみ。
彼は騒動によって床に落ちた食器や料理。散らかったテーブルや椅子を見て、ポカンと口を開く
「どうした?嵐でも来たか?」
アルシュはビヨルンの作戦を思い出し、疲れ切ったように大きくため息を吐いた。そして、マリカの凶暴性を間近で思い知らされた彼は、ビヨルンに酷く同情するのだった。




