33話 団長の意地
「キルガがやられたぞ!」
味方の兵士たちはうつ伏せになったまま動かないキルガを見て、隊長と呼ばれる大男に剣を構える。
「ふん、どいつもコイツも威勢がいいな。そうでなくてはつまらん」
大男は不敵な笑みを浮かべ、戦鎚に柄を広く持って、先端が後頭部の後ろに来るようにして構える。
誰もが息を呑む。俺じゃ、あいつに殺されてしまう。だが、今は仲間がいる。数で掛かればなんとか倒せるはずだ。
僅かな希望を胸に、夜明けの団の兵士たちは獲物を構え、戦場に束の間の静寂が現れる。
「来い」
「うおおおおおおお!!」
大男の一声と共に、戦士たちは自分を奮い立たせるかの如く、唸りを上げながら大男の喉元に刃を突き立てるために地面を蹴る。
覚悟しやがれデカブツ。キルガを酷い目に合わせた事を後悔させてやる。
そして誰しもが大男の男を切り捨てようと刃を振るおうとした瞬間、彼らの肉が弾け飛んだ。
「え?」
何が起こっているのか理解ができない。随分と晴れ渡ったいい空が見える。どうやら体が軽く宙に浮いているようだ。しかし言うことを聞かない、いや感覚がない。
そしてその兵士は唯一動いた眼球で足元を見て目を見開いた。腹部より下がない。まるで食いちぎられたかのように痛々しい傷を残して。
大男は戦鎚を振い、夜明けの団の兵士二十名を一瞬にして蹴散らし、肉片にして見せた。唐突に現れ、戦場の強者を一瞬に葬ったそれはまるで死の嵐とも呼べる存在。
「ひ、ひぃ〜!」
「冗談じゃない!あんな化け物相手にできるか!」
威勢のあった夜明けの団の兵士達は得体の知れない大男に腰を抜かし、背中を向ける。
「おいおい、何も逃げる事はないだろ。せっかく戦場に来たのだ。命の賭けあいをしようじゃないか!」
大男は必死に逃げ惑う敵の頭を戦鎚でスイカのように次々に叩き割っていく。
ハンスは迫り来る死に恐怖しながら必死に手を振り、足を振るったが、その大男のスピードには叶わない。
「お終いだぁ〜!」
大男は戦鎚を振り上げ、無言のままハンスを叩き潰そうとしたが、瞬時に現れた刃に気付き、これを防ぐ。そして力強い一撃は大男の戦鎚の柄に打ち付けられ、金属音を放つと共に、仰け反らせた。
「今の攻撃。なかなか良かったぞ」
「そうか、あんたにそれを言われるとは光栄だ。化け物め」
色白の肌に赤茶の髪を逆撫でたその男は畏敬の念を込めて大男を罵る。
「だ、団長?」
「ハンス。どうやらまだまだ魔術の修行も戦場への覚悟も足りていなかったみたいだな。とにかく死にたくなければ、今はこの場から離れろ」
「は、はい!」
ザッケスは槍を構えて先端を男に向ける。その眼差しからは憂いと、仲間を奪われた怒りから来る殺意が大男へと向けられる。
そして低い声で感情を押し殺しながら、ザッケスは口を開く。
「貴様、トルナドだな?」
「如何にも、よく分かったな。ジルドラス軍遊撃隊隊長のトルナド。お前はカヤール軍傭兵師団団長ザッケスだろ。仲間を多く失って機嫌が優れないようだな」
トルナドは余裕の笑みで敵の感情を揺さぶりを掛けようとする。
ザッケスは仲間を殺しておいて笑顔を見せるこの男の挑発に乗せられまいと、平静を保とうとするが抑え切れず、心の傷口から、感情が外側に漏れ出す。
「お前をこの戦場で知らないやつなんていないだろう。トルナドといえば、村を次々に襲い、不必要な殺しまで行う異常者だ」
「ザッケスよ、これは戦争だ。無駄じゃない。必要な事だから仕方なくやったんだ。ジルドラスの国民達はお前達を恨んでいる。我々もこれまでに多くを失って来た」
「仕方のない事だと?それにしては、随分と楽しそうに見えるが」
トルナドの顔の口元が引き攣り、不気味に微笑む。それは仕方がないからやっている、という表情には見えない。
虫の羽や足を毟り取るのが楽しくて仕方がない。まだ遊び足りないと言った子どもじみたような邪悪さがこの男からは伝わってくる。
「ゲスめ」
「来いよ」
ザッケスは槍をトルナドに向け、大地を蹴った。その図体からは想像もつかない俊敏な速度でトルナドの元まで走り抜け、トルナドの首に狙いを定めて槍を放つ。
しかし、トルナドは戦鎚の柄で突きを受け切り、鈍い金属音が響き渡る。
「いい突きだ」
「まだまだぁ!」
今の突きは遅いから防がれた。もっと速く、も、正確に、奴の反応が間に合わなくなるほどに何度も突く必要がある。
「うおおおおおおお!!」
急所を狙った怒涛の連打。頭部、首、胸、肩、足、腹部、陰部、一撃でも当たれば致命的となり得るザッケスから放たれた一撃一撃は、トルナドの戦鎚によって鈍い金属音を立てながら無力化されていく。
「なんだと...!?」
「技は悪くないが、力がイマイチだ。速度が足りん」
その余裕の笑みに動かされる様にザッケスは槍を右に振るうが、戦鎚によって防がれ、トルナドの拳がザッケスの腹部にめり込み、膝をつく。
「どうした?あまり失望させるなよ。夜明けの団を引っ張って来た団長の実力はこんなもんなのか?」
圧倒的な実力差を見せつけられ、今にもザッケスの自信は消え失せそうだった。
彼は今まで武術の鍛錬を怠って来たわけではないし、それなりの自負はあった。
しかし、それでもどうやら眼前に迫る男からすれば、どうやら自分は凡人に過ぎなかったらしい。
「勝たねばならんのだ。俺がここで下がれば部下たちに示しがつかん」
ザッケスは地面に槍の柄の先端を突き立てて立ち上がり、ゆっくりと構えて、トルナドの胴体に狙いを定める。
「俺は夜明けの団団長だ。覚悟しろトルナド!貴様を打ち取るのは、この俺ダアアアア!」
ザッケスは踏み込みを入れ、トルナドに向けて突進し渾身の突きを放つ。誇り、尊厳、命、全てを賭けた団長としての覚悟の一撃。
それは真っ直ぐに直進し、トルナドの胸元を穿とうとしたが、届くことはなかった。
トルナドは左にそれて回避し、槍を掴む。
そして、ザッケスの肘関節に戦鎚を振り下ろした。
「ぐあ.....っ!!」
戦場に片腕をもがれた団長の血が風に乗って吹き荒ぶ。傷口からは血が止まらず、ザッケスは必死に残った片手で塞ぐ。そして額から冷や汗を垂らしながらトルナドを凝視する。
「さすがは夜明けの団の団長だ。片腕を失っても叫び声ひとつ上げないとは」
「殺すなら殺せ。利き腕を失った今、もはや俺に勝ち目はない。ここに来た時から、死ぬ覚悟はできている」
命運は尽きた。トルナドは竜族の戦士の中でも隊長に上り詰めるほどの猛将。欠損した体では、もはや勝ち目がない。ザッケスは瞑目し、膝をつく。そして自身の頭部に戦鎚が振り下ろされるのを待つ。
「いや、興が冷めた。やめておこう」
ザッケスは目を見開き、顔を上げた。そして自分の耳を疑う。
「なん、だと?」
「命とは、求められるから価値があるのだ。だからこそ壊し甲斐がある。命を捨てたお前など殺すに値しない。お前の相手など、雑兵で十分だ」
そう言ってトルナドはザッケスの期待を裏切り、背中を向ける。
「ふざけるな!この俺から片腕を奪っておいて尚、恥をかかせる気か!?」
「貴様の配分など知らん。俺は忙しいんだ。せいぜい見ているがいい。お前の仲間が必死に足掻きながら崩れ去って行く様子をな」
「ま、待て...!」
ザッケスはトルナドを追跡しようとしたが、片腕の欠損部分からの出血により、その場に止まらざる負えなかった。
やがてトルナドの姿は戦乱による土煙の中に消えて行く。惨めな姿を晒すザッケスは唇を噛み締めて己の弱さを恨んだ。