47話 隠して来た思い
クモレイア村に帰った次の日の夜、仲間たちとの勝利の祝杯を上げる。
団長となったエリンは次の敵の動きを探るための会議や準備に追われ多忙だったために、四人での祝杯となった。
気持ちよく酔ったキルガはアルシュの肩に腕を回し、耳元で大きく彼の戦果を称賛する。
「はっはっは!よくやったなアルシュ!お前が先陣切って突っ込んで行ってくれたから、かなり攻めやすかったぜ!おかげでアルバ村を占領されずに済んだ!」
「褒めてくれるのは嬉しいんだけど、うるさいし酒臭い」
「なんだよ釣れねえなぁ、お前も少しは飲めよ」
「いらない、ジュースでいいよ。俺、酒嫌いなんだよ」
アルシュはツンとくるキルガから放たれる臭気に顔を顰めて鼻を摘んだ。
別に飲めないわけではなかったが、黄金色の透き通った見た目からは想像もつかない独特の口当たりとツンと来るような風味、それと自分が自分ではなくなるような感覚に見舞われるのが嫌で、キルガから勧められても酒瓶に触れようともしなかった。
「というかキルガ、ここにいる面子で酒なんて飲むのはお前だけだぜ?それから、いくら寮が同じだからって、俺に何かとあれば酒勧めてくんのやめろよな」
「ビヨルンの言う通りよ。エリンがいなくて少し物足りないでしょうけど、我慢なさい」
ビヨルンの抗議に合わせるようにマリカが酒癖の悪いキルガを咎める。
「ちぇっ、つまんれーの」
すっかり酔いの回ったキルガは顔を赤くして、口調の呂律も崩れかけている。
アルシュはこんなやつと一緒の寮に住むビヨルンも大変だと思い、彼の顔を見ると、目を白黒させる。
ビヨルンの顔が赤い。彼は今酒を飲む事を否定したばかりで、現に今日も一滴たりとも飲んでいない。
それに何故か目が泳いでいる。まるで隣にいるマリカから目を背けるように。
体の具合でも悪いのだろうか。
「ビヨルン、どうした?」
「うわっ!な、なんでもねえよ!」
アルシュはすかさずビヨルンに声をかけると元々の顔の赤みが熟した果実のように濃くなる。
「どうしたんら?どこか体でも悪いのか?」
滑舌の悪いキルガが首を傾げ、挙動のおかしなビヨルンを心配する。
「そ、そうかもな...。少し夜風に当たってくる!アルシュ、お前も来い!」
「ちょっ、なんでだよ!」
「いいから来いってんだよ!」
ビヨルンは無理やりアルシュの腕を引っ張り、彼を店の外まで連れて行く。
キルガとマリカはただ嵐の過ぎ去って行くのをただ茫然と見送った。
「なんだあいつ、酒飲んでないんじゃなかったのか?」
「あなたもしかして、こっそりビヨルンのグラスを挿げ替えてたんじゃないの?」
「そんな事して...るかも...」
そんな二人の声が聞こえてない位置に来た事を確認して、ビヨルンはアルシュの腕を離すと振り払われる。
「お前いつも変だけど、今日は特に変だぞ。一体何に目覚めたんだ?」
「うるせえ...!何にも目覚めねえし、お前にだけは言われたくねえよ...!俺も嫌なんだが仕方がねえ、今回はお前に聞きたい事があってここに連れて来た...!」
「聞きたい事?」
ビヨルンは店の中に聞こえないかヒヤヒヤしながらアルシュにだけひっそりと囁く。
「お前、マリカと一緒の寮だよな?だったら普段はその...どんな感じなんだ?」
「へ?...なんで?」
「な、なんでじゃねえだろ....!あいつの様子が気になるんだよ...!」
アルシュの思考が時間を忘れたように動きを止める。なぜビヨルンが血相を変えてマリカの事を聞き出そうとしているのか疑問を感じながらも、これまでの寮での出来事を思い出す。
「そうだな、前はいつも顰めっ面で意地悪でいつも嫌味を垂れてるようなやつだったけど...」
アルシュはマリカに聞こえていない事を良いことに彼女へのこれまでの愚痴をぶち撒けそうになったが
『すまねえ...今のはよく聞こえ無かった。もういっぺん言ってみろ...‼︎』
突如ビヨルンは額に青筋を浮かべ、静かに憤怒の熱を発し、両手の関節を鳴らして見せる。
「な、なんで怒ってんだよ」
「そりゃ怒るだろ」
これでビヨルンを爆発させて喧嘩になればアルシュがマリカへの愚痴をこぼした事が原因になる。つまり、それがマリカの耳にも伝わってこの世の終わりだ。
アルシュは最悪の事態を避けるために穏便に済まそうと謝罪し、ビヨルンの炎を鎮火させる。
「分かったよ、悪かった...!確かに前はそう言うやつだったけど、今は優しくなったって...!」
苦し紛れに放たれたアルシュの言い分は嘘ではなかった。
彼女はエレハイネ砦での一件から明らかに悪口の数は減っていたし、何事においても気遣う言動が目立って来ている。
「ったく...本当にそう思ってるんだろうな?嘘だったら今の嫌味を全部あいつにバラしてやるからな?」
「お、おい...告げ口なんて卑怯だぞ...!」
アルシュはビヨルンの炎を鎮火させたは良いが、脅迫されたことで彼の心は休まらない。
「だいたいお前、なんでそんなにマリカの事になると感情的になるんだ?」
前々から思ってはいたが、振り返ってもみればおかしなやつだった。
マリカの事が苦手と言いながら、何故か本人の前では意地を張ってみせる。
それにエレハイネ砦の時はビヨルンはマリカと一緒にいた。
それから今回の祝杯では明らかにビヨルンは何かしらの感情をマリカに向けていたように思える。
「もしかしてビヨルン、お前...」
アルシュに信じがたい発想が思い浮かぶ。初めはあり得ない事だと頭の中で笑い飛ばしたが、もしそれが本当であれば、ビヨルンのこれまでの言動に全て筋が通る。
アルシュは唖然となって口が空いた。
キルガから、ビヨルンはマリカを恐れていると確かに聞いていたがそれは誤りだった。
なぜ同じ寮で生活を共にしている親友ですら気付くことが出来なかったのかは疑問だったが、アルシュは誰にも見つからなかったビヨルンの心の扉を無遠慮に開いた。
「マリカの事、好きなのか?」
「.....っ!!」
その瞬間、ビヨルンが凍りついたかのように固まった。その反応からアルシュは自分の憶測が正しかった事が分かった。
しかし、確信した直後に口に含んでいた笑いが吹き出し、涙が浮かぶその表情には喜色が張り付き、剥がす事ができない。
「グフッ...!ギャッハッハッハッハ!!」
耐えきれるはずがなかった。あの凶暴な少女のどこが良いのだろうか。そもそもビヨルンは彼女の齢を知っているのだろうか。
アルシュよりも二つ上程度のビヨルンでは到底釣り合わない。
考えれば考えるほど、アルシュの哄笑は止まらない。
「な、何がおかしいんだ...!?」
「悪い悪い、!あまりにもおかしくって..!!」
「てめえ、人の恋路をなんだと思ってんだ!」
店の前でアルシュの高らかな笑いが響き渡ったが、今は状況が悪い。これ以上笑うと、ビヨルンの逆鱗に触れかねないし、マリカやキルガにも聞かれかねない。
アルシュはビヨルンの眼光にたじろぎ、止まらない声の弾みをなんとか押し殺し、苦労しながら口角をへの字に歪め、口を閉じた。
ビヨルンはマリカから稽古と称した洗礼を受けて以降恐れるようになったとの認識だったが、その時に惚れていたらしい。
それでマリカの前では意地を張ったり、控えめになったりと、奇天烈な言動をするようになったのだとか。
「キルガからは全く逆の答えを聞いてるんだが...」
「あいつには言ってないからな。第一マリカの素性を知らねえ。だがお前は知っている、一緒の寮に住んでいるお前なら...だから頼む...!協力してくれ...!」
ビヨルンは珍しく頭を下げる。意外な行動に動揺しながらもアルシュは深く息を吐いて思案する。
正直、非常に面倒だった。彼はマリカに振り向いてもらえれば満足するのだろうが、元々生きる事で精一杯だったアルシュに、誰かの恋愛を手助けする事などできるはずもない。
そもそも、仮にそんな高等技術を持ち合わせていたとしてもあのジャジャ馬を制する事などできるのだろうか。
しかし、ビヨルンも面倒くさいやつだ。何かとあれば突っかかって来て、一度それが原因で地下牢に入れられた事もある。
ここはこの男の信頼を勝ち取るためにも人肌脱ぐ必要がある。
「分かったよ」
「ほ、本当か!?」
「でも、俺もこう言うのは苦手だから成功するとは限らないぞ?失敗しても恨みっこなしだからな?」
「恩に切る...!」
アルシュはビヨルンからこれまでにない程の期待と歓喜を顔に煌めかせて向けられたことで背中をざわつかせた。
おそらくこの男は失敗した時の事など微塵も考えていないと思い、頼みを聞き入れた事を後悔しながらため息を吐いたのであった。
「クシュン!」
その時、店内に少女のクシャミが小さく響き渡る。
そして、酔いどれのキルガがテーブルに半身を預けて物珍しそうに薄く笑う。
「おいどうした?大丈夫か?妖精族も風邪なんて引くんだな!」
「うるさいわね。それより、あの二人まだかしら」
マリカはこの時、かつて歪み合っていた二人が和解していた事知る由もない。
そして今、マリカに向けられたビヨルンプロポーズ大作戦が始まろうとしていた。