16話 許された暴力
黒い闇の中、声が聞こえる。誰の声かは分からないが、2人の男が何か会話をしているようだった。
「頼む….!!….くれ!!」
「何度言っても….だ….お前たちは…」
声が途切れ途切れで何を言っているのか分からない。そしてなぜか心の底から強い負の感情が湧き上がってくる。
「悲しい、苦しい、なぜだ」
「もう嫌だ、これ以上は耐えられない….!」
「やめろおおおお!!」
アルシュは木でできた固いベッドの上で目を覚まし、勢い良く起き上がる。呼吸が乱れ、額からは汗が流れる。頭はズキズキと痛み、手で頭を抱える。
「夢か…」
夢を見ていたことに気付くも、心に抱いた不安は消えない。彼は自分が今いる場所に、心当たりがなかった。視界は薄暗く、篝火の明かりで周囲が辛うじて確認できる。
「ここは…どこ?」
煉瓦の壁には窓がなく、石でできた床には水たまりが見える。向こうに廊下が見えるが、鉄格子が邪魔で進めそうにない。
「そうか…あの時捕まったのか…」
アルシュは父と共に衛兵隊に包囲され、抵抗も虚しく返り討ちにあったことを思い出す。彼にそれ以降の記憶は無かったが、今の状況から、捕えられて監獄に連れてこられたのだと気付く。
そして、ルルアの存在が脳裏をよぎり、心を抉られるような苦しみが襲う。
「ルルア…!なんで…!」
同時にアルシュの中にルルアへの負の感情が湧き上がる。彼女はなぜ助けようとしてくれなかったのか。友人以上の感情を抱いていたはずのルルアに、疑念が浮かび。僅かな怒りすら覚えた。
アルシュが悲しみに沈んでいると、隣の牢屋の隅に鎖に繋がれ、手足の自由が効かない状態で座り込む父を暗がりの中、鉄格子の間からようやく視認できた。
「父さん…!無事だったんだね!」
アルシュは父が無事であることに束の間の安堵と僅かな喜びを見せる。しかし、彼が父の元に近づくと、驚愕の表情を浮かべる。
俯く父の顔はやつれ、暗く、沈んだ表情を浮かべている。虚ろな目は黒く濁っており、普段の瞳の輝きは失われていた。
「アルシュか...そこにいるのか...?」
ジャミルは以前からは考えられない程の弱々しい口調で、アルシュの声に反応する。
「よく生きててくれた。こんな事になってしまって...本当にすまん。俺があの時、奴を殺さなければお前は....っ!!」
細々としたジャミルの口調に力が入った。後悔と呵責の念。眉を顰め、歯を食いしばる。
「俺は...お前達を守るために戦ったのに、結局のところ、ただお前を貶めるだけにすぎなかった...!」
「そんな事ないよ!誰が父さんをせめるんだよ!あの時父さんがいなかったら、俺たちはあいつに殺されてたんだ!」
アルシュは声を大にして、必死にジャミルを立ち直らせようよ鼓舞する。
「だが、俺たちは捕まってしまった...貴族殺しの罪でだ。お前は知らないだろうが、貴族を殺した罪人とその家族の末路は決まっている...!本当にすまない...許してくれ.....!」
ジャミルは拳を力強く握りしめた。自分たちのこれからの処罰を悟ったアルシュはゆっくりと後ろに退く。
「そ....そんな...」
絶望が監獄内の闇を一掃引き立てる。運命を知ったアルシュは言葉を失い、地面にへたり込む。
そして苦悶の表情を浮かべる。
「なんでだよ!なんでこうなったんだ!だって、父さんは何も悪い事なんてしてないだろ!!」
それがたとえ大切な者を守るためであったとしても、法は親子二人に容赦なく切り捨てる。
そんな不条理な世界にアルシュは吐き気を催す。
「ふざけるな...!こんな世界があってたまるか...!」
どれだけ叫んでもアルシュの言葉は誰にも届かないと思われた時、向こうから数人の足音が聞こえた。
「誰か...くる?」
ゆっくりと彼らは歩みを進め、やがて姿を現した。
「ほう、貴様らがゲレタを殺した罪人か」
その男は親子に赤い双眸を向け、嘲笑している。ブロンドの逆だった髪に、装飾で彩られた黒いチュニックとマントを羽織り、オールドショーツの下にブーツを履いた青年。と彼を取り巻く4人の兵士。
「あ、あんたは誰だ?」
「貴様、見せ物小屋の畜生に名を名乗るのか?まぁ良い。俺は今気分が良からな、冥土の土産に教えてやる。我が名はヒドラ・ジルドラス。ジルドラス王国の第三王子だ」
「なんだと...!?」
先程まで衰弱していたかのように見られたジャミルの声に力が籠る。
王族と言う言葉を聞いてアルシュにも彼がただ者ではない事が分かった。親子は萎縮し、ヒドラの言葉に耳を傾ける。
「貴様らには感謝しておかなければならないと思ってな。ゲレタは元々貴族でありながら血を求めて民を殺める下卑た男だと言う言伝は俺の耳にも入っていた。ジャミル、お前があの男を殺してくれたおかげで我が手を汚さずに済んだ」
「で、では!」
刹那、ジャミルの目には光明が見えた。王子から恩赦が下されると言う僅かな期待が。
しかし、アルシュは妙に感じていた。ヒドラが来てからと言うもの、この牢獄の雰囲気が一気に変わった気がする。
まるで暗くとも、落ち着きのあった空気が一気に張り詰め、身体中に突き刺さるような緊張感と、背中をざわめかせるような寒さ。
ヒドラは優しく、明るい笑みを作り、哀れな親子二人に寄りそうように答えた。
「ああ、苦痛なく死ね。感謝しているぞ。俺も手をこまねいていた所だが。お前たちは実に良い道具だった。クシャトリヤのゲレタは最近巷で話題の同族狩りに襲われて死んだ。最高に自然な筋書きだと思わないか?」
ヒドラは親子に感謝の印に道家のように見下し、哄笑を送る。その笑いは牢獄中に響き渡り、その空間全体が親子二人を侮蔑するかのようだった。
「く、くそおおおおお!!」
ジャミルの淡い期待は粉々に砕け散る。一瞬でも望みに縋ったが故の耐え難い喪失と失望に、打ち震え、涙を流して雄叫びを上げる。
「ハハハハハハハハハハハ!!」
ヒドラの笑い声はいつまでも続く。項垂れるジャミルを見て幸福な笑みを浮かべる男に憤りを爆発させたアルシュ。
「何がおかしいんだ!!」
ヒドラの高らかな笑い声をかき消すかのようにアルシュの怒声が交錯し、声と共にその満悦な表情は消えた。そして怒りに満ちたその少年を睨みつけ、威圧する。
「なんだ貴様、この俺に刃向かうのか?王子であるこの俺に!?」
先程の刺さるような空気と寒気は気のせいではなかった。ヒドラが近付くほど、その異常な現象は、より一層強さを増していく。
そしてヒドラは衛兵の一人に命令する。
「おい、ここの鍵を開けろ」
「ですがしかし」
「なんだ?貴様もこの俺に逆らうのか?」
「い、いえ!」
衛兵は慌ててアルシュのいる牢屋の鍵を開けると、ヒドラはその中へ入り、足元に座り込む少年を睨みつけて見下す。
アルシュは手足を自由に動かせなくなる程の威圧感と圧倒的恐怖を感じる。手足は震え、動悸が激しくなる。
「ハァッ!ハァッ!」
「ほう、この俺の威圧を受けてまだ正気を保っていられるとは。だが運が悪かったな。お前がヴァイシャとして生まれていれば、このような悲惨な目に遭わずに済んだのに」
そう言ってヒドラはアルシュの胸ぐらを片手で掴み、そのまま持ち上げた。
「は...な...せ......!!」
「ふん、威勢だけは大したもんだ。虫唾が走る!」
「やめてくれ!!」
ヒドラの手の周りに薄らとした光を収束させ拳をを握りしめ、振りかぶる。それを見ていたジャミルは必死に阻止しようと鉄格子を握り締めて声を震わせる。
「頼む...やめてくれ...!!そんなもので殴ったら...!」
「何度言っても無駄だ、どれだけ願ったところで俺はこいつを殴る」
アルシュは必死に胸ぐらを掴む腕を離させようとするが、岩のようにびくともしない。
ただ、呼吸がし辛く、そして怖い。
目には涙が浮かぶ。何もできない悔しさと、今から殴られる痛みに対する恐怖を伴って。
「やめろおおおおお!!」
そんなジャミルの叫びを聞かず、アルシュはヒドラを勢いよく飛んでくるその拳を胴体に打ち付けられた。
ルルアに治してもらったはずの数箇所が小枝を折るかのように砕かれたのが分かった。そして地面に叩きつけられた。
「あぁあぁあぁあぁあぁ!!」
痛みはなかったが、手の足も動かない。意識を失う寸前、父の悲痛な叫びだけが聞こえ、段々遠ざかって行くのを感じた。