5
鹿子村は小さな村で年寄りが多い。
山を下りると田や畑が広がり、それらを耕すのはもっぱら腰の曲がった者ばかり。
一行は京弥が空き家を借りているという、老夫婦の家を訪れた。
二人は村の中で大きな家に住んでいるが、中は質素な作りで家具も少ない。軒先には多くの種類の野菜が干してあり、土間には漬物甕が多く置かれていた。
彼らは若者がたくさん現れたことに驚き、同時に喜んだ。サスケの事情を聞くと、”村の神社に行きなさい”と顔を険しくさせた。
「あなた方もあの山にはよく行くんですか?」
「この村に住んでいる以上はね。でも皆、秋には滅多なことでは入らないよ」
「この子がなんとかなるとよいのだけどねぇ……」
老夫婦には心配そうに見送られた。
京弥の案内で村の神社に訪れると、年老いた神主に出迎えられた。
紫の袴を履いた白髪の老人は、竹ぼうきで境内の掃除をしていた。
短い白髪、長く伸ばした白い髭、しわくちゃの手。伏せた目は誰かを見ているわけでもないのに優しい。
征司は在りし日の記憶と重なり、思わず懐かしい名前を呼んでしまった。
「じいちゃん……」
神主はにっこりと笑うと、竹ぼうきを動かす手を止めた。
親し気に軽く手を挙げた京弥に合わせ、征司たちは会釈をした。
「やぁやぁこんにちは。若いお客さんが来るのは随分久しぶりだ」
「神主さん、こいつらは俺が昔いた村に住んでいた者たちだ」
「ほう、君の知り合いかね。よく来たね。年寄りばかりの村だがゆっくりしてってくれ」
「それが……ちぃとばかしまずいことが起きちまったんだ」
神主は”放ってはおけない”と言わんばかりに、真剣な表情の上に心配を重ねる。
「どうした、何があったんだい。儂にできることはあるかね?」
京弥が今朝起きたことを簡単に説明すると、神主は顔を青ざめさせた後、真っ赤になった。頭上で噴火しているようだ。
「くらぁぁぁ! このバッカもん! 山の恐ろしさを知らないなら立ち入るんじゃない! もう秋だぞ!!」
「ひゃ……ひぃえ!? すみませんでしたぁぁ!」
神主の形相で察したサスケは、涙目で何度も頭を下げた。
「取り戻す方法はないか?」
京弥が落ち着けるように聞くと、神主は長く深いため息をついた。
「なくはない……。しかし、危険もつきまとうからおすすめはしたくないのう……」
「教えてくれよ。こいつらは村の神社で神貴を譲り受けてるんだ。只者ではないぜ」
「なっ……し、神貴を……?」
征司は腰帯に差した刀の柄を軽く持ち上げて見せた。小紅は神楽鈴を、サスケは二振りの短刀を。
「君たちは一体何者なんだ…?」
「神主忠之とその息子のよき教え子だ。特にこの征司は神主と親しかった。人外の話にも詳しい」
「おぉ……。忠之様の……」
神主は腰をかがめ、征司に向かって手をこすり合わせた。
再び山に入った一行は周囲を警戒しつつ、十二単姿の女はいずこ……と歩き回った。
征司は山道に慣れていないとは言え、趣味の散歩でよく歩くので脚力には自信がある。しかし。
「きょーやぁー~……。歩くのはえぇよぉ……」
「情けないなお前たちは……。そんな体たらくでよく旅に出ようなんて思ったな……」
京弥がため息をついて振り返った。
彼らの速度が落ちて距離が開いていた。征司たちは滝のような汗を流し、よろよろと歩いている。京弥は腰に手を当てると、”やれやれ……”と肩をすくめた。
「最年少、二人より汗をかいてないな。頑丈な体のようだ」
先に京弥の元に追いついたサスケは、京弥の口の動きをじっと見つめた後に笑った。
彼はこの数時間で、唇の動きで相手の話を聞く技をものにした。いわゆる読唇術。ただし、サスケと向かい合った状態で、かつ口の動きをはっきりさせないといけない。
「それにしても……。山姫って会ってまともに話せるような相手なの?」
「それは小紅の鈴にかかってるな」
『山の中に入り、山姫に会いなさい。そうすれば神が現れる。そこでお嬢さん、神楽鈴で舞うのだ。山姫や神は美しい鈴の音が好きだ。感銘を与えたら願いを聞いてくれるやもしれぬ』
小紅は神楽鈴を両手で持って見つめた。
複数の鈴が一本の木に沿うようにして円錐を描いている。持ち手の端には五色の細長い帯が伸びていた。軽く動かすとしゃらん、と清らかな音を奏でる。
彼女は神楽鈴をまともにさわったことがない。神社関係者が親戚にいるとは言え、本物の巫女が神楽鈴を手に舞う姿を見たこともなかった。何年も村に巫女がいないからだ。
「小紅ならできる。俺は信じてる」
「何を根拠に……」
小紅は相変わらず京弥には塩対応で膨れっ面。口数も少なめだ。
彼は鼻で笑うと、小紅の細い肩に腕を回した。
「なぁ……可愛い顔が台無しだぜ。征司相手みたいに俺にも笑ってくれよ」
「さわらないで! このクズ!」
小紅が京弥の胸を押すと、彼は傷ついたような顔をした。口元だけはヘラヘラしている。
「ひでぇ~……。クズかよ……」
「どう見てもクズじゃない。私は好きでもない人にさわられたくない。近寄らないで」
「おーこわこわ」
彼女は京弥にふれられた部分を手で払い、顔に嫌悪感を押し出した。
それに構わず、京弥は小紅の隣を歩き続ける。彼は一瞬だけ征司に目をやると、小声になった。
「相変わらず征司にお熱なんだな?」
「うるさい! 今言わないでよ……!」
「じゃあ後でゆっくり話すかねー。二人きりで」
「絶対に嫌!」
「おーいお前ら。あっちに怪しい人影が……」
「きゃっ……」
「マジか」
前を歩いていた征司に呼びかけられた。不穏な空気は霧散し、今度は背筋が凍りつく感覚に襲われた。
小紅はどこかへ歩いて行こうとするサスケの肩を掴み、立ち止まらせる。
一行は木の後ろにぎゅうぎゅうと身を隠し、”怪しい人影”の後ろ姿を見つめた。
つややかな黒髪、そこからのぞく色白の首、重厚な十二単と緋色の袴。
こんな山の中で動きづらく、古風な姿をしているなんて只者ではない。
「あれが山姫……?」
京弥は振り向き、人差し指を立てた。特にサスケの顔をのぞきこんで。
「いいかお前たち、今回は山姫に用事があるから絶対に先に笑うぞ。そんで神様にサスケの聴力を返してもらうように頼んでもらう。いいな?」
「そんな簡単に行くかな……」
「やってみないと分からないだろ。とりあえず出るか……とぅっ!」
征司が茂みから飛び出したのを合図に、他の三人も続いた。小紅とサスケは先の二人に隠れるように遅れて。
「あ……あのー、山姫さん!」
征司がぎこちなく声を上げた。先を歩く山姫とは距離があるせいか、彼の声は気持ち大きめだ。
その声が自分に向けられていると分かったのか、山姫はその場で立ち止まった。
背を向けたままだが話を聞いてくれそうだ。征司はさらに声を張り上げ、口の周りを両手で囲った。
「実はぁー俺の仲間が神様に聴力を取られてしまってぇー。返してもらうよう、神様に頼んでもらえませんかねぇー」
目的を達成すると、山姫がこちらへ振り向く気配がした。
一行は喉を鳴らして唾を飲み込み、顔に笑みを張り付ける。もれなく全員が引きつり笑いになってしまった。
山姫は黒髪を風になびかせ、ゆっくりと振り返った。色白の肌は木漏れ日を受けてぼんやりと輝いている。つややかな黒髪がよく映えていた。
整った目鼻立ちは並みの人間では勝てない美しさ。
息をのむ美しさとは彼女のことを言うのだろう。そのせいで笑顔が崩れそうになり、なんとも言えない中途半端な表情に変わってしまった。
「……何してんのあんたたち」
「え……!?」
山姫は振り返るなり、低い声で頬を引きつらせた。
美しさで言えば人外級なのだが、その声は女ではない。どう聞いても声変わりを終えた男だった。
征司はポカンと口を開けて固まっていたが、はじかれたように指を鳴らした。
「なーんだ、山姫ってのは男だったのか」
「そこじゃねぇだろ。あいつはただの人間だ」
「ただの人間じゃないわよ! ガキども、何しにこの山に入りやがった!」
「ひぃっ……。あんたこそ何モンだよ! 紛らわしい恰好してんじゃねぇよ!」
古風な女装をした男は、この山にある小さな神社の神主だと話した。
案内されて神社に入ると、鳥居の近くに見たことのない植物が茂っていた。
所々角度を変えた枝には青々とした葉がつき、赤い花弁が重なり合った美しい花を咲かせている。
八重桜とは違う何重にもなった珍しい花だ。よく見ようと、征司は枝をつまんで顔を近づけた。
「……いたっ」
「おバカ、その花にさわったわね。それにはトゲがあるのよ」
「うんわ本当だ……」
「好奇心があるのはいいけど、やたらめったらさわるもんじゃないわ」
征司は痛む人差し指の先を見た。トゲをさわった感覚はあったが、赤く腫れているだけで血は出ていない。
「薬があるからあげるわ。とりあえず入りなさい」
女装神主は小さな小屋の戸を引き、四人のことを招き入れた。
殺風景な社務所だ。神社の敷地も狭い。故郷の神社も小さな神社だが、その比ではない。
彼は征司に軟膏を渡し、分厚い十二単を脱いで軽くたたんだ。その下には簡素な小袖と赤い袴。まるで巫女だ。
「ここは山で修行する者が寝泊まりするためにあるの。私も週一でしか来ないわ」
彼は長い髪をかきあげるとあぐらをかいた。
「さっきは驚かせて悪かったわね。あの姿をしていないと山賊に襲われるのよね」
「この山、山賊も出るんですか……」
「時々ね。ただやっぱり、あの格好で山を歩くのはクソ暑いわね」
彼は手で首筋を扇ぎ、気だるげにサスケのことを見た。
「さっき言ってた、耳が聞こえなくなったのは誰?」
「俺っス」
「あら、見事なまでに女顔ねぇ……」
女装神主は山の中で薬草を採取していたそうだ。
元々は薬屋の跡取りだったが神社に後継者がおらず、神主である叔父の跡を継ぐことになった。山に生える薬草を採取するために週一で神社に訪れるそうだ。
「へぇー。なんだかせーめーさんみたいだな」
「清命? もしかして忠之様の息子の?」
「そうです。実はじいちゃんって有名人なのかな」
「有名も何も、あの方は偉大なのよ! 叔父からよく聞いたし、私も一度だけお会いしたことがあるわ。とっても素敵な、穏やかな紳士でいい具合に枯れた男前だったわ……」
「いやそういうのは聞いてない……」
いつの間にか頬を染めた女装神主だったが、征司が苦笑いしたのを見て取り繕った。
「あの方は偉大な祓い屋だったのよ。人騒がせな人外を退治するのではなく、説得して人間と住みわけさせていたわ。困っている人々に迷いなく手を差し伸べることのできる、人間の鏡のような人だった。まさかあの方をよく知るあんたたちに出会えるなんて……。不思議な縁があるものね」
「俺らもあなたと知り合えてよかったです。これでサスケのことも安心……」
「それは分からないわ。神々は気まぐれなの。簡単に許してくれるかどうか」
女装神主は渋い顔をしてなかなか話そうとしなかった。しかし、顔が整っている京弥が押してみた所あっさりと口を開いた。
『ここからさらに山奥を行けば山姫に会えるわ。さっきの私と同じような姿をしてる……って、もう知ってるわね』
女装神主は征司たちを見送る前に、境内に咲く真っ赤な花を一輪摘んだ。
旅をしている京弥ですら見たことがないらしい花。女装神主は薔薇だと話し、懐から小刀を取り出してとげを取り除いた。
枝を短く切り、小紅の頭につける。彼女は手の平で包み込むようにそっとふれた。
「わぁ……ありがとうございます。綺麗……」
自分が育てた花を褒められて気をよくし、彼はほほえんだ。
「好きなんでしょう? 彼のこと。この旅で心を掴めるといいわね」
「なんで分かったんですか!?」
「視線が熱すぎるのよ。あんた、おとなしい割には恋心は強いわね」
「やめて下さい……」
「いい趣味してるわね。彼、鈍感だけどちゃんと守ってくれそうね」
女装神主は謎めいたほほえみを浮かべ、小紅の背中をパシッとはたいた。




