23話 花園
日が落ちかかっている頃、アルシュは悔恨を残しながらマリカと別れる。
「それじゃ、私別に行く所があるから」
アルシュは憎らしい彼女の小さな後ろ姿を見て「ベー!」と舌を突き出した。
「アルシュ、気持ちも分からない事もないけど、それじゃあいつまで経っても打ち解けられないわよ?」
「ふん!あんなやつと仲良くできるか!」
「まず、君が学ばなきゃいけないのは協調性だね」
「そんなものいらない!」
アルシュは鼻を鳴らしてエリンの助言を聞き入れようとはしない。
アルシュは今日、マリカと言う傲岸不遜な少女に出会った事で、心の扉を閉ざしただけでなく、木の板を打ちつけることで、より一層その封印を強固なものにしていた。
エリンはため息を吐いて「やれやれ...」と、眉を落とす。
彼女はアルシュの性格がどことなくマリカに似ているとは思ったが、もはや疲れ切ってからかう気も起きず、火に油を注ごうとは考えなかった。
「ったく、腹が立って仕方がねえ。見ない顔だからって人のこと見下しやがって。あいつって誰にでもああなのか?」
「ええ、そこがあの子の困ったところよ。マリカにはもう少しお淑やかでいて欲しいとも思うんだけど、そこだけはどうしても変わらなくって」
「お淑やかだって?今日関わってみた感じ、あいつは根っこから悪びれているような気がするな。どうせ、ここに来る前はゴロつきだったに決まってる。あれじゃあどれだけ頑張ったってせいぜいが足を洗うだけで精一杯だろうな」
マリカがいなくなってから、急にアルシュの口が回り出し、一日の中で溜め吐きてられなかった愚痴が一気にぶち撒けられる。
それでもエリンは苦笑しながらも大人として対応していたが、アルシュが勢い余り、マリカの過去に触れた途端、エリンの翡翠の瞳が曇る。
「そんなんじゃないよ。あの子はあの子なりに考え込んでるだけ。まぁそれにしても直すべきところは一杯あるとは思うけど。君ももう少し初対面の人に対して慎重になるべきだとは思うよ?」
エリンの突然の険な口調にアルシュは口籠る。マリカの印象は大嫌いだったが、それは自分の落ち度でもあると自覚した彼の口調は小さくなった。
「ご、ごめん...」
エリンは素直に自分の非を認めたアルシュを見て頬を緩める。マリカと同じだ。彼も彼なりに野望や信念を持っているが、心は純粋で人を思いやる気持ちを持っているのだ。
エリンは優しげにアルシュに問いかける。
「それで?マリカは君に寮を案内したの?」
「寮?なんだそれ?」
「やっぱりね〜」
キョトンとするアルシュに対し、マリカは目を細めて肩をすくめる。
「マリカがああなったら案内どころじゃないか...じゃあ私が君に寮を案内してあげるしかないか」
「なあエリン」
「何?」
「寮ってなんだ?」
「....っ!そこからか......!」
それを聞いたエリンは転びそうになったが堪えて、キョトンとするアルシュに寮が寝泊まりする場所である事を説明した後、彼を案内した。
赤い空に紫が差し掛かった頃、エリンは村の北部にある寮へ案内する。
アルシュはエリンの横に並んで歩くと、アルシュの頭の位置がちょうど彼女の胸の位置と同等の高さのため、真横にある豊胸が左右に揺れて気が散りそうだった。
「どうしたの?なんか、君の体カクカクしてない?」
そりゃ動きがぎこちなくなるに決まっている。顔も赤くなる。
そんなものを今振り回されたらいつ顔に当たるか分からない。
アルシュが頼むからそのままずっと揺らしていてくれ!と心の中で叫んでいると、道中の村人や兵士が皆エリンに頭を下げる。
「副団長!お疲れ様です!」
「いつもありがとう!」
「これからも頼むぞ!」
「お疲れ、お気になさらず、ありがとう!」
エリンは労いと感謝を伝える一人一人に対し会釈と相槌を怠らなかった。
今真横で胸を揺らしながら歩いているエリンは大勢の人から敬われていた。
アルシュは彼女を身近に感じながらも遠い存在なんだと感じた。
「さあ着いた。ここが寮よ」
彼女が寝泊まりする場所だと説明するその寮は、少し古びた小さな二階建ての木造住宅だったが、普段から物置小屋を改装したかのような平屋で質素な暮らしをしてきたアルシュにはその建物が大きく感じた。
「本当にここに住むのか?」
「そう、少し小さいけど我慢してね。今は君を泊めてあげられる寮がここしか無くて、今ちょうど新しい寮を建設中なんだ。私たちの寮なら寝泊まりできるからここで我慢してね」
アルシュは彼女の言葉に何か引っ掛かりを感じたため、聞き返した。
「ちょっとエリン?今何て言ってるのか聞き取れなかったんだけど...」
「え?だから、私たちの寮なら寝泊まりできるって...」
「アルシュ、どうしたの?」
「......」
アルシュは満面の笑みを隠すのに必死で震えていた。天にも昇るような気持ちだった。
エリンと寝泊まりができる?まさか戦場に来てそんな大イベントが与えられようとは。まさにオアシス。
新しい寮ができるとは言っていたがアルシュには必要がなかった。なぜなら彼女と共に住む事のできるこの寮こそが彼にとっての花園なのだから。
「だが待てよ?私たち?」
妄想に胸を膨らませていたアルシュはもう一つ気になる言葉に気付く。
「ああ、それは...」
一瞬、エリンは顔をくもらせ、説明を躊躇ったふうに見えた。アルシュは不思議に思ったが、その理由はすぐに分かった。
「は?...なんで...?」
エリンの説明を阻むかのように、「ソイツ」は現れた。アルシュは後ろを振り向き、愕然とし、開いた口が塞がらない。
「ちょっ、エリン!一体これはどう言うこと!?」
「あ....ああ.....!?」
全てを悟ったアルシュに戦慄が走る。
白いラインの入った黒いドレスに身を包み、群青の長い髪から尖らせた小さな耳をのぞかせ、赤いリボンをちょこんと乗せた「ソイツ」は甲高い声を響かせて、なぜ生意気なガキが寮の前にいるのか、理由をエリンから聞き出そうとする。
「マ、マリカ....?な、なんで.....?」
「それはこっちが聞きたいわよ!」
頭の中で、エリンとの楽しい日々が無残に砕け散った音がした。最悪だ。考えただけでも胃が痛くなりそうだった。
そして案の定、マリカはエリンからこの寮に寝泊まりすると聞いて、この世の終わりのような顔をした。
「なんですって?いくらエリンの頼みだからってそれはあんまりだわ!こんなガキと一緒の寮で寝なきゃいけないなんて真っ平よ!」
皆まで言うな。考えただけでも悍ましいと、口に出す代わりにアルシュは顔を曇らせて深く息を吐く。
「許して、他にアルシュを泊められる寮がないんのよ。新しい寮ができるまで我慢してくれない?」
エリンはションボリした表情で両手を合わせ、マリカに懇願した。その姿は先程の皆から敬われていた姿とはかけ離れて、何やら哀れに感じた。
「ぐぬぬ...!なんでこうなるのよ!」
そんな彼女の切なる願いを断り切れなかったマリカは泣く泣く受け入れるのだった。
こっちが言いたい。アルシュも仕方なく状況を受け入れたが、まだ望みは残っていた。
エリンと同じ部屋で寝られるかもしれないという期待と、湯浴み場と言う名の希望が。
「じゃあ、中に入ろうか」
エリンは気を取り直してアルシュを寮の中に招き、それに応じるように覚悟を決めて入って行く。
「ようこそ。ここが私たちの寮だ」
建物の中に入ると、すぐにリビングが目に入る。
落ち着きのある白い壁に茶色いソファーとテーブル、本棚、キッチンが備わっている。
壁や家具等の装飾はアルシュの知る文化とは違っていたが、生活感のある雰囲気であると感じられた。
しかし、アルシュにとって今はリビングなどどうでも良かった。本命は寝室と湯浴みだ。
「次は寝室に案内するよ」
そう言ってアルシュはエリンに続いて階段を登って行く。一段一段を踏み超えるほど、アルシュの胸の鼓動は高まりつつある。
そして登り切ると、2階は1階よりは狭く、細い廊下に続いていた。
「ここが君の部屋よ」
そう言ってアルシュは一番奥の部屋に移されると、中の部屋は狭く、小さなベッドが置かれていた。
アルシュは二人で寝るには小さいと思ったが、贅沢は言えないと自分を納得させる。しかし
「じゃあね。私たちは向こうの部屋だから。それと、この家古いみたいで湯浴み場が壊れてるんだ。だから、後で男用の湯浴み場ができる所に案内するよ」
「またね。ガキ、もし部屋を汚したら、どうなるか分かってるわね?」
「へ....?」
そう言って二人はアルシュの部屋を後にする。狭い部屋にはアルシュが一人残り、失意を浮かべた顔を枕に埋め、拳をベッドに何度も叩きつけた。




