24話 日々の稽古
アルシュが地下牢から出て二月程が経過しようとしていた頃、エリンは一日の中で時間を作ってアルシュの稽古に取り組んでくれていた。
それだけではない。読み書き、算術、馬術など、本来であれば学校に行かないと学べないはずの知識を彼女は叩き込んでくれているのだ。
この村に来てからアルシュは驚かされてばかりだったが、何よりも意外だったのは、マリカが剣の稽古を手伝ってくれている事だった。
アルシュは全力で木刀を振り回し、マリカに対して必死に攻撃を仕掛ける。彼女が嫌いだったからと言うのももちろんだが、それだけではない。
「何よ。そんなヘナチョコが私に通用すると思ってるの?」
「....っ!」
マリカは強かった。おそらくエリンの次ではないだろうか。アルシュは悔しいと感じながらも、二ヶ月近くを共にしてきただけに彼女の実力を認める他なかった。
「全く、最初の時に私よりも強くなるって言ったくせに全然ダメじゃない?」
「う、うるせえよ!これから強くなるんだよ!」
アルシュの実力の伸び幅は滞りを見せていた。一度も彼女に攻撃を当てられない状況が耐えられず、唇を噛み締める。
しかし、それでもアルシュの稽古は続く。彼は何度もマリカに攻撃を繰り出すが、相変わらず涼しい顔で避けられる。
そして隙を狙ったマリカのカウンターは手、足、肩、腹と、徐々にアルシュの体にダメージを刻んでいく。
そして彼女の強く振るう右凪によって、薙ぎ倒され、初日と同じように仰向けにされたアルシュは悔しさを抑え切れずに手の甲で地面を叩いた。
「なんで当たらないんだ...!」
エリンはマリカと立ち合うアルシュを見て、顎に手を添えて考え事をした後、助言を行う。
「マリカはちょっと特別でね。魔術師としても優れているんだよ。その点相手の魔力の動きはしっかり把握できている」
マリンはエリンに持ち上げられた事で、腰に手を当てて自慢げな表情で鼻息を漏らす。
「その点、君は魔力の読みが浅いんじゃない?」
「魔力?」
「うん、普通は戦う時に相手と剣を交える時って相手の動きを見るでしょ?魔力の動きも同時に見て次の動きを把握するの」
アルシュは否定ができない。どうやらマリカとは最初から立つ土俵が違っていたようだ。
どうやら相手と魔力の動きを見て、行動を予測する事が剣術では重要らしいという事はアルシュにも分かった。
しかし、魔力を読む、と言う言葉自体に聞き覚えがないアルシュには彼女の言う事が理解できない。
「まぁ、アルシュって魔力を読む事もできないの?」
「うるせえよ!」
マリカはわざと驚いたようなフリをして見せ、アルシュを小馬鹿にしたため、彼の顳顬がぴくっと動く。
そして気を取り直して、エリンに魔力を読む方法について聞き出す。
「そんなの簡単よ。体内にある魔力を目に宿すようにイメージすれば、まるで体の輪郭から光が乱れているように見えるはずだけど...」
「え、それって魔力をコントロールできなきゃいけないって事?」
「そうだけど?」
アルシュは唖然し、肩を落とす。まるでこれから渡ろうとしていた橋が崩れ落ちたかのような喪失感が彼に降りかかった。
「俺、魔力のコントロールができないんだけど...」
アルシュは自分の魔力障害をここで初めて告白した。これで自分の剣の道は絶たれたと本気で考え、木刀の柄を手から離そうとした。
「え...?つ、つまり君って今まで魔力を使わずにマリカの動きを追い続けていたわけ?」
「嘘でしょ?し、信じられない...!」
しかし、マリカとエリンは口を開き、アルシュを超える驚愕っぷりを見せた。確かに珍しい病気だが、それにしては反応がオーバーだ。
「エリンもマリカも驚きすぎだろ」
「だって、魔力を使わないで今まであのパワーとスピードだったんでしょ?」
「ただ全力で木刀を振り回してただけだろ」
「反応速度だって大したものよ。マリカは強がって見せてはいたけど、かなり必死で避けてたのよ?」
「ちょっ、エリン!それは言わないでよ!」
マリカは何やら秘密がバレて慌てふためき、手をバタバタさせる。アルシュは閃いた。どうやら彼女らは落ち込んでいる自分を元気付けようと必死なのだ。
エリンはともかく、アルシュはマリカのことを少しだけ見直した。修行を手伝ってくれる上に励ましてくれるとは。
「エリン、そしてマリカ、ありがとう!俺も、いつまでもクヨクヨしてられねえな!」
「何がよ!」
元気付けられたアルシュは先程の落ち込みぶりが嘘だったかのように、やる気を取り戻し、力強く木刀を振り下ろし、構えて見せる。
「何?まだやる気?いくらあなたが特殊だとしても、まだまだ私には遠く及ばないわ!」
「ふっふっふ。それはどうかな?さっきの俺とは一味違うぜ」
マリカも真剣に構えるアルシュに負けまいと、木刀を構えて見せた。
互いが睨み合い、静寂が二人を包む。そして、エリンは掌を振り下ろし、空を切る。
「始め!」
アルシュは力強く踏み込み、高速でマリカの間合いに入る。不思議な感覚だった。さっきよりも
気分がいい。心がまるで水のように澄んでいるようだ。それに体が羽のように軽い。
「嘘でしょ?前までウスノロだったのになんて速いの...!?」
マリカから慌てて振り下ろされた一撃を木刀を横に向けて防ぎつつ、右に受け流して次の攻撃に転じようとしたが、その瞬間には既にマリカの左凪がアルシュを襲う。
いつもならそこを防ごうとして間に合わずに一撃を入れられるのだが、やる気に満ち溢れたアルシュの動きは変わっていた。
膝を曲げ、体を伏せる事でマリカの一撃を回避。そして下からの右切り上げを狙い、防がれる。
しかし、交わった刀身の接触部分を軸に刀身を当てながら体を旋回させ、素早く背後に回る。勝利を確信し、そのまま右凪をマリカにお見舞いしようとした。
そのままアルシュはマリカに突進するが、彼女は木刀の鍔でアルシュの右凪を受け、鍔迫り合いに持ちこんだ。
「俺は負けないぞ!マリカ!」
油断していた。自信の籠ったアルシュの凄まじい力がマリカの鍔に加えられ、彼女は押されて行く。
戦況はアルシュが優位だ。彼は勝利を確信していた。徐々にマリカの体が体勢を崩しかけている。
「くっ....このままじゃ....っ!」
「行ける!行けるぞ!」
あと少しでマリカは体勢を崩し、彼女の眼前に刀身を向けられる。念願の勝利は目前に控えていた。しかし
「ん?」
アルシュは右手の拳に何か柔らかい感触を覚えた。何かモチモチした気持ちの良い触り心地。
彼女を追い詰める事に必死になっていたアルシュが右手が触る物体の正体に目を見やると、マリカの胸を右手が押さえつけていた。
そしてアルシュは顔中から不思議な汗を滝のように流しながら呟いた。
「ず、随分と豊に実ってるな....ハ...ハハハ....」
「うおっ!」
マリカは顔を真っ赤に染めて、動揺をみせたアルシュの隙を狙い、凄まじい風圧を放って彼を弾き倒した。
仰向けに倒れた彼は上半身を起こし、剣の稽古で魔術を使った事を指摘しようとする。
「何すんだ!いくら魔術が使えるからってそれはず....る.....」
アルシュの表情は青ざめ、思わず言葉を失った。眼前にいるマリカからは普段の可愛らしさが消え失せ、怒りの権化と化している。そしてへたり込むアルシュに向けて木刀を振りかぶる。
「ご...ごめん...」
しかし、そんな謝罪も虚しくマリカは目に怒りを滾らせ、木刀に込められた殺意の入り乱れる渾身の魔力は激しい稲妻となって轟いていた。
「あちゃー...」
エリンは顔に手を当て、これからのアルシュに振り下ろされる災難から目を背ける。
「オリャアアアアアアア!!」
「あああああああ!!」
アルシュの謝罪も虚しく、彼はマリカの一撃によって叩き伏せられて敢えなく撃沈。こうしてアルシュのその日の稽古は終了した。