29話 求められない闘志
それから翌日の日が傾き掛けた頃。マリカが言う通り、ザッケスの声によって村中の兵士が集会場に召集される。
アルシュもマリカに負けまいと、強者達の集いへ足を運ぶ。そして集められたその数に圧倒される。
「すげえ人だな。ここの人たちみんな兵士か?」
家屋に囲まれた大広間では多くの兵士たちが血を滾らせている。
辺りを見渡しても、怯えている者などどこにもいない。それどころか酒場の時と同じように陽気に笑い出す者も少なくない。
「あら、あなた寮に帰ったと思ったのにここに一体なんのようかしら?」
猛者たちの騒めきの中、聞き覚えのある声の方向へ目を向けると、そこにはいつも通りの群青の髪のマリカが頭にこちらに視線を送る。
周囲には、ガタイが良く力を自慢とする勇猛な戦士達がざわめいている中で、その小柄で凛とした佇まいは、不相応だった。
「なんの用って...お前な、あんなこと言われて黙って寮になんて帰れる訳ないだろ?」
「つまりあなたは私の挑発に乗ってオメオメと命を差し出しに来たわけね?」
「死ぬ前提で言うのやめろ!」
「おっ!アルシュとマリカも来てたのか!」
アルシュはマリカの口車に乗ってやっていると、逆立つ赤毛のビヨルンと、獣の耳を頭から生やしたキルガが向こうからやて来る。
キルガは二人に「おっす!」とフレンドリーに挨拶をしたが、ビヨルンは相変わらず乗り気ではないようで「お、おう...」と声をキレの悪い呟きを残す。
「おい、アルシュ。お前ここに来たばかりなんだから無理すんなよ?いくら稽古を積んでるからって本番は別もんだ。特に今回は重要拠点への救援。お前が拠点に残ってたって誰も文句言わねえよ」
キルガは優しく、アルシュがこの戦争に志願する事に異を唱え、マリカも珍しく誰かの意見に賛成する。
「キルガの言う通りよ。言っておくけど、私たちが行くのは戦いよ?稽古とは全く違うの。いつもみたいにズルいとか、惜しいだとか言ってる間に、あなたの首はチョンパされてるわよ?」
「詳細に言いやがって、ちょっと想像しちまったじゃねえか!」
アルシュは首元を両手で撫で付けて顔から血の気が引いたのを感じた。
「今ならまだ間に合うわ。あんたなんて木の棒を振り回してた方がお似合いよ。死にたくないならやめておきなさい」
「俺は...」
ここに来る前、アルシュはふと考えた。生き抜きたいだけならわざわざ戦争に参加する必要はないんじゃないかと。
拠点の中で仲間の勝利報告を待っていれば、自ずと道は開けてくるんじゃないかと。
今の生活は割と気に入っていた。エリンは優しいし、マリカは最初、嫌なやつだとは思ったけど、彼女からの思いやりもようやく理解ができてきた。
ビヨルンの事はまだ分からないが、キルガも気の利くいいやつだ。けど、
「それじゃあ俺の目的は果たせないんだ」
「目的?」
「俺は、ジルドラスを倒さなくちゃいけない」
事情を知らないマリカは本気で故郷を敵視しているアルシュを見て怪訝な表情を浮かべる。
ジルドラスで大罪人として扱われるアルシュがヨルムを倒すにはそれしか方法がなく、そのためにはカヤールを勝利に導かなければいけない。
「だから俺は強くならないといけないし、戦って成果を出していくしかないんだよ」
マリカとキルガがアルシュの強い意志に目を見開く。もはや彼の中には拠点に帰ると言う選択肢はない。
「ま、お前がそこまでこの作戦に参加したいって言うんなら止めはしないが...」
キルガはアルシュに懸念の眼差しを向けながらも、彼の意思を尊重したが、マリカは肩をすくめた。
「だいたい、あなたが付いてきたところで何ができるって言うの?」
「俺は敵を..」
「無理ね」
そんなのやってみなけりゃ...」
「無理よ」
「いちいち遮ってくんな腹立つな!なんで俺が付いて行く事に反対して来るんだよ!」
アルシュはマリカに弄ばれている事に対し、苛立ちが込み上げて後頭部をボリボリ掻きむしる。
「そんなの簡単だ、お前が弱いからだ」
キルガの横にいたビヨルンはアルシュに冷ややかな眼差しを向けながらようやく口を開いた。
「は?いきなり何言い出すんだ?俺が弱い?俺が稽古やってるとこ見たことあるのか?」
「いやないね。でも分かるんだよ、お前さあ、戦場でも失敗してどうにかなるって思ってるだろ?」
ビヨルンの言葉にアルシュの眉がピクンと反応を示す。
その考えが無かったわけではない。敵は強く、彼らも生き残るために、死に物狂いで襲いかかって来るだろう。でも仲間と協力すれば、きっと勝てるし、生き残れる。アルシュはそう信じていた。
しかし、ビヨルンはそんなアルシュに対して、拳を握り、振るわせながら不満をぶち撒ける。
「甘いんだよ、皆がそれぞれ敵を倒さなきゃいけないって考えてる時に、誰がお前を助けるんだ?俺はな、お前みたいな楽観的で足を引っ張るようなやつが大っ嫌いなんだよ!」
「ちょっと待ちやがれ!」
アルシュの中にあった気持ちの糸が切れ、ビヨルンの胸ぐらを掴み上げる。
戦う事を目標に毎日稽古を積み重ねて来ただけに、ビヨルンのいい加減な物言いに頭の血が上った。
「足を引っ張るだって?俺がこの日のためにどれだけ稽古を積み重ねて来たと思ってるんだ!?」
怒声を浴びせるアルシュに対し、ビヨルンも負けじと彼の胸ぐらを掴み返し、冷笑を顔に浮かべる
「所詮稽古だろ?これからやるのは殺し合いだ!それも、カヤールの命運がかかった重要な一戦。負けたら終わりなんだよ!それなのに弱いお前がでしゃばってんじゃねえよ!」
ビヨルンの目は本物だった。戦争の恐ろしさを知っているだけにその言葉には説得力があった。しかし、アルシュもただ言われるままでは引き下がらない。
「だったら、本当に弱いかどうか、試してみろよっ!!」
「ぶば....っ!?」
アルシュの頭突きがビヨルンの顎に直撃し、彼は地面に勢いよく倒れ込んだ。
「おい、やめろよこんな時に!」
「うるせえ!喧嘩をふっかけて来たのはこいつだろ!?」
アルシュはキルガの制止を振り払い、起きあがろうとするビヨルンに接近する。
「どうしたんだ?俺は弱いんじゃないのか?」
「うぐっ....!?」
アルシュはビヨルンの顔にそのまま拳を叩き込もうと思ったが、ビヨルンの長い足がアルシュの溝を直撃し、膝をつく。
そしてアルシュが怯んでいる隙にビヨルンは立ちあがり、彼の発言を肯定する。
「ああ、弱い。俺よりずっとな!」
「やるか...!?」
「やめろよ二人とも!」
キルガは慌てふためき、彼らの喧嘩を止めようとするが、互いを睨み合うアルシュとビヨルンは他を見向きもしない。
状況はまさに一触即発。やがて周囲の兵士たちはざわめき出し、注目を浴びる事になる。
しかし、「バカじゃないの?」と楽しそうに眺めるマリカと同様に、誰も二人を止めようとするものはいなかった。
そしてアルシュビヨルンは拳を振りかぶり、地面を踏み込んだ。
そこで赤茶の髪と鼻下に髭を生やし、レザーアーマーを着用した男がアルシュの体を蹴り飛ばした。
「ぐっはっ!?」
アルシュは地面に転がり、横たわりながら、腰に受けた痛みに苦しみ悶えた。
マリカはアルシュの蹴り飛ばされる姿を目を背ける。キルガとビヨルンそして周りの兵士たちは
突然に現れたその男の姿を見て動揺を隠せず、喧騒はより一層激しいものとなる。
「団長だ!」
「いつのまに...」
「アルシュ!?」
ザッケスの後ろにいたエリンがアルシュの元へ駆け寄り、団長の乱暴に異を唱える。
「団長、いくら二人の喧嘩を止める為とはいえ、今の対応には賛同できないわ」
「エリン、俺は喧嘩を止めるためにアルシュを蹴ったんじゃない。大切なこの場の空気を乱すこの竜族に制裁を加えるため。ただそれだけだ」
アルシュは顔を見上げ、ザッケスの凍りつきそうな青い瞳に目をやる。彼は自分を竜族だと敵視し、心を許そうとしないこの男の顔だけは見たくも無かった。
しかし、その青い瞳が間近で横たわるアルシュの姿を見下ろしている。あの時のように鉄格子はない。
ザッケスはしゃがみ込み、アルシュの髪を掴み、顔を上げさせる。
「うぐっ....は、離せ....!」
頭の表皮がヒリヒリと悲鳴を上げるように痛み出す。しかし、ザッケスは離そうとはせずに、アルシュに顔を近づけながら嫌悪の言葉を浴びせる。
「貴様、あの時は大人しいから出してやったんだが、全ては俺たちを混乱させるためだったのか?やっぱりお前は信用できんな」
「ザッケス!やめて!」
エリンがザッケスの暴挙を止めるように促すと、彼はアルシュの髪を離し、兵士数名に呼びかけた。
「おい!誰かこいつを牢に入れておけ!」
「離せって...言ってるだろ!!」
そう言うと、兵士の人混みの中から二人程がアルシュの元へ歩み寄り、肩を掴もうとするが、アルシュは身を交わして、うち一人の足を掬い、張り倒す。そしてたじろぐ他方の腹に膝蹴りを与えて昏倒させた。
「なんだ、あのガキ、すごい力だぞ!?」
「これが竜族ってやつか。裏切られる前に気付いて良かったぜ」
誰もがアルシュの異常な力に恐れを抱くが、諦めずに今度は五人の大人がアルシュを取り押さえるために飛びかかる。
そして抵抗も虚しく、アルシュは腹這いにさせられ、身動きが取れない。
「おい、離せっ!俺はこの時のために稽古を積み重ねて来たんだ!俺は諦めないぞ!俺はまだ...!」
エリンやマリカも含め、誰もアルシュが牢に連れて行かれるのを止める者などいなかった。仲間たちは哀愁の瞳に彼の無様な様を止めるばかりだった。
「な...なんでだよ」
誰もが自分を役立たずだと思い込んでいるのかと思考がよぎり、唇を噛み締めるほどの悔しさが込み上た。
その後、アルシュは必死に足掻いたが、首元に強い衝撃を受け、そのまま意識を失った。
エレハイネ砦救出作戦による話し合いが終わった後、エリンは門の近くにある馬小屋で怪訝な表情を浮かべながら餌やりを行っていた。
明日、馬は戦いに参加することも知らず、黙々と干し草を貪っている。
「アルシュ、大丈夫かしら」
彼女には懸念が宿る。アルシュが捕らえられ今後どのような目に遭うのか。ザッケスは彼を仲間だとは認めていない。
「エリン、手伝いに来たわ」
普段から聞き慣れた少女の声。馬小屋の抜け道を眺めると、そこには青い髪の少女が入り口のアーチに手を当てて佇んでいた。
う
「マリカ...ええ、でも大丈夫。もう終わるから」
しかし、マリカはエリンが表情を曇らせているのを見て、軽く息を吐いた後、問いかける。
「ねぇ、さっきは止めなくても良かったの?」
それを聞いたエリンの手は止まる。そして一瞬俯いた後、マリカに顔を向けて答えた。
「本当は止めるべきだったのかもしれないけど、あの子は本気で戦いに参加したがってた。でも、今回のは参加するべきじゃないわ」
「それで、地下牢にいてもらった方がむしろ彼のためになるって考えたわけね」
エリンは口を紡ぎ、俯く。これが最善だとは言えないがアルシュを今回の戦いに参加させずに済むのならそれでいいと彼女は思っていた。
しかし、竜族としての彼を認めない男に対し、微かな懸念を抱く。
「でも、一番不安なのはザッケスよ。あの人はアルシュを未だに敵だと思ってる」
「そうね。現にあの人、いつもアルシュを避けているようにも見えるしね。ハァ...全くいい迷惑だわ。なんでこんな時に限ってあんな騒動なんて起こすのかしら」
マリカは腕を組み直して苦い表情でアルシュの落ち度に不満を漏らした。エリンがそれでいいと言うのなら問題は無いのだが、その懸念がこれからに影響しないわけでもあるまい。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。この戦いに勝利した後、私はザッケスに話をつける。もし揉めるくらいなら力ずく。それでこの問題はおしまいよ」
エリンは拳を正面に突き出し、微笑しながらマリカに明るく振る舞って見せる。そんな姿を見て、マリカは肩をすくめる。
「全くエリンは強いと言うか、頑固と言うか、まぁ、私は弟子としてあなたのそういうところを尊敬してるのだけど」
「とりあえず、今はこの戦いに集中よ。アルシュを助けるためにもまずは勝ちましょう」
そして翌日、準備を整えた夜明けの団五百名はエレハイネ砦に向けて進軍する。
誰よりも戦いに燃える一人の戦士を残して。