プロローグ
プロローグ
その日の夜も、満月が綺麗だった。空に魔力石でも散りばめたかのように星が燦然と輝いている。
そしてその煌めきに負けまいと地上の炎のオレンジと共に煙が天に昇り、空を覆い隠す。
少女は燃える村を見る。家屋は全て崩れ、原型を止めず木片となって火柱を上げている。茫洋と火の粉が漂い、暗い周囲を明るく照らす。
「おじ、さん...?」
少女は呟くが、周囲には誰もいない。
瓦礫から突き出た焦げた腕は月に手を伸ばし、死した今でも生にしがみ付こうとしているようだ。
かつて人だった叔父の表情は世界を呪うかのように憎悪を浮かべている。
これで一人になった。何もかもを失った。友人、家族、幸福。かけがえのない全ては血と業火によって包まれた。悲壮と恐怖を少女に宿して。
他に行く場所などない、かつてあった故郷は、父と母と共に姿を変えた。血に飢えた魔性の跋扈する地獄へと。
「ほぅ、まだ生き残りがいたのか?」
地を踏む足音、身につけている鎧が揺れる音が少女の背後から聞こえて来る。
白銀の鎧を見に纏い、竜の意匠を模った兜を装備している。太く鋭い片刃の刃には、村人から奪った鮮やかな血の赤をべったりと塗りたくっている。
男はその黄色い眼光で少女を見下ろし、新しい玩具でも見つけたかのように、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「お、お願い...助けて....」
少女は腰が抜け、へたり込む。そして凍えるかのように震え上がる。途切れ途切れの彼女の命乞いは男の耳には届かない。ただ、彼が意識を向けるのは性への欲求のみ。
「へへ、安心しろ。お前はまだ殺さねえよ。連れて帰ったらたっぷり可愛がってやるからな?」
少女は自身の趨勢を悟り、自身の弱さに打ちひしがれた。そして現状を拒み続ける。
「生きたい...死にたくない!」
俯く顔からとめどなく涙が零れ落ちる。しかし、現実は非常だった。男は少女のか細い腕を折れそうなほど強い力で掴む。
「離してっ...!痛い!」
「だからまだ殺さねえよ、お前が死ぬのは俺とやった後だ!」
恐怖を顔に浮かべる少女とは裏腹に、男の顔は楽しそうだった。新しい遊び道具が見つかり満悦の笑みを浮かべている。まるでそれが彼にとっての生きがいであるかのように。
少女は命を諦めかけた。こんな事ならあの時両親と共に故郷に残れば良かった。そうすれば辱めを受ける事もなかったかもしれないのに。
「離してやれよ」
不意に立ち込める煙の奥から別の声がした。この男の仲間だろうか。
しかし、姿を現した声の持ち主は手を引くこの男とは違い、その革でできた装備には竜の意匠など見当たらなかった。
肩幅が広く、赤茶の逆撫でた髪の長身のその男は、顎に蓄えた髭を触りながら、翡翠の瞳を敵に向ける。
「何を言ってるんだ?種族は違えどお前にもわかるだろ?女を陵辱する快感を!俺は忙しいんだ、今は見逃してやる、とっとと去....っ!?」
そして赤茶の髪の男は少女を連れ去ろうとした男の言葉を遮るようにして、呼吸をする間に間合いに入り込み、切り伏せた。
「あいにくそいつは俺と同じ種族でな。同族が辱めに合っているというのに、それを黙って見ていると思うか?去るのはお前だ。この世からな」
床には敵の赤い血が流れる。それは少女の体にも流れる人としての証。少女の震えは未だ続く。しかし、涙は止まり、翡翠の瞳に光明が宿る。生を拾った実感を噛み砕く事に手をこまねき、少女の思考は停止する。
赤茶の髪の男はそんな彼女元へ歩み寄り、しゃがむ事で目線を合わせて、クリーム色の髪にぽんと掌を乗せる。そしてニィっと歯を見せて力強い笑みを見せた。
「もう大丈夫だ嬢ちゃん。怪我は無いか?」
「うん...」
その笑顔は少女の凍りついた心を温かく包み込んだ。再び涙が溢れだす。恐怖ではない歓喜の雫。
少女は思った。まだ私は笑っていいのだと、一人ではないのだと。
そして少女は命を救って笑ってくれたこの男の役に立つ事を決意する。