17話 王の慈悲
その後、近衛兵がアルシュの顔に木樽いっぱいの水をかけ、彼はむせこむ。
「ごほっ!ごほっ!」
気がつくと、アルシュの周りには広々とした空間が広がっており、そこが牢獄ではない事が分かった。
牢獄と共通してその場所も薄暗かったが、正面の真上にあるステンドグラスから差し込む光で石壁や石畳を視認する事に苦労する事はなかった。
アルシュは辺りを確認するために動こうとしたが、手足を鎖で繋がれているため、身動きが取れない。
「アルシュ、大丈夫か!?」
左側に父がいる事に気付く。彼はようやく目を覚ましたアルシュを心配している。彼も手足の自由を奪われていた。
「父さん...俺、今までどうして...」
アルシュは虚な表情でジャミルを見つめ、自分の身に起こった牢獄での出来事を思い出せない。
「お前は殴られて気を失ったまま俺と一緒にこの部屋へ連れて来られたんだ」
「だが、これから何が起こるか、俺にも分からない...一体今から何をしようって言うんだ?」
気付けば、腹部からはまだジンと痛む。アルシュは骨が折れるような感覚があった事を思い出し、肋の部分を撫でたが、特に異常は見られなかった。
「口を慎め下郎共、陛下の前だ」
声がしたため、視線をジャミルから右側の扉の方に向けると、ヒドラと、現王ヨルムが入ってくるのが見えた。
アルシュはヨルムの深みのある赤を基調とした壮麗な装いと、金の王冠を見て彼がジルドラスの王である事を知り、驚きを見せる。
ヨルムはアルシュとジャミルの正面にある玉座に座り、その横にヒドラが立ち冷ややかな眼差しで床に座り込む親子を見つめる。
ジャミルはヨルムに対して頭を下げるが、アルシュは物珍しそうに王の身なりに目を見張っている。
「アルシュ、何やってんだ!頭を下げろ!」
そう言いながらジャミルはアルシュの頭を押さえつける。彼の表情には恐れの感情が見られた
「い、痛っ...!」
アルシュはジャミルの慌ただしい態度に動揺するが、それほど王の機嫌を損ねる事が恐ろしい事なのだと思った。
「表をあげよ」
ヨルムがそう言うと、アルシュの頭を押さえつけていたジャミルの腕の力が緩くなる。
2人はゆっくりと頭を上げ、ヨルム王の姿を視界に入れる。
ヨルムはジャミルに威厳のある表情を向ける。その視線からは、見下すような冷ややかさと、己の信念を貫き通そうとするような、熱い意志を感じる。
「貴様がジャミル、そしてアルシュだな?我は現王ヨルムである」
「これから我自らが、貴様らの沙汰を下す、心して聞け」
ジャミルは怪訝な表情を浮かべる。彼には裁判を行わない事が納得できない。
「恐れながら陛下...」
ジャミルが口を開くと、ヒドラが彼を怒号で黙らせる。
「農民風情が軽々しく陛下に口を聞くな!!」
ヒドラの声は静寂な石造りでできた広間全体に響き渡る。アルシュは突然の彼の大声に背中を震わせる。
「良い、此度は許す」
「ジャミル、申してみよ」
ヒドラはシュードラであるジャミルが王と安易に話そうとする事が許せなかった。ヨルムが彼の発言を許可する事で、ヒドラは鼻息を漏らした。
「ありがとうございます」
「では恐れながら、なぜ此度は裁判を行わないのでしょうか?本来であれば我々罪人は裁判を持って処分を決める、それはシュードラであっても変わりはないはず」
ヨルムは眉を顰め、顎に蓄えた白い髭を触りながらジャミルの問いかけに答える。
「法で定められた通りだ。何人たりとも貴族を殺めてはならぬ。それを犯すものは例外なく極刑に処す」
「つまりだ、貴様らには裁判など必要ない」
ジャミルはヨルムの説明に理解が及ばない。彼は焦燥感に駆られる。
「陛下!それは横暴ってもんです!犯した罪にも事情があるはず、是非今一度ご検討を願いたい!」
ヒドラはジャミルが父に意見した事に耐えかねるが、ヨルムが相づちで彼の言動を止める。
「ジャミルよ、我とて貴様ほどの才ある魔術師を処さねばならぬ事は心苦しい」
「だが此度、貴様らが犯したのは貴族殺しの重罪、決して許されるべきではない」
「よって、貴様ら親子に極刑を言い渡す!」
アルシュはヨルムの発言に耳を疑う。顔が青ざめ、衝撃の余り腰に力が入らない。
「そんな....」
ヒドラは微笑し、口元に手を当てる。彼は思い通りの展開に喜びを隠せない。
「くくっ、惨めだな」
「シュードラの分際で出しゃばった真似をするからこのような事になるのだ」
「........っ!」
ジャミルはこの状況を笑ったヒドラに対して悔しい感情を抱きながらも、アルシュを守るために必死に額を石床に付け、懇願する。
「陛下!お願いです...!ゲレタを殺したのは俺です!息子にはなんの罪もありません」
「極刑と言うのなら、俺は喜んで受けましょう!」
「ですから息子だけは、アルシュだけは助けてください!!お願いします!!」
ヒドラは先程から募らせていたジャミルに対する苛立ちを爆発させる。
「貴様、調子に乗らせておけば!」
「少しは立場を弁える事を覚えろ!!」
ヒドラは床に座り込んでいるジャミルを蹴り倒し、彼は痛みに苦しむ。
「何するんだ!!」
アルシュは床で踠く父を見て動揺し、ヒドラを黄色い眼光で強く睨みつけた。
「次にその目で見たら、俺が貴様を殺すぞ...」
ヒドラの黒ずんだ瞳は冷たく、その視線はアルシュの胸に突き刺さる。
アルシュはヒドラへ敵対心を向けながらも、彼から発せられる圧に押されて震えが止まらない。
そんな中、ジャミルはすぐに起き上がり、息切れをしながら懇願をやめなかった。
「お願いします...!」
「アルシュだけはっ...!!」
ヒドラの圧を纏った冷やかな視線はジャミルの方へ向き、力拳を作りながら彼に歩を進める。
「貴様、まだ自分の立場を分かっていないようだな」
ヒドラは拳に魔力を込め、振りかぶる。そしてジャミルの顔に叩きつける思われた。
「よさぬか!ヒドラ!」
「お主はこの場を見届けておれば良いのだ!」
「勝手な介入は許さん!」
「チッ!」
ヨルムの叱責を受けると、ヒドラは不満げな表情を浮かべ、後退りする。
すると、ヨルムは再度ジャミルに視線を向け、提案を促す。
「ジャミルよ、我は貴様ら親子に極刑を言い渡すとはいったが、貴様の子を守ろうとする親の姿に免じて、選択肢を与えようではないか」
ジャミルとアルシュの心に細やかな希望が湧き上がる。
「ほ、ホントですか!?」
無罪とは言わないまでも、将来的には2人で平穏な生活ができるかもしれないという微かな望みに縋り、王の提案に耳を傾けた。
「刑を受けるのは貴様ら親子のどちらかだ」
「死ぬ者と救われる者、話し合っても構わん」
「刑を受ける方は前へ出よ」
親子の望みはヨルムの一言で呆気なく砕け散った。アルシュはなんとか父を助けたいと考える。
死にたくない、そんな思いが彼の頭から離れない。
彼は怖くて仕方がなかったが、なんとか重い体を持ち上げ、ゆっくりと前へ出ようとする。
「どけっ!」
しかし、ジャミルがアルシュを後方へ突き飛ばして王に近付く。
戸惑いを見せたアルシュはこのままでは父が死んでしまうと思い、止めさせようとする。
「なにやってんだよ!」
「父さんが死ぬのなんて、俺嫌だよ!!」
しかし、ジャミルは歩みを止める気などない。彼はアルシュに声を張り上げる。
「こうでもしなきゃ、死ぬのはお前だろ!」
「子が死ぬのをただ見ている親がどこにいる!?」
「お前は生きろ...!!」
ジャミルは息子を愛し、妻とも必ず彼を守ると誓った。絶対に死なせない、そんな思いとヨルムの差し伸べた救いが、ジャミルの心を燃え上がらせた。
アルシュは父の優しさと、悲しさに涙を流し、己のやるせなさに嘆き、感情と共に体が地面に崩れ落ちる。
「俺にもっと力があれば...!くっそおおおお!」
ジャミルは自身の行動に迷いがなかった。息子を守りたい一心で彼は喜んで申し出る。
「俺が刑を受けます!」
ヨルムはジャミルの躊躇のない判断に感服し、拍手し、敬意の念を送る。
「認めよう、貴様の息子に対する愛は、どの親よりも深い」
「よかろう、ではアルシュを執行人の手にかけさせる事はしない」
「極刑台に立つのはジャミル、貴様だけだ」
その言葉にジャミルは息子が救われた事による安堵で、肩の荷を下ろす。
「よかった...!本当によかったっ....!」
「ありがとうございます.....!!」
アルシュは涙を流して何度も拳を地面に打ちつけ、血が滲み出す。
彼は悲しみの渦から逃れる事ができない。
かつて、父と交わした「偉大な竜族になる」と言う約束を守るどころか、目標から遠のいているような劣等感が彼の心を蝕んでいく。
ジャミルが喜ぶ中、ヒドラの心は晴れない。なぜアルシュが刑を免れたのか、ヨルムに異議を唱えようとする。
「父上、なぜ!?」
しかし、ヨルムの威厳ある冷ややかな表情は以前変わらず、何か言いたげな様子だった。
ヒドラは王に何か考えがあると思い、様子を見る事にする。
そしてヨルムは刑を免れ、悲しみに打ちひしがれるアルシュに、ある命令を下す。
「さてアルシュよ、貴様は父の愛により刑を免れ、命を拾った」
「だがその命、無駄に使う事はこのヨルムが許さん...貴様にはカヤール戦線にて軍に加わり戦ってもらう。せっかく拾った命だ、このジルドラスに捧げよ」
アルシュは青ざめ、言葉にならない凍てつくような不安と、恐怖の底へ突き落とされる。
「そ....そんな」
「俺、まだ戦場になんて行きたくないよ...!」
彼は以前のエウドラ祭で、いつかは強くなって戦士になりたいとルルアに言ったが、それは大人になってからの話で、力もなく、覚悟もできてない彼にとっては極刑よりも残酷な命令だった。
ジャミルはヨルムに怒りの眼差しを向け、感情をぶつける。
「陛下!それはあんまりです!」
「アルシュはまだ幼く、ましてや魔力の操作もままなりません!」
「こいつを戦地に赴かせ、ジルドラスの礎となる運命を背負わせるなど、あまりにも救いがありません!」
ヨルムはジャミルに冷ややかな眼差しを向け、彼の認識を正そうとする。
ジャミルは目を大きくさせ、困惑する。そしてヨルムの言葉に耳を傾ける。
「ジャミルよ、貴様は何か勘違いをしているようだな」
「我はただ、アルシュには刑を執行させないと言ったまで」
「そも、貴様がゲレタを殺した罪は、1人の命で償い切れるものではない、よってその家族も同罪と見做される」
「何人たりとも罪から逃れる事など許されぬ、受け入れよ」
ジャミルは怒りでおかしくなりそうだった。鎖がなければ、おそらく目の前にいる王族二人を殺そうとしていたかもしれない。
「なんだよ...なんだよそりゃ...アルシュは関係ないだろ...ふざけるなっ!!」
ジャミルから激しい怒りと悔しさが声になって漏れる。
ヨルムは感情的になるジャミルを哀れみの目で見つめる。
ヒドラは嘲笑し、ヨルムの下した決断に感服する。彼はジャミルの悲観する姿を見られた事が満足だった。
「さすがは父上だ、罪人に対して容赦がない」
「おかげでスカッとしたぜ」
アルシュは自身に迫り来る戦争の恐怖と、父の極刑が決まったことにより、憂いを帯びた表情で項垂れる。
「俺、結局戦争で死ぬのか...」
「父さんも死んで...何もかも終わりだな」
そんな彼に、父は肩を掴み、憂いの気持ちを抱きながら、必死にアルシュを激励する。
「いいか、アルシュ!お前にはこれから残酷な結末が待っているかもしれない!裏切られ、何度も弱音を吐き、死にたいと思うかもしれない!でも父さんがこれから言う言葉はあの時言ったことと何ら変わらない!諦めるな!お前の人生は誰かの物じゃない!お前自身のものだ!強く生きて自由を目指せ!!」
そして強くアルシュを抱きしめる。その温もりに心を奪われ、涙が石床に滴り落ちる。
「なんだ、これ...もうすぐ死ぬって分かってるのに...」
「戦に行ったら死ぬって分かってるのに....!」
「死にたくない...!!」
アルシュは絶望に顔を歪ませながらも、生きたいという決して叶わない希望を心に秘めつつ、自身に待ち受ける未来の地獄に恐怖した。
「では、早速アルシュを戦線へ送るのだ」
ヨルムはアルシュに同情する態度を見せず、冷酷な表情で彼を見下ろす。そして、戦線に送る手筈を整えるように衛兵に命じる。
「くそっ!離せっ!!」
アルシュは抱えられ、薄暗い広間を後にする。
必死にもがくが、衛兵の力強い腕に押し留められ、逃れることができない。
「父さん!!!」
ジャミルの姿がどんどん遠のいていく事でアルシュは焦り、手を伸ばす。しかし、彼の手が父に届くことは最早叶わない。
「アルシュ、なんとか生きてくれ...!」
「愛しているぞ...!」
父は最後に悲しみながらも微笑みの表情をアルシュに向ける。彼はアルシュが戦線に行く事を不安に思いながらも生き抜けるようにと心の底から祈る。
「あぁあぁあぁあぁあ!!!」
扉が閉ざされる強い音と共に、2人の目線は遮られた。こうして、ジャミルとアルシュは離れ離れになり、今生の別れとなった。
その数日後、王都のラムハザールの郊外にて多くの観衆が見守る中、シュレインは処刑台の階段を登る。
台の周りには大勢の民が集まっており、罪人に罵声とゴミを投げつける。彼らは執行が行われる瞬間を心待ちにしており、広間はまるでお祭り騒ぎだった。
「この人殺し!!」
「よくもこの国の宝を...!!」
「早くそいつをぶっ殺せぇ!!」
「どうした、早く登れ!」
ジャミルはそんな民衆の狂気に動揺せず、澄んだ青空を眺めながら呟く。
「ごめんな母さん」
「俺、約束守れそうにないわ」
必ずアルシュを守り、強く生きる。それがかつてジャミルが妻と交わした約束だった。
しかし、罪を犯して息子を危険な目に遭わせてしまった事で、彼は妻に負い目を感じている。
「あっちに行ったらあいつ、怒るだろうな」
衛兵が背中を押した事でよろめくが、彼に抵抗する意思はない。
ジャミルは、極刑を言い渡された時から悲しみに暮れながらも自分が死ぬ覚悟が出来ていた。
しかし、心の奥底から戦地に赴くアルシュへの不安がジワジワと蠢いているのを感じる。
「あの子は強い、それはこの目で見てきた」
それでもなんとか平静を保とうと、必死にそう言い聞かせ、感情を抑えていた。
執行人がジャミルの肩を抑え、荒々しい声を出し、彼を無理やり跪かせる。
「さっさと膝をつけ!このウスノロが!!」
ジャミルは膝をつき、怒りに燃える大勢の民衆を眺めながら息子との思い出を振り返る。
アルシュは成長する過程で、どんなに苦しい思いをしても挫けず、大切な物を守ろうとした。
少し聞き入れが悪い所もあるが、根の優しい竜族に成長した。
「大丈夫だよ母さん、あいつならきっとうまくやれるさ...」
彼はそう言い残し、息子に希望を託す。そして執行者の振り下ろす大刀が彼の身を切り裂く鈍い音が響き渡り、人々は喝采をあげる。
こうしてアルシュの父ジャミルは、自身の生涯に幕を閉じるのであった。