12話 エウドラ祭
エウドラ祭の当日、オレンジがかった青空に浮かぶ太陽がナフィランドの村を眺めていた。
アルシュは持ち物を袋に詰め込んでいる。巾着袋にはジャミルからもらった銭を入れる。銅貨5枚これだけあれば困ることは無いだろう。
それとルルアはリンゴを気に入って食べていた。もしかしたらまたあげる事があるかもしれないと思い、リンゴを1個袋に入れた。
アルシュはルルアとエウドラ祭に行く事を心待ちにしていた分、楽しみで仕方がなかったが、ジャミルの言葉が気になる。
夜に潜む危険。同族狩り....いや、やめておこう。きっと大丈夫だ。前は運が悪かっただけだ。早めに帰れば問題はない。
そんな様子を見た父がアルシュに体の力を抜くように声をかける。
「なんだ?女と初めて行く祭はやっぱり緊張するのか?」
「だから違うって、俺もルルアもそんな事考えてないよ!」
アルシュはそう言うと肩の緊張が抜けていくのを感じた。
ジャミルはアルカスの様子を見て微笑んでいる。どこか緊張している様にも見えるが、息子がここまで楽しそうにするのを見るのは久しぶりだ。
いや、もしかしたらこれが初めてかもしれない。ジャミルはこの状況を噛み締める。
「じゃあ、行ってくるよ!」
「ああ、気をつけてな!寄り道すんなよ!」
ジャミルがそう言った頃にはアルシュは目でようやく確認で来る程度の距離まで走っていた。
いい思い出を作らせてやりたいと言う情があったが故に彼を行かせてしまったが、やはり心配だ。
ジャミルは深くため息をついた。
「二人をただ祭に行かせるのは危険だ。俺が見守っててやらないと」
程なくして、ジャミルも家を出た。息子が無事に帰って来れるように。ルルアとの思い出が心無いものに邪魔されないために。
夕陽が一日の別れを告げそうな頃、アルシュはクスルゼインに来ていた。本来であれば喧騒が落ち着きを見せるこの時間。
普段から賑やかなこの街の建物には、所々に装飾で彩られ、人々の活気はいつも以上の盛り上がりを見せる。
子どもたちはいつも以上にはしゃぎ。
大人たちは、いつも以上の哄笑を見せる。
露店や屋台はいつも以上の人だかりを狙うかのように、多く並び、客を引きつける商人の熱は止まるところを知らない。
まさにお祭り気分、街全体が興奮冷めやらぬ雰囲気だった。
アルシュは露店を眺めながら通りを歩き、待ち合わせ場所の噴水広場に来ていた。
以前、喧嘩の騒動の起こったこの広場では、歩き回る衛兵の姿が常に見える。
今日は特に厳重だ。人だかりが増えるエウドラ祭。彼らの仕事が増えるのは当然だ。
問題を起こすような者は確認できないが、広場では多くの人々が祭のために集っている。
走り回る子ども、酒を酌み交わす男たち、風呂敷の上に座り、香を炊いて祈りを捧げる家族。
そんな中一人で噴水の垣に腰を下ろすアルシュ。そこへ一人の少女が声をかける。
「おーい!」
ショートの黒い髪に褐色の肌、リネンを着た小柄な少女。ルルアは手を降りながらこちらへ駆けてくる。
「ルルアー!」
それに呼応するようにアルシュも手を振る。今までとは違う。俺には友達ができたんだ。もう一人じゃない。
「ごめん!待たせたね!」
「全然待ってないよ、俺も今来たばかりだから、っていうか祭始まったばかりみたいだから、早く行こうぜ!」
「うん!」
ジャミルは気付かれていない。彼は広場で二人の歩く姿を監視していた。
「ちくしょうアルシュめ!いつのまにあんな可愛い子と...!」
ジャミルは感極まっていた。まさか息子の晴れ姿を拝める日が来るとは思っても見なかった。
「こんなに嬉しいと感じたのはいつ以来だろうか!こんなに楽しいと感じたのは何年振りだろうか!俺はあいつの父として見届けなければいけない。あいつの勇姿を、あいつの男気を!俺はそのために来たのだ!」
ジャミル、ここに来た趣旨がまるっきり変わってるぞ。と彼に言えるものは誰もいない。引き続き、彼は見守りを続けた。
いつもの露店が並ぶ通りには、豪華な料理や酒が並び、いつも以上の賑わいがあった。
「さあどうだい!串焼きだよ!うますぎって頬っぺたが落ちちまうよ!」
「巷で有名な魔法で凍らせたキャンディだ!おひとつどうだい?」
時間が時間故、アルシュの体内時計が鳴り、ヨダレが垂れる。ルルアを見やると、色々な店に目移りしている。どうやら考えていることは同じらしい。
「何食べる?大丈夫だよ。今日は多めに持って来たから」
「いいよ、私の分は私で出すから。私もご主人様に貰って来たから...」
ルルアは遠慮しているようだ。彼女の言葉に従うべきだろうか。それともここは意地を通すべきだろうか。
「寄ってらっしゃい!ドラークシープの串焼きだよ!」
通りがかった串焼きの店から香ばしい匂いが漂ってくると共に、胃袋が早く食わせろとでも言うように音を鳴らす。アルシュは網に置かれた焼ける肉に見惚れた。
それを見たルルアは屋台へ向かう
「ちょっ!」
「ここにしよう」
「二つください!」
「あいよっ!」
「ルルア!俺は別にっ!」
アルシュの言動を気遣うようにしてルルアは串焼きを2本買った。
ちくしょう、ここはドンと胸を張って金を払うべきだったのにルルアに金を払わせてしまった...カッコ悪い...。
「ごめん...」
「いいって、それよりもあっちで食べよう」
そして二人は広場に戻り、踊りを見ながら串焼きを頬張った。
肉は柔らかく、噛んだ箇所からは肉汁が溢れ出て、口腔内を幸せが覆い尽くす。
「う、うまい!」
「うん、おいしい...!お肉なんて食べたの久しぶりだよ」
うまかったが、気に食わない。いいところを見せたい!今日は金を使い果たしてもいい、このままで終わるつもりはない!
それから二人は屋台を巡った。チーズや具が乗ったパン、ケバブ、果実水、アイスキャンディ。
屋台を巡り終え、アルシュとルルアは丘の原っぱに寝転がる。二人の小さな胃袋は瞬く間に膨れ上がると共に、用意していた金は全て使い切った。
「くふっ、お腹いっぱい」
「そ、そうだね...でも楽しいね」
「そうだな、こんなに楽しいのっていつ振りだろ」
反芻を思えば友人がいなかった頃のアルシュは笑顔が少なく、自分に自信がなかった。
抗い続けてもどうせボロが出るかもしれないと言う汚れを心の片隅に秘めていた。あの頃は笑顔がなかった。
「お前に会えて、本当に良かったよ」
「うん、私も!」
すっかり暗くなってしまった夜空には星が瞬く。早く帰らないと父さんとの約束を破ってしまう。と思い、ルルアに声をかけようとした瞬間!
ドン!!と大きな音と共に、空に大きな灯りが見える。上を見上げると、空を覆いつくさんとする花火がアルシュの目に焼きついた。
「すっごい!私こんなの見たの初めて!」
「俺もだよ」
花火は昔、父さんと一緒に見たことはあったが、ナフィランドから見えた小さな花火だった。こんなに間近で見ることはなかった。
すぐ近くで見える花火は少年の心に鮮烈な印象を与える。この思い出は一生残ることだろう。大切にしなければいけない。
「本当に楽しい時間。いつまでも続けばいいのに」
「そうだな」
こんなに楽しいひと時もすぐに過ぎ去って行く。明日からはまた、過酷な日常が待っている。
俺はルルアと一緒にいてやる事ができるが、また何かあったら今度こそ俺は彼女を守ってやる事ができるだろうか。
ルルアという友達ができて、俺は少々浮かれていたのかもしれない。
俺は一刻も早く、強くならなければいけない。
「俺、戦士になるよ」
「あ」
アルシュはそっと囁いた瞬間、風が靡く。頭の中の思考が口になって漏れてしまった。
辛い過去を持つ彼女はどんな顔をするのだろうか。そっと花火から、彼女の顔を見る。
「なんだ、ちゃんと夢があるんじゃない。私の夢は叶うかどうか分からないけど...君のはきっと叶うよ。頑張ってね!応援してるから」
ルルアの笑顔は花火よりも明るく、綺麗に咲いた。その素振りを見て、心臓が高鳴るのを感じる。混じり気を感じさせない表情や、あどけない仕草。ジャミルは言っていた。これが恋なのだと。
「何言ってるんだよ!お前の夢だって叶うよ!いつか冒険するんだろ!?だったらその時は、俺も一緒に...付き合うからさ」
力強く話そうと思ったが、弱気になり最後の方では勢いが完全に失われていた。
それを聞いたルルアの頬も赤くなり、アルシュから若干目を背ける。
「約束、だからね?」
「や、約束な!」
こうして二人は硬い握手を交わす。いつかは二人が望む夢が訪れるのだと、信じる事にした。