2話 隔たり
その日、父と川で魚を獲りにいく約束をしていた。アルシュは、急いで朝食を食べて身支度をする。
「今日はいっぱい釣るぞ!アルシュ、楽しみにしてろよ?」
「うん...」
「どうした?あんまり寝れなかったのか?大丈夫さ、雄大な川を眺めれば眠気なんて吹っ飛ぶさ」
意気込む父にアルシュは力なく答えた。ジャミルは寝起きだからと、気には止めなかったが、夢に出てきた母親の声が気になって仕方が無かった。
そして、二人は自宅を後にし、タルキーヤ広陵地帯の川へ向かう。
川は親子が住む農村からは離れており、北に位置する中流階級の民が多く暮らす街、クスルゼインに近かった。
広大な緑の芝生の中央を縦断する川の水は岩を避けて流れて行き、先が見えない。
水面が日の光に当たり、アルシュの目を瞑らせる。
いつ見ても大きな川だと思ったアルシュはずっと眺められるような気がした。
「やっぱりすごいな。全く先が見えない...!」
「ハハッ!ほらな?目が覚めただろ?なんたってこの川はジルドラスで一番でかい川なんだからな!」
中層区域から来てそのまま下層区域を過ぎ、そのままジルドラスの外まで続いているようだった。
「じゃあ、魚を獲ってくる。いいか?ここを離れるんじゃないぞ?」
「分かってるよ!」
そう言って、父は意気込みながら川の上流側へ進んでいく。彼は自分が離れている間に息子に友達ができる事を密かに期待していたが、なかなか上手くはいかない事は十分に理解していた。
川は澄んでおり、他の子供達はキャッキャとはしゃぎ、互いに水を掛け合う。その様子を見て、少年は深くため息を漏らす。
アルシュには友達と呼べる存在がいなかった。そもそも現在のナフィランドから、アルシュの徒歩圏内には同じ下流階級の子どもがいない。
以前は、中流階級の子どもたちと遊ぶこともあったが、下流階級と分かった途端に、アルシュに向けられる眼差しは冷たくなった。
それでも諦めたくはなかったアルシュは中流階級の子供たちに近づくと皆が彼を避けようとするが、いつしか喧嘩になり、気付けばアルシュは完全に孤立していた。
「ねぇ!俺も仲間に入れてよ!」
だがそれでも、川で楽しそうに遊ぶ子ども達が羨ましくて仕方がない。親子揃って侮辱される事への葛藤を抱くと同時に心を揺さぶられる少年は、僅かな希望を抱いて思わず声をかける。
心の心配を払い除け、勇気を振り絞って子どもたちに近付く。すると彼らは振り向き、アルシュは一瞬、自身に心を開いてくれる事を期待した。
「あいつ、アルシュだよ」
「あのアルシュだろ?やめとこうぜ?あいつに関わってちゃ碌なことにならないよ」
「そもそも下流階級の子供が私たち中流階級の子どもと遊ぶこと自体がおかしいのよ!」
「下流階級のくせ近寄るなよ!貧乏が感染るだろ!」
が、現実は非常だった。子どもたちはアルシュを突き飛ばして川で尻餅をついた彼を見てゲラゲラ笑う。そして下流の方に去って行く。
僅かな希望を蔑ろにされた少年は落ち込みながら川を見つめ、体の重みで暫く動くことができなかった。
水面には暗澹を浮かべる自身の表情が映り込み、それを吐息が波紋で乱し、歪んでいく。
「なんでだよ...」
アルシュは心無い子供達からの仕打ちに傷つけられ、虚しさと切なさが心の痛みとなって苦しめていた。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
その後、父が魚を大漁に釣れた事を喜びながら、明るい笑顔で鼻唄を歌いながら戻ってくる。
しかし、川に腰を下ろしたまま、俯きながら動かない息子の姿を見て、その緩んだ頬は固く引き締まる。
ずぶ濡れの、浮かない顔の息子の気持ちに寄り添うように話を聞こうとする。
息子はそれから数秒程沈黙した後、下を向いたまま、ようやく口を開く。
「ねえ父さん、なんで俺って他の子と仲良くなれないんだろう。身分が低いからかな、それとも魔力が使えないから?」
父はアルシュが落ち込んでる理由が、他の子ども達と関わろうとしたことを悟った。
「あいつらに声かけたのか、頑張ったな。お前はよくやったよ。それでダメだったなら仕方ない、あんな奴ら気にするな。他の子に声をかけてみろ、もしかしたら分かってくれるかもしれないだろ?」
しかし、納得していない。するはずがない。他の子供に声を掛けたところで、拒まれるのは目に見えている。アルシュは顔を歪めながら声を張り上げる。
「もう嫌だよこんなの!なんで僕はこんなに惨めじゃないといけないだ!もう皆からバカにされるのは嫌だよ!」
「分かるよその気持ち。俺だってお前が努力してきた姿を何度も見てきたんだ。それなのに惨めな思いをしている事も知っている」
「だったら...」
「でもなアルシュ、お前は強いよ。今までどれだけ挫けそうになってもお前は友達を作ろうと頑張ってきたじゃないか。それに俺は知ってるよ、お前にしか持っていない物を」
「なんだよ...それ。俺に何があるって言うんだよ...!」
アルシュは期待を抱いた自分に苛立ちを感じると同時に父のいい加減な発言に不満を感じた。
化け物とバカにされる俺に何が残っていると言うのか。
アルシュには自身の持ちうるもので、中流階級の子供たちには無かった強みが思い浮かはなかった。
しかしジャミルの出した意外な答えに、アルシュは目を白黒させる。
「それは優しさだ。お前は近所の人が家の野菜をもらおうとした時、俺のために本気で怒ってくれた。あの人は困っていただろうけど、俺は嬉しかった。ほらな、お前は人に優しくできる才能を持ってるんだ」
「優しさ?」
その言葉の重みを知らない少年は首を傾げ、キョトンとした表情で父に問い返す。
「ああそうだ。他のやつらにもそんな風な優しさ向けてやれたら、そのうちきっといい友達が見つかるはずだ」
自分に友達が複数人できる事がもはや想像出来ないアルシュは控えめに予想する。
「本当に?」
アルシュは本当にできるのだろうか?と疑問を抱くが、根拠のない父の言葉からはなぜか説得力を感じる。
もしかしたら上手くいくかも知れない。そんな期待が表れ始める。
「まぁ言いたいことはだ、ゆっくりでもいいから諦めんな。弱音ならいくらでも聞いてやるし、一緒に笑い飛ばしてやる。強い竜族になるんだろ?だったら一緒に頑張ろうぜ!」
「ありがとう...俺、強い竜族になるから....」
「その意気だ!」
父からは、アルシュの表情に明るみが少しだけ戻ったかのようにも見えたが、彼の気持ちの澱みに気付く事はなかった。
アルシュは諦めた。自分や父を侮辱して笑うような友達なんていらない。そもそも俺が目指すのは父のような強い竜族だ。
しかし、なれるだろうか。いや、ならなければいけない。
下流階級だから、立場が弱いままだからバカにされる。力がないから襲われる。
「だったら強くなればいい。そうすれば、俺も父さんも酷い目に遭わずに済む...!」
アルシュの目には以前のジャミルの勇姿が焼き付いている。強くて優しい父を将来の自分に当て嵌め、目標とするのであった。