31話 兵士たちの憂鬱
朝に拠点を出発した夜明けの団500人は列をなして森を進む。
森の中は昼間であるにも関わらずに薄暗く、霧が濃い。足場には木片や丸太が倒れ、彼らの行手を遮る。そして聞き慣れない鳥の鳴き声が彼らの心に不快感を宿し、兵士たちからは不満の声がもれていく。
「ずっと森の中だぜ、まだ着かねえのか?
「もしかしてこの森のどこかに敵が潜んでるんじゃないだろうな」
「お前っ怖い事言うんじゃねえよ!」
群青色の髪を結び、いつもの黒いドレスの上から鉄の胸当てを着用しているマリカは、馬に跨り、手綱を両手に握りながら兵士たちの不満にため息を溢す。
「全く、兵士のくせにどいつもこいつも。少しは忍耐力ってものがないのかしら」
ちょうど横にいた鎖帷子の上にレザーアーマーを着用しているキルガは手綱を引きながら「無理もないさ」とマリカに返す。
「この森に入ってからと言うもの、かなりの時間を経過している、しかもこの魔力濃度だ。俺も正直気分が悪くなって来たよ。むしろこれで一切精神に影響を受けないマリカの方がどうかしてるんじゃないか?」
「あらそう?私は体内から生成される魔力の濃さを空気中の魔力の濃さと同じにしているだけなのだけど」
「流石天才だよ。それがみんな出来ればみんな苦労はしないっての」
さりげなく才能を自慢して来たマリカに、キルガは皮肉で返した後、話題を切り替える。
「それより、マリカはなんでビヨルンとアルシュを止めてやらなかったんだ?お前、あいつのツレだろ?大体、アルシュが地下牢に連れてかれたのもあの喧嘩が原因なんだぜ?」
ビヨルンの言葉にマリカは頬を赤く染めて、慌てふためきながら否定し、その勢いで自分の心の奥底にあった真相を吐露する。
「あ、あんなやつ友達でもなんでもないわよ!あいつ、最近調子に乗ってたからムカついてたのよ。その挙句、弱いくせにこの作戦に参加したいだなんて....だから一度痛い目に遭えばいいと思って見てたら....まさかあんな事になるなんて...」
自身の呵責により、マリカの口調が後半から辿々しくなって行く。
本当は救うべきだったのだろう。しかし、エリンよりも上の立場であるザッケス団長が関わっている以上、口を出す事すらできなかった。
迂闊な言動によって自分を大切に育ててくれたエリンの顔に泥を塗る事になる。マリカはそれが怖かった。
キルガは肩をすくめてマリカの言葉にため息を漏らし、静かに彼女を正そうと
「俺だってあいつを助けてやれなかった落ち度はあるさ。でもお前なぁ、いつまでも意地張ってるんじゃねえよ。自分の方が強いとか、ムカつくとか、そんなの関係ないだろ」
キルガの分かりきったような口調にマリカは苛立ちが込み上げ、怒りを吐き出す。
「意地なんて張ってないわよ!そもそも...あいつが生意気だから...」
「はいはいそうだよな、じゃあお前はあいつの事が大嫌いでいなくなって欲しいって事でいいんだよな」
「べ、別にそんなんじゃ...」
キルガの質問にマリカは言葉を詰まらせ、恥じらいながら小さく否定した。
「ほら、やっぱり『そう』って言えねえじゃねえか。お前はアルシュを仲間だって認めてるんだよ。まぁそうだよな。一緒の寮に住んでていつも一緒に剣の稽古をしてるくらいだ。俺だってあいつを仲間だって思ってるのにお前が思わないんじゃおかしいって話だよ」
「一緒の寮にいる事は関係ないでしょ!?」
マリカは頬を染めて話が脱線しかけた事を指摘しつつも、アルシュを仲間だと言う事実は否定できなかった。
「じゃあ、私一体どうしたら...」
「まぁ、アルシュもビヨルンもバカだったし、あの状況じゃ仕方がなかったと言えばそれまでだけど、まずはこの一戦を生き抜いて、次にあいつに会ったら謝っとけ。お前にできる事はそれだけだ」
次はあるのだろうか。エレハイネ砦はカヤールにとっての要ともなる拠点。つまりこの戦いは激戦となる事が予想されている。この戦いを生き抜けるのかどうかは、自分を天才だと自覚する彼女ですら分からない。
「でも、生きなくちゃいけない。エリンのためにも」
「当たり前だ」
マリカとキルガが話している間に、森の向こうに光明が現れる。
「やっとこの森から出られるぞ!」
「ははっ!やったぞ!」
しかし、この森を抜ける理由はエレハイネ砦の救出。即ち、ここからが戦いの始まりである。
ザッケスは五百人に静止の指示を出し、闊歩していた兵士たちは動きを止める。
「同胞たちよ!ここから先はエレハイネ砦へと続く斜面に繋がっている!しかし迂闊に敵に姿を現せば恰好の的となるかもしれない!よって作戦通りだ。ここからは直進せずに右に迂回する。そして森の茂みを利用して姿を眩ませながら敵に接近するぞ!」
兵士たちは肩を落とす。ようやく暗い森から出られると思ったにも関わらず、まさか出口に広がるのが戦場であるとは。
「全く、分かってはいたががっかりもいいところだぜ」
「やっと光が見えたと思ったら、そこが戦場だなんてな」
エリンはそんな兵士たちを見て、ザッケスに懸念を告げる。
「ねえ、大丈夫?みんな随分と疲れているみたいだけど」
「構わん、たかだか半日移動したくらいで使い物にならなくなる兵士などいらん」
「そんな言い方ないでしょ?みんなあなたの仲間なのよ?」
「エリン、今回の戦いがどれだけ大事か分かっているのか?エレハイネ砦を落とされればジルドラスは優位性を高め、拠点群などたちまち奴らに滅ぼされてしまうんだぞ?こうしている間にも、砦内の僅かな食糧は底をつき始めている。俺たちは急がなければいけない。絶対に勝つためにもな!」
冷酷にも感じたザッケスの言葉は正しかった。この戦いに敗北は許されない。
カヤールの勝利のためにも、仲間を守るためにも、そしてマリカやアルシュのような悲惨な運命を辿る子どもたちがこれ以上現れないためにも。
しかし、彼らは招集を受けた時の勢いを失っている事は否定できないのも事実だ。一年近く戦を経験していなかった事によるブランクからの弱体化。
常に危険に警戒しながら森を進んだ事による精神的な疲労。そして戦いへの恐怖はゆっくりではあるが、確実に彼らの心を蝕んでいた。
しかし、ビヨルンは戦う事を待ち望んでいた。彼は馬には乗らず、悠々と憂鬱を抱く足取りの重い兵士たちを追い抜いて行く。
「おいビヨルン、いつもはあんまり元気ないくせに、お前よくイキイキしていられるよな。今から戦争なんだぜ?怖くないのかよ」
ビヨルンは肩をすくめて、怯えている兵士に疑問を投げかける。
「は?何言ってんだ?逆にアンタらは嬉しくないのかよ。やっと好機が巡って来たって言うのに」
「好機ってなんだよ」
「名をあげるチャンスに決まってるだろ!俺はそのために今まで鍛えて来たんだ。俺はこの戦いで名が上がるって考えただけでも燃えるぜ!」
その兵士はビヨルンが頭が魔力濃度で狂ってしまったのではないかと懸念している。
しかしビヨルンは本気だった。
磨き上げて来た武芸には自信があったし、天才と呼ばれるマリカにも引けは取らないと自負していた。
「激しい戦い?上等じゃねえか!あの人に振り向いてもらう為にも、俺は負けられねえ!」
そしてアルシュという競合がいなくなった今を好機とし、功績を獲得するためにもビヨルンは意気揚々と戦場に望む。