35話 己の弱さ
ビヨルンが、仲間が今目の前で窮地に立たされている。マリカの体は凍りついたように動かず、ただ見ているしかなかった。
彼女は自分が、少なくともビヨルンよりは冷静なはずだと思った。剣と魔術の才能に恵まれ、強い事を自覚している。
しかし、もちろんエリンのように、自分よりも強い戦士が多くいる事を分かっているし、勝てない戦いに挑むほど、愚かではない。
いや、愚かなのかも知れない。誰よりも大口を叩いて誰よりも傲慢な態度をとっておきながら、なぜこんな時に限って体が動かないのか。
「全く自分自身が情けない。私は何度、こうやって仲間を失えば気は済むのかしら」
あの時この体が動いていれば、捨ててきた中から少しは助かった命もあったのかも知れないのに。
こんな時、アルシュならどうするだろうか。
マリカは自分の弱さに行き場のない怒りを覚え、拳を震わせる。
トルナドはゆっくりと歩を進め、意識を保ちつつも体が使い物にならなくなったビヨルンを終わらせるために戦鎚の柄を握り直す。
「よく奮闘したなビヨルンとやら。攻撃は当たらずともその熱意、しかとこの俺に伝わったぞ。褒美だ。この俺の戦鎚によって貴様の頭蓋を打ち砕き、苦しみなく冥府へ送ってやろう!」
ビヨルンは崩れかかった壁に頭を立て掛け、仰向けになりながら、静かにトルナドが獲物を振りかぶる姿を見ている。
(クソッ俺ってすげえカッコ悪い。せっかく活躍できる好機が巡ってきたと言うのに、戦果を上げられる好機が巡ってきたと言うのに、俺は結局何もできずに、このままコイツに頭をかち割られて終わりなのか...)
未練しか残らない。それでは少しも報われない。そんなロクでもない生涯があってたまるか。少しくらい幸せになったっていいはずだ。少しくらい夢が叶ったっていいはずだ。
もはや口を開けることすらままならないビヨルンの心の悲痛は目の前の敵には届かない。
「じゃあなビヨルン!当分お前の事は覚えておいてやろう!」
トルナドは戦鎚をビヨルンの顔に目掛けて振り下ろそうとしたが、微弱な刺激がトルナドの背中に伝わり、動きを止めた。
「ふん、お前は口だけかと思っていたが、やっとやる気になったか」
振り返ると、マリカが掌を構え、雷を纏わせていた。理想で言えば今の攻撃で無力化したかった所だが、横着は言うまい。
相手は敵将であり、これまで出会って来た敵の中でも類を見ない強者だ。
「私は最初からそのつもりよ」
恐怖で体が強張り、震え、怯えている。今にも泣きそうだ。しかし、恐怖している暇などない。これ以上仲間が死んでいく姿など見たくはないし、エリンを悲しませたくはない。
何としてでもトルナドを倒す。マリカの青い瞳はより一層輝きを増し、両手で剣を構える。
「良い目をするようになったな。いいだろう、では順番を変えてやる」
「マ...リカ....や....めろ....!」
辛うじて意識を保つビヨルンは必死にマリカに呼びかける。しかし弱りきったその声は彼女の元へ届く前に霧散する。
再び訪れた静寂と緊張でマリカは息を呑む。おそらく力では圧倒的に不利、技術においても劣る。それなら残るのは残存魔力を最大限に生かした攻撃しかない。
「どうした?来ないのならこっちから行くぞ」
そしてトルナドがマリカとの間合いを瞬時に詰め、戦鎚を振り下ろすが、魔力を読む事に長けたマリカは難なくこれを退避する。
「やるな、娘!」
トルナドが追撃を仕掛けるために再度マリカに間合いを詰める。
マリカはそのタイミング似合わせて地面を蹴り、凄まじい振り下ろしを回避し再度間合いを作る。
そしてマリカが攻撃を避ける度に戦鎚によって地面が砕け散り、破壊された岩石が宙に舞い上がる。
「どうした、また戦うことが怖くなったのか?」
トルナドは挑発しながら何度もマリカに目掛けて戦鎚を振り回すが回避する。
一撃でも受ければ致命的となるであろうトルナドの無常から放たれる圧倒的暴力。
マリカはその一撃一撃を紙一重で交わしながら、掌に魔力を収束させ、起死回生を狙う。
それは、トルナドに唯一届くであろう、マリカの最大の雷魔術。しかし、放てば体内の魔力の殆どを全て使い切り、命の危険を伴う。
それでもマリカはこれ以上トルナドを野放しにしておくよりはマシだと思った。もうこの男に誰も殺させはしない。
しかし、トルナドが戦鎚を振り下ろそうとしたタイミングで回避をした瞬間、トルナドは戦鎚を手放し、地面を蹴り上げてマリカに接近。拳を叩きつけられた彼女は岩肌に激突する。
「カッハッ!」
幸い魔力を体に纏い、防御した事で致命傷にならずに済んだが、敵将とも呼ばれる程の強さをもった巨軀から繰り出された一撃は、小柄な少女が動けなくなるには十分な威力だった。
足の骨が折れ、呼吸がし辛い。もはや彼女が戦鎚の脅威から逃れることなど不可能だ。
今の衝撃で溜めていた魔力も霧散してしまった。もはやこの男を倒す術はない。
トルナドは戦鎚を拾い、横に両手で持ちながら、岩肌に腰掛ける少女の元へ歩みを進める。
「ふん、結局のところ、お前は飛び回ることしか能がなかったようだな。もう少し何か見せてくれるかと思ったが、残念だ」
トルナドは期待を裏切られた事により、失念しながら戦鎚を振り上げる。
マリカは死を悟る。今この戦場で戦う仲間達への負い目を感じる。
エリンは悲しむだろう。懸命に戦ってくれたビヨルンにも申し訳がない。キルガにも助言をくれた事への感謝を伝えたかったし、アルシュにも謝りたかった。
本当に救いようがない。もっと素直にになれば違っていたかもしれないのに。
マリカは後悔の念を抱きながら自身の最期を受け入れようとしていた。
そしてトルナドは戦鎚を振り下ろす。無慈悲にも力の込められた、マリカの存在を否定するその一撃。
しかしそれはマリカの体を粉砕するには至らず、その勢いは鈍い金属音を立てながら、突然姿を現した茶色い髪で黄色い瞳の少年よって止められる。