46話 傷跡
「今すぐ負傷者の手当を!」
アルバ村にエリンの声が響き渡る。
夜明けの団はアルバ村の救出に成功し、生き残った村の兵士や村人は医療班によって傷の手当てを受けていた。
しかし、その中には戦傷に苦しむ危篤状態の者も少なくない。アルシュは周囲を眺めて惨劇の凄まじさを実感する。
仲間の死に涙する者や、戦いの恐ろしさに怯えて蹲り、声にもならない悲鳴をあげる者。
その中で黄色い瞳に焼きついたのは年端も行かない獣族の子どもが虚な目で夜空を眺めたまま事切れている事だった。
齢十歳くらいか。手には短剣が握られており、血糊は付いていない。おそらく敵に立ち向かおうとしたが力及ばずと言ったところだろう。
彼は戦士に憧れていたのか。アルシュにもそんな時があった。しかしそれがどれ程残酷な夢なのかはその当時はまだ知る由もない。
「アルシュ!」
子の亡骸を眺めるアルシュを背後から強く呼ぶ女性の声が聞こえる。その声の持ち主はマリカだった。
「あなた、またあんな危ないことして!戦果を上げたいからってはしゃいでるんでしょうけど、いつか本当に裏目に出るわよ?」
「俺は死なねえよ」
必死に咎めようとするマリカに対して、アルシュは無表情のまま、ボソッと呟いた。
「あのね、私はあなたの為に言ってあげてるのよ?なのにその態度は何!?あなたって相変わらず感謝って言葉を知らないのね」
「マリカの言うとおりだぜ」
赤い髪を逆立てたビヨルンがマリカの声を聞いてやってくる。どうやら彼もアルシュに文句があるらしい。
「お前、自分のやってる事が分かってるのか!?お前は俺たちの足を引っ張ろうとしてるって分からないのか?お前なんてもう一回地下牢にぶち込まれればいいんだ!」
エリンは腰に手を当て、その通りよと言わんばかりに無言のまま鼻を鳴らした。
ビヨルンはアルシュが怒り出し、喧嘩になると思っていた。そしてムカつく野郎を一発殴ってやろうとも思っていた。
「すまなかった」
しかし、アルシュから出たのは謝罪だった。ビヨルンとマリカは目を白黒させて唖然としていた。
この少年がこれほどまでに素直になるとは、思ってもいなかった。
「お、おう...わ、分かればいいんだよ!」
ビヨルンは動揺のあまり魔が抜けたようで殴る気も失せ、気まずそうに目を背ける。
「ふん、これで勝利だと?冗談も大概にしろ!」
「よせ、ニルバ!」
ニルバと呼ばれる男の太い声が響く。その荒々しさから、立腹している事は容易に理解できる。
振り向くと、アルシュと同じく亡骸を見渡し、変わり果てた村を見て憤る者がいた。
背丈はアルシュの腰ほどしかなく、茶色く荒れた髪を伸ばしている。
口周りにはモジャモジャの口髭を蓄え、鼻から下を覆っているが眉間に寄せられた皺と荒々しい口調でその感情が分かる。
「この節穴め!よく見ろ!横たわる怪我人の数を!破壊された家を!お前はそれでもこの村を救ったと言うのか!!」
彼は俯くエリンに向かって怒声を撒き散らし、負傷者たちも当然彼女に注目を向ける。
「ごめんなさい。私も救援に遅れてしまって...」
「ふざけるな!貴様らがグズグズしなければアルバ村はここまで酷くならずに済んだんだ!一体どうしてくれる!?」
マリカはは歯を噛み締める。目の前で、師が侮辱を受けている。助けられた筈なのに恩などそっちのけで、名声のためにエリンを踏み台にしている。
「おいマリカ、あいつは歩兵師団副団長のニン
ルバだ。流石に手を出すのはまずいぜ」
アルシュにとっても受け入れ難い光景だったが、ここでマリカがニルバに一撃を噛ませば、悪党になるのは彼女になる。
アルシュはマリカを静止し、自分がニルバをぶっ飛ばしてやろうと拳を握らせるが、
「退きなさい、邪魔」
マリカの燃え上がるはアルシュのものより大きかった。天を衝かんとするばかりに柱となって、轟いている。大好きな師が苦しんでいる姿を見て、マリカが受け入れられるはずもない。エリンを公然で汚したあのブ男を絶対に許さない。
「ニルバ!これは一体どう言う事だ!?」
マリカが地面を蹴ろうとした時、ミカイルが駆けつけてニンバの言動を静止する事で、思いとどまる。
「決まっているだろ!今回の件は夜明けの団の失態だ。だからエリンに問い詰めていたんだ!一体どう責任を取ってくれるのかってな!」
「村人への被害はあったものの最小限で済んだ!なぜだか分かるか?夜明けの団が駆けつけてくれたからだ!それのどこが失態なんだ!」
「見ろ!これが最小限に見えるのか?一体何人死んだんだ!?」
ミカイルはニルバの言い分を否定しきれない。被害が最小限で済んだとはいえ、親族を失い、悲しむ者たちは確かにいた。その光景を見て喜べるほど、心が欠落している訳ではない。
「俺は認めんぞ!アンタの言う勝利なんて、所詮はハリボテも同然だ!」
ニルバは口元を閉じてエリンを一度睨んだ後、沈黙のまま背中を向けて去って行く。
「くそっ、ニルバのやつめ!」
ミカイルは腹心の歯止めの効かない横柄な態度に冷や汗を流す。
「ありがとう、ミカイル団長...」
エリンはニルバからの叱責に沈みながらも、塩らしくミカイルに一礼する。
「気にするな。ああ言うやつでな。何かとイチャモンをつけねば気が済まんタチなんだ。団長として、日々困らされてるよ」
ミカイルはため息をつき、副団長への不満を漏らす。小人族は強気な性格の持ち主が多いが、ニルバはそれと同時にひねくれている。
「エリン!」
「おいマリカ、ちょっと待てよ!」
二人の団長の会話にマリカが駆けつける。アルシュもそれに続く。
「マリカ?」
「エリン、大丈夫?あいつ本当に信じられないやつよね!ミカイルが止めてなかったら私があいつを殴ってる所だったわ!」
「おい!マリカ、団長の前で堂々と仲間の暴力宣言すんなよ!」
アルシュは慌てふためきながらマリカの言動を咎めるが、マリカは鼻を鳴らしてその矛先を変える。
「アナタもアナタよ!一体どう言うつもり?エリンが苦しんでるのに突っ立って見ているだけってどう言うこのなのよ!」
「俺だって助けたいって思ったよ!」
「あら、じゃあなんで私を止めようとしたのかしら?」
「お前を守るために決まってんだろうが!」
「そ、それど、どう言うことよ!?」
マリカの目が見開き、顔から火が吹き出しように色白い肌が赤く染まっていく。
アルシュは彼女の反応を見て、その感情に気付けずに顔を傾げる。
「ありがとう、二人の顔見たらなんだか元気になっちゃった」
落ち込んだエリンの曇り切った顔から光明が差し込み、安らかな笑みが溢れる。
「これくらい大丈夫。正直大変だけどね。あの人ったら私にとんでもない仕事お押し付けて行っちゃうんだから」
団長になれば自分の采配で人の生き死にが変わるため、その責任重圧は尋常ではない。
それに誰かを救っても感謝されず、責苦を受ける事も少なくない。
エリンはかつてザッケスが見た景色を見ることで、その壮絶さを身に感じていた。
エリンと同じ景色を見て、彼女の苦しみを知るミカイルが、彼女に頭を下げる。
「この村を救ってくれくれたのに、恩を仇で返すような事になってしまってすまない。あれでも国を思ういいやつなんだ。許してやってくれ」
「ちょっと、そんな頭を下げないでよ。これも私たち役目っていうか...」
エリンは大きく目を見開き、困惑しながら彼の肩に触れ、なんとか顔を上げてもらおうとする。
「そうよ。悪いのはあのニルバって奴なんだから。もうっ、思い出すだけでムカついてくるわ!」
「痛っ...!八つ当たりすんなよ!」
マリカは怒りを堪えきれず、隣にいた少年の背中を軽く叩いた。
アルシュはなぜ自分が痛みに堪えなければいけないのか納得できず、問い詰めるとマリカはプイっとアルシュから目を背け、シラを切ったため、青筋を浮かべた。
「くそっ....でもエリンの言う通りだぜオッサン。俺見てたから知ってるよ。アンタは村のために必死だったったことくらい。村を守ったんだから、もっと胸張ってもいいんじゃないのか?」
アルシュは見ていた。ミカイルが村人や兵士を救うために命を賭して剣を振るっていた事を。そして今は仲間への行いに謝意を感じて必死になる姿もその目で見た。
義理堅く、仲間思い。この二つの情報が得られれば、アルシュがミカイルを認めるはそう難しい事ではなかった。
「ありがとう、恩に切る。カヤール歩兵師団の団長として、この恩は必ず返す」
ミカイルは頭を上げながらもその温かな眼差しを三人に向け、救われた事を深く感謝するのであった。