30話 牢から見えた窮地
アルシュは夜明けの団の拠点の村を離れ、表情に不穏を浮かべて汗を向かい風で吹き飛ばしながら木々の生い茂る森の中を乗り慣れない馬で駆け抜けて行く。
「頼む...!間に合ってくれ!」
しかし、ふと疑問に感じている。なぜこんなにも気持ちが落ち着かないのか。なぜ急いでいるのか。しかし、彼は疑問に向き合うこともせず、ただひたすらに森を駆け抜ける。
そしてアルシュは奥に待ち受ける光明を抜け、その光景を見つめながら唇を血が出るまで噛み締めた。腹に力を入れ、震わせた。
「なん...だよ....これは....!?」
眼前に見える森を切り開いて作られた堅牢だったはずの砦には火の手が上がり、その道中では五つの頭の龍の紋章を掲げた戦士たちが咆哮している。
その足元にはかつて共に酒場で笑い合ったエリンやキルガ、ビヨルンだったと思われる物が転がっていた。
「クソ....っ!そんな、なんで...!」
かつて、共に笑い合った仲間の死を見て、アルシュは膝をつき、言葉にならない唸り声を絞り出す。
しかし、遺体の確認ができなかったもう一人の姿が確認できない。
「あいつは....マリカはどこだ!?」
アルシュは砦へ続く斜面を駆け抜ける。しかしなぜかジルドラスの兵士たちはアルシュを見向きもしない。
そしてついに門前に辿りつくと、憂いた表情のマリカが地面に膝をついており、その彼女に向けて、大柄の男が戦槌を振りかざしている。
「マリカ!!何やってんだ!!」
アルシュは叫びながら彼女を全力で救い出そうと馬を加速させるが、鉄槌が振り下ろされる方が早そうだ。
「間に合え!間に合え!前に合え!間に合え!!」
そしてマリカの姿へ接近し、アルシュは手を伸ばす。
そこでマリカはゆっくりと虚な眼差しをこちらに向ける。
拠点では決して見せなかった彼女の失望を宿した表情から見える青黒い瞳は、アルシュの心に深く突き刺さる。そしてマリカは張りのない声で弱々しく呟く。
「アルシュ...」
「マリカ!!」
その直後、巨躯の兵士はマリカに鉄槌を振り下ろし、目の前で最後の仲間が肉片とかした。
「うわぁああああ!!」
その叫声と共に硬い地面で横たわっていたアルシュは体を勢いよく起こした。身体中が汗でびっしょりと濡れており、息が切れている事から、自分がうなされていた事がよく分かる。
「夢...だったのか?...っ!」
何やら激しい頭痛がアルシュの思考を鈍らせるが、徐々に最後の記憶を思い出す。
「集会場から連れてこられたんだっけ...ここは、地下牢か?」
その場所には見覚えがあった。正方形の狭い空間で声がよく響き渡る。薄暗い中、眼前には鉄格子が並び、向こうに見える扉への行手を阻む。
「にしても、あの夢は一体...」
不思議な夢だった。五感がハッキリと感じられ、一つ一つの場面に対する記憶が昨日の事よりも明確に刻み込まれていた。
「俺は、どこに向かってたんだ?」
アルシュは夢の中で見た惨状を思い出す。拠点を出て確か森の中を馬で駆け抜けていた。拠点からどうやって出たのかは覚えていないが東の方角、道筋が全てアルシュの記憶に残っている。
「東ってエレハイネ砦のある方角?って事は...」
いや、待て。そんなはずはない。夢で見た事が現実で起こりうる筈がない。
「大丈夫だよな...」
アルシュは仰向けに寝そべり、木の天井を眺めたが、掌を掲げると、震えている事に気付く。
。そして鼓動が高まっていく。
「まさか...」
こうした不可思議な夢を見たのはこれが初めてではない。ジルドラスの監獄で見た夢では実際に殴られた痛みも同じだった。
アルシュの不安は徐々に強まり、やがて彼から穏やかさが乖離して行く。
「みんなエレハイネ砦に行ったのか?だとしたら...まずい!」
仲間が死んでしまうかもしれない。信じられない事だが、アルシュの中でその疑問が確信へと変わって行く。
「でも、一体どうすれば..!」
アルシュの心が不穏に掻き乱されているにも関わらず、牢屋に閉じ込められ、鉄格子が彼の行手を阻む。
アルシュが体を震わせていると、扉が静かに不快な音を立てながら開き、獣の耳を生やした中年の髭面の男が後頭をボリボリと掻きながら入ってくるのが見える。
主戦力が現在村からいない事もあってか、いつでも戦えるように胴体には鎖帷子と鉄のアーマーを装着したその姿は、見張と言うには重装備だった。
「うるせえなぁ、大人しくしとけ。ザッケス団長からお前を見張るように言われてんだ!」
彼は小皺の入った釣り目を細めてアルシュに注意を促したが、アルシュはびくともしない鉄格子を掴み、夢から感じ取った不吉な趨勢をその男に訴える。
「頼む!ここから出してくれ!夢で見たんだ!このままじゃザッケス団長だけじゃない!エリンやみんなが殺される!俺をどうにかする所じゃなくなるんだ!」
「はぁ?何言ってんだ?たかだか夢で見た内容を俺に信じろって言うのか?ケッ、笑わせんな。夜明けの団を舐めんなよ。兵士は皆精鋭揃い。特に副団長って言われてるエリンさんは敵三十人分の実力に匹敵するって噂もあるくらいだ。そう簡単にやられるかよ」
「エリンが強いなんて、弟子の俺ならよく分かるさ!だがな、今回の戦いは厳しいなんてもんじゃない!最悪の場合、お前たち全員がこの場所を失って同じ運命を辿ることになるぞ!それでもいいのか!?」
アルシュは自分の見た夢が現実に起こりうる事を確信しており、前屈みになりながら鉄格子を揺らし、何度も訴えかける。
「戦い方も知らねえガキが、いい加減にしろよ?それ以上夜明けの団を侮辱してみろ、俺がお前にそれを証明する事になるぞ?」
この男はダメだ。まるで話を聞こうとしない。アルシュは話し合いでこの地下牢から出る事が一番だと考えていたが、その望みは脆く崩れ去った。
「クソッ....舐めやがって...!」
「じゃあな、静かにしてろよ?そのうち飯でも持って来てやるからよ」
そう言って見張の男は地下牢を後にすると、アルシュは鉄格子から手を離して牢屋の隅で丸まるように座り込んだ。
「一体どうすれば」
味方が窮地に立たされているかもしれないと言うのに、ここから出ることも許されないとは。
どうにかここから出る方法はないかとアルシュは考える。一瞬、鉄格子を壊せないかとも考えたが、無論びくともしない。
石の壁は硬く、仮に破壊できたとしてもここは地下牢だから、その向こうには地中が広がっている。
「早く、出ないと...!!」
時間は刻一刻と過ぎて行く。このままでは手遅れになる。アルシュの心は焦燥感に駆られ、もはや体の強張りは緩まる事を知らない。
そんな中アルシュは強引な賭けを思いついた。
「ここから出るには...これしかない!」」
しかしそれはあまりにリスクが高く、自分の命を賭ける事になるが、仲間たちを救う事を優先とするアルシュに躊躇いはなかった。
その後、アルシュが牢屋の隅で蹲っていると先程の男が食事を持ってくる。
「ほう、大人しくなったみたいだな!よしよし、その調子なら団長に許してもらえるかもな」
いい加減な軽口を吐き捨てるその男は、牢屋の隙間から木の盆の上に乗ったパンとスープを滑りこませてアルシュに届けるが、彼は一切手をつけようとしない。
「どうした?なんで食おうとしないんだ?それじゃあ団長が戻ってくる前に死んじまうぞ?」
「厠に行かせてくれ」
アルシュが必死に考えた脱出方法は非常にシンプルなものだった。扉を開けた瞬間に男に襲いかり、逃亡する。
しかし、アルシュは無防備のため、こちらが殴りかかる前に見張りの男が脇差から咄嗟に刀を引き抜けば叩き切られる可能性があった。
不穏な汗がアルシュのこめかみを流れ落ちる。
「はっ!俺がそんな手に乗ると思ったのか?バカにするのもいい加減にしろよ?クソくらい牢屋の中で出しとけ!」
なんの捻りのない少年の企みに、見張の男は微笑し、冷ややかな視線を向けた後、体をドアの方へ向けていた。
「俺に襲われるのが怖いのか?知ってるぜ?あんた、俺が捕まる時に群がりの中でビビって動けなかっただろ?そんなんだから戦いに行かせて貰えねえんだよ!」
その言葉を聞いて扉へ向かおうとする見張の男の体がピクッと止まる。
「お前みたいなクソガキを俺が怖がっているだと?舐めやがって、少しは分からせてやらないと大人しくできないみたいだから相手をしてやるよ」
そして眉に皺を寄せ、青筋を浮かべたその男はゆっくりと振り返り、鉄格子に近付き、鍵を開けた。そしてその男はアルシュを恐れていない事を証明しようとする。
相手は竜族とはいえ、所詮は少し前まで稽古もせずに戦場を彷徨っていた死に損ないのガキにすぎない。
「これでも喰らって大人しく寝てやがれ!」
見張の男は自分にそう言い聞かせてアルシュに拳を振おうとしたがその前に少年の拳が無防備だった顔に叩きつけられた。
「ウグッフゥ!」
「別に悪気はねえんだ。でもごめんなおっさん。俺、行かなきゃ行けないんだ」
そして地面で倒れ込んだ男から剣を奪って背中に背負い、アルシュは牢屋の向こうの扉を開けた。
そして地下道を抜けて階段をかけあがり、ようやく地下牢の扉を出ると、日差しの光が目に注がれ思わず、手で隠しながら駆け抜ける。
「早く、行かないと...!」
やっと地下牢から脱出する事ができたはいいが、問題は残っていた。
村に残った衛兵たちがいつもより活発に村を巡回している。おそらく戦力が村を離れて手薄になっても不足の事態に対応するためだろう。
至る所に衛兵たちが彷徨いていると言うのに、門はさらに厳重だろうとアルシュは考る。
そこへ衛兵がアルシュの存在に気付き、大声を上げる。
「竜族のガキが逃げたぞ!取り押さえろ!」
「しまった!見つかった!」
アルシュは門に向かってガムシャラに地面を蹴り付け、疾走する。
ここで捕まるわけには行かない。アルシュは追っ手から逃れるつもりで兎に角全力で足を動かす。
しかし、馬に乗った衛兵がが圧倒的な速力でアルシュの速度を凌駕し、優々と距離を詰めてくる。
その馬は全身が馬鎧で覆われており、重く思われるはずの体に光を纏い、凄まじい速度で必死に逃げ惑うアルシュ目掛けて接近する。
「捕まえたぞ!往生際の悪い竜族のガキめ!」
「クソッ!捕まってたまるかぁ!」
「グアッ!?」
しかしアルシュは馬に跨る兵士と同じ高さにまで跳躍。それから体を旋回させて少年の力とは思えない程の力で番兵の体を突き飛ばし、叩き伏せた上で馬を奪って逃走。そして門をに向かって一直線にその場を去る。
落馬したものの、辛うじて意識のあった番兵は、見張の兵に向かって叫ぶことで警鐘した。
「おい、そっちに向かって行くぞ...‼︎」
衛兵達は周囲の警戒のために偶然にも門を開けていた。衛兵は全速力で向かってくる馬に乗る少年を見てたじろいでいる。
「何をやっている!早く閉じろ!」
「ダメです!間に合いません!」
「と、止まれ!このままじゃぶつかるぞ!!」
衛兵達は必死にアルシュ止めようと、立ちはだかるが、距離を落とすどころか加速して行く。
「こうなったら何としてでも止めるぞ!魔力弾を放て!」
「でも、後ろには民家が広がっています!撃てば甚大な被害が...!」
衛兵たちが揉めている間に、馬を走らせる少年は凄まじい勢いで門の手前にまで接近している。
「いっけええええええ!!」
「ダメだ!ぶつかるぞ!うわああああ!!」
門兵たちは判断に躊躇う間にも猛進する馬が迫る。激突を避けるため、彼らは已む無く左右に跳ねる事で回避。そしてアルシュは門の突破を果たした。
「逃したか...!クソっ...!」
衛兵の一人が馬に乗った少年を取り逃した事で、表情に悔しさを浮かべて門の入り口の壁に手の甲を叩きつけた。
「待ってろよ!みんな!」
拠点から脱出する事に成功したアルシュは、エレハイネ砦へと向かう。仲間を救うため、そして自分自身が前に進むために。




