34話 逆上
エレハイネ砦での救出戦が始まってから、夜明けの団は怒涛の快進でジルドラス軍を追い詰めて行った。
それは夜明けの団が精鋭揃いだったのか、ジルドラス軍が敵を侮っていたからなのか定かでは無いが、犠牲は出つつも、勝利は目前にまで控えていた。
「お前ら、この門を絶対に開けさせるな!」
「なんとしでても死守するぞ!」
馬に跨るエリンが目指す門を前に、幾重にもなる数十の敵兵が彼女の行手を阻み、あわよくばその首を狙う。
「どきなさい!」
しかし、彼女は自身の長剣を横に突き出し、風の魔力を込める。荒々しく剣の周囲に吹き荒れる青い光を帯びた風。
エリンはそれを横に振る事で、凄まじい暴風を引き起こし、敵の肉壁を弾き飛ばす。
敵兵は剣も交える事なく、なす術なく吹き飛ばされ、薙ぎ倒されて行く。その事に彼女は違和感を感じていた。
「おかしい。今回の戦いが簡単すぎる。いや、あまりに手応えがなさすぎる。そもそも敵将はどこなの?それに、これだけ騒ぎを起こせば門が開いたっておかしくないはずなのに...」
いくら相手がエリンとはいえ、呆気なさすぎる。彼らの中には逃げ出そうとする者も紛れ込んでいる。まるで初めから戦うつもりなど無かったかのように。
それに、門は開戦から変わらず硬く閉ざされている。援軍が来れば、外側と内側で攻める事により、敵を一網打尽にすることだって出来るはずなのに、門の扉は開かない。
エリンの中に潜む胸騒ぎが治るどころか徐々に肥大化し、そして現実の物となる。
「オオオオオ!!」
敵のものと思われる巨大な歓声が聞こえた。何かを成した喜びの声。エリンは門から首を後ろに向け、許容し難い光景に目を見張った。
何かが赤い血をばら撒きながら空を舞っている。人だろうか。短い黒髪を靡かせ、頭部に獣の耳を生やしている。かつて共に、酒場で腹の底から笑い合った獣族の青年が。
「キルガ!!」
エリンは踵を返し、キルガが落ちた場所と思われる地点へ目指すために、地面を蹴り上げる。
「行かせるか!!」
しかし、二十人もの敵が彼女を取り囲む。ジルドラス軍にとってエリンは難敵であり、多額の懸賞金まで賭けられている。そんな彼女が仲間の窮地を悟る事で取り乱したのだ。このような好機を見過ごすはずがない。
「ついに取り囲んだぞ!いくら貴様といえど、数でかかれば恐るに足りん!」
ジルドラスの兵士達は勝利を確信した。もはやこのエリンになす術はない。上玉であるため、少し勿体無い気はするが、この女を殺す事で富がたんまりと手に入る。彼らに躊躇いはなかった。
しかし、エリンは急いでいる。キルガは優しい性格の持ち主だ。
仲間思いで、いつも明るく振る舞っていた。緊迫した場の空気であれば、懸命に和ませようとしてくれた。
エリンはそんな彼を心の底から仲間だと思っているし、かけがえのない存在だ。そんなキルガが危険な状態であるというのに、敵兵は価値構わず、彼女の行手を阻む。実に不愉快だ。
彼女は顔を怒りのままに歪めたりはしなかった。しかし、周囲の敵に憂いた視線を送る。静かでありながら激しくもある彼女の冷たい怒りはやがて魔力となって、長剣に込められ、そしてエリンは一言放ち、刃を振るう。
「邪魔」
その瞬間、爆発にも似たような突風が周囲の敵を弾き飛ばし、八つ裂きにした。エリンが怒りのままに振るった全力の一振りは、もはや災害と呼ぶに相応しい。
そして道を切り拓いたエリンはキルガの元へ向かう。仲間を悲しませないため、そして再び彼と笑い合うために。
マリカとビヨルンは二人でどれだけの敵を討ち取っただろうか。恐らく百人は討ち取ったはずだ。しかし、首を狙う兵士達は、どれだけ倒しても減る事はなく、むしろ増える一方だった。
さすがの精鋭の二人にも疲れが見え始める。ビヨルンの息は上がり、マリカの残存魔力も半分を切った。
しかし、それでも終わりの見えない戦いは彼らの心をも蝕んでいく。
「ハァッ...一体どれだけいやがんだ?」
「知らないわよ!ザッケス団長は千人って言ってためど...」
「千人だと?冗談じゃねえ、いくら鍛えたってそんなに相手にできねえよ!」
うっかり吐いた弱音にビヨルンは自分を恥じた。こんな事を言うために今まで鍛えて来たわけじゃない。こんな事を言うために、俺は強くなったわけじゃない。
「おっとすまん、今のは失言だ。忘れてくれ」
マリカがその弱音を指摘しようとする前にビヨルンは彼女の顔に掌を向けて訂正する。
「確かに数ではあっちが上だが、幸い実力では俺たちの方が上だ。エリンは門へ向かって行った。恐らく門を開けてくれるはずだ。それまでに俺たちは、時間を稼ぐ」
「ふん、分かっていればいいのよ」
そして、マリカとビヨルンは武器を構え直し、互いに背中を預けながら、周囲の敵を相手にしようとしていた。
「ほう、随分と気骨の座ったガキどもだ。先程の獣族の青年よりかはまだ楽しめそうだな。お前たち、道を開けろ。こいつらは俺が貰う」
力強く太い声が聞こえると、肉の壁を作っていた兵士達はざわめきながら道を開け、包囲を解く。すると、胸元が竜の装飾で彩られた白銀の胸当てを装着し、黒い髪を逆撫で、先端を血で赤く染め上げた戦鎚を肩に担ぐ大男が姿を現す。
「あいつ、敵将か...?」
「分からない...でもあいつは別格よ」
「そんな事は俺にも分かるぜ。あいつが現れた瞬間、体中から急な寒気とヒリヒリするような痛みが止まらない...!」
大男は不敵な笑みを浮かべ、小さなガキど二人を見下ろし、まずは称賛の声を届ける。
「大したもんだ。そんな小さな体でその武力、その魔力量。誇りある竜族の戦士がガキ二人に遅れを取っているって報告を聞いていたが、全く世界っていうのは面白い。そして正解だ。俺はこのジルドラス遊撃隊を率いる隊長、トルナドだ」
トルナドが肩から戦鎚の先を地面に下ろし、構えると、二人に途方もない恐怖感が襲う。
濃厚な魔力が彼の体内から溢れ出ている。際限無いとも思えるその魔力は戦場の空気をより重たいものとし、体全体がその場にとどまる事を拒否しているかのようだ。
「嘘だろ...?こんなのありかよ」
「言ってたでしょ?相手は敵将。これくらいじゃなきゃ、張り合いが無いわ...」
マリカは意地を張ってみせるが、内心では万全の状態で二人で挑んでも勝てるかどうか分からないと考え、格上の敵を相手にするには魔力を消耗しすぎた事を自覚している。しかし、それでも彼女は青い瞳に光を宿し、剣を構える。
「ビヨルン、あなた言ってたでしょ?エリンは絶対に門を開けてくれるって。そんな事言われたら、信じるしかないじゃない!」
マリカは怖気ずくビヨルンを横目にトルナドを見上げ、鋭い眼光を放つ。
「ほう、これだけお前たちに力の差を見せつけたと言うのに、まだこの俺に立ち向かう気でいるのか?面白い、先程の獣族のガキのようにこの俺を失望させるんじゃないぞ?」
直後、トルナドの言葉に何か違和感を感じた。獣族のガキ?この戦いに参加する獣族の兵士は五十人と少人数であり、その中でガキと言われれば自ずと見当はつく。
ビヨルンはゆっくりと口を震わせながら開き、恐る恐るトルナドに問いかけた。
「ちょっと待て...ちなみにその獣族はどうした?」
「無論殺した。蝿のように目障りだったんでな」
マリカは言葉を失い、凍りつく。目を大きく見開き、剣の柄を手放しそうになった。
「う、嘘よ...」
ここに来る道中では、この戦いを生き抜けと、生意気にも、仲間として自分に指図していたキルガが死んだという事実など受け入れられるはずもない。
直後、ビヨルンは眉を寄せながら大きく目を見開く。体中にメラメラと燃えるような熱が籠る。瞳は緋色に輝き、両手斧を握る拳に力が入る。唇を噛み締め、口元からは赤い血が垂れる。
「あいにく、そいつは俺の連れだ...」
「だからなんだと言うんだ?ここは戦場だ。友情などいらん、必要なのはただ純粋な力。そうだろ?」
相手は自分では叶わない強敵。しかしビヨルンは、自身を抑えられない。力の差など最早重要ではない。イラズラに友を弄び、そして死に追いやって尚自身を正当化するこの男の傲然たる態度に我慢がならなかった。
「ぶち殺してやる...」
「ビヨルン!待って!」
マリカの制止も已む無く、ビヨルンは全力で地面を蹴り上げ、両手斧に最大限の自分の魔力を込めながら、トルナドに攻撃を仕掛ける。
怒りに任せたビヨルンの業火を纏った一撃がトルナドを襲う。全力で振り下ろされた刃がトルナドの胴体を斜めに焼き切ろうとしていた。
しかし、トルナドによって上から軽く振り上げられた戦鎚がビヨルンの全力の一撃を弾き返す。
「どうした?お前の怒りなんて、そんなものか?」
「まだだぁっ!!」
ビヨルンは怒りを纏いながらも冷静にトルナドの弱所を狙い、必死に斧を振るう。しかし、どの攻撃も容易に防がれ、まるで届く気がしない。
敵を燃やし尽くさんとする怒りを纏いながら攻撃を仕掛けるビヨルンとは対照的に、トルナドの涼しい表情からは手を抜いているとさえ感じられる。
「....っ!」
しかし、ビヨルンが放った渾身の力で振った斧を防いだ事でトルナドはわずかな怯みを見せた。
ビヨルンはその瞬間を逃さずに、斧を振り下ろす。
「貰ったああああ!!」
「甘いな」
「!?」
しかし、トルナドは怯んだと思わせて、ビヨルンの真っ向切りを戦鎚を構えて軽々と回避する。
そして大きな隙を作ったビヨルンの腹部に目掛けてトルナドは戦鎚に紫光を纏い圧縮した上で振るう。
その瞬間、ビヨルンは魔力で体を防御したが、鉄塊が腹部に直撃し、そのまま弾き飛ばされて、砦の壁に激突する。
「ビヨルン!」
仲間が今から殺されそうになっても、マリカはそれをただ震えながら、それを見ている事しかできなかった。