8 マユの話
里見麻由美:マユ。中学3年生。舞の幼馴染。日本人離れしたエキゾチックな美貌。
『明日朝から妹友の家で話し合うことになったよ。もちろん妹も一緒』
『へー、妹さん、よく了承しましたね』
『そこなんよ。ひょっとしてアイツ、俺が妹友にちょっかいかけると思って警戒してるんと違うかと』
『ふーん、そうですかー』
『気のない返事やん。なんとか誤解を解けないもんやろか?』
『兄さんはその子のことどう思ってるんですか? かわいいですか?』
『かわいいけど俺は妹一筋だからなー』
『かわいい子に告られても妹さん一筋ですか?』
『一筋やね。でもな、そんなん証明できひんやん? 未来永劫妹一筋やと断言できるけど、証明はできない。あれ? なんか話おかしくないか? 何で俺が、何を釈明してるんやろ?』
『www 兄さんの思いはわかりました。ちょっかいかける気がないことをそのまま伝えたらいいんじゃないですか?』
『そう? おかしくない? そもそも妹がそんなこと考えてなかったらイタイだけの言葉なんやけど?』
『妹さんの考えがどうであれキモイ言葉ですが、思いは伝わるかと』
『そうかー、軍師の言うことやしなー、やってみようかな』
『壁ドンってわかります? 妹さんを壁に追いつめて、唇を奪える距離で『俺はお前だけだから気にすんな』って』
『ムリムリムリムリムリwww』
『ダメかw』
「何、その格好」
日曜、朝。
玄関で舞が咎めたのは俺の外出着だった。
「何って、出かける服装だけど?」
スポーツメーカーの、ありふれたジャージ姿だ。そんなに変かな?
「……ちょっと部屋に戻って。急がないと時間がない」
こんなやり取りの後、俺の外出姿はオシャレな服屋のマネキンが着てるようなオシャレな装いに様変わりした。白のTシャツに紺のカーディガン、黒のパンツ。
「お前いいセンスしてんな」
鏡を見て思わずびびったわー。馬子にも衣裳って言葉が脳裏に浮かんだのは自虐が過ぎるか。
「もっと時間があればもっと良くできたんだけど」
「いやいや、あんな短時間で俺のタンスの中からピンポイントでぽんぽんと選んでコレだからな。女ってアレか? 見たことないタンスの中でも開けた瞬間どこに何があるかわかるもんなんか?」
「!」
一瞬舞が硬直したが怒り出した。
「もう、どうでもいいでしょ。時間ないんだからさっさと行くよ!」
「おう」
ちなみに舞は白のキャミソールにピンクのカーディガン、黒のレギンスという出で立ち。カーディガンは俺からの誕生日プレゼントやで。
マユの家はウチからゆっくり歩いて10分くらいのところらしい。
途中にコンビニがあるからコンドーさん購入しようかとも思ったが、舞が機嫌良さそうに真横を歩いているのでちょっと無理やな。すまんマイ、コンドーさんお迎えはもうちょっと先になるわー。
コンド―さんのことを諦めて、別の気になってることを聞いてみた。
「なあ、マユの方針は聞いてるんよな?」
「離婚させるんでしょ?」
「そうそれ。お前はどう思ってんの? 離婚でいいの?」
「良くないけどマユがそう願ってるんだからしょうがないじゃない。兄貴は反対なの?」
「俺はマユのことも家庭のことも知らないからな。不倫疑惑の解明には全面協力するけど離婚云々については判断できねーよ」
「それでいいんじゃない? マユだって親の離婚のことで私たちの支持を求めてるわけじゃないし」
「そっか、そうだよな。ま、何もかもは話を聞いてからか」
「うん」
里見邸に着。
マユは里見麻由美って名前なんだと。
インターホンを鳴らすとマユはすぐに玄関ドアを開けた。
「おはよ~、来てくれてありがと~」
舞から俺に視線を移すと愛想よく微笑んで、
「タケト君もありがとうございます」
と歓迎してくれた。
笑顔だが、これから話す内容は暗い。
「タケト君は何がいいですか? コーヒーですか?」
「えーと、お前は何にするの?」
舞に聞くと「お茶」と短い返事。
「お茶で」
俺は答えた。
リビング。
テーブルを挟んでマユと俺ら兄妹。
家の中はマユ以外不在らしく静まり返っている。
「お母さんの不倫の件だけど」
マユは口火を切った。
「先月私が体調悪くて部活早退した日あったでしょ?」
舞に向かって問いかけた。二人とも部活はバスケをやっている。
「うん、あの日だったの?」
「あの日、帰ったらお母さんも帰ってて、ケータイで立ち話していたの。『なーに、さっきまで一緒だったのにもう恋しくなったの?』そんな感じのことを甘ったるい声で言ってたわ。お父さんは海外長期出張中だから『さっきまで一緒だった』はあり得ない」
なるほど。
「『今度の日曜日娘が試合だから家いいわよ』って。これってウチで逢ってるってことでしょ?」
「それ、蓮見女子との試合の日?」
舞の質問に無言で頷くマユ。
「タケト君どう思う?」
俺か?
「まだ物証シロ、心証クロの段階だな」
「そうなの。だから決定的な証拠が欲しいの。ネットで調べたら密会証拠が数回分あったら悪質な不倫って扱いになるみたい」
「証拠が一回分だけだったら『一度だけの過ちだった』と言い張れるもんな」
「あの話しぶりで一度だけなんて絶対ない」
怖すぎワロタ。
「改めて言うけど、尾行は俺がするからな」
「あらためて? どういうこと?」
舞の声が低くなった。こいつには言ってなかったな。
「俺らは所詮ガキだからカネないし信用もないだろ? マユの確信を確証に変えるだけの証拠が必要で、ガキの俺らが用意できそうなもの、それはやっぱ決定的場面の写真やと思う。プロじゃないから写りが悪いのはしょうがない。裁判とかで使えなくてもしょうがない。ただマユがお父さんを説得できるような写真でさえあればいい。そうすればお父さんは興信所と弁護士を雇って解決に乗り出すやろ」
俺の長広舌を二人とも黙って聞いている。
「俺たちはあくまできっかけを作ることに狙いをしぼるべきだ。落ち着いて、冷静に、自分たちができることとできないことをちゃんと分けて、できることだけをやるべき。それが俺の意見」
マユは頷いた。
「感情的になって無茶するなって言いたいんですよね、わかりました」
舞からは特にコメントはない。マユが続ける。
「じゃあタケト君の言う『決定的場面』をどうやって撮るかですが……」
「ライムでも言ったけど、写真撮るのは俺に任せてくれ。夜の街を尾行することになるからな。お前らは部活も大事な時期だし高校受験も控えている。中三女子がすべきことじゃない」
「兄貴だって高校生じゃない」
舞が反論してきた。
「俺が高校生で男だからこそだよ」
前にマユにライムで書いたことをここでもう一度繰り返す。
「女で、中三で、部活がんばってて、受験生のお前らが夜のラブホをうろついたとする。危ない男に絡まれるかもしれないし、援助交際してるって噂を立てられるかもしれない。これってシャレにならないことだからな。親の問題に向き合う真剣さなんて絶対理解されない、そうは思わないか?」
「……」
舞も黙った。そりゃ言い返せないやろ。
「不倫にラブホを使ってるかわからんけど、夜の行動確認は俺に任せてくれ」
「わかりました、ありがとう」
マユは頷いた。
「家を使ってる可能性が高いんだよな? 家での不倫を撮れたらいいんだけどな」
俺がそう言った後、舞が沈黙を破った。
「提案があるんだけど」
マユ、目で話の先を促す、
「おばさんが『娘が試合でいないから逢える』って言ってたんだよね? 嘘の試合日を教えてたらどうかな? 『試合がある』って嘘ついて、自宅で不倫してるところを押さえるの」
スゲー! うまくいきそうじゃね?
「ナイスアイデア! それ、やってみよう。試合の格好して出て行くフリして家の中に隠れる。それだったら写真じゃなく動画だって撮れる!」
マユは興奮気味に何度も頷いた。
「撮影も大事やけど、相手の男の正体を突き止めるのを優先したいな」
俺は言った。
「部活とかお泊りとか、とにかく口実を作って不倫させる。不倫が終わった後、男が帰るのを尾行して住所を突き止める。住所を突き止めさえすれば、そこから勤め先まで尾行できる」
「そうですね、車で移動されたら追跡は無理になるけど、車とナンバープレートを撮れたら大きいですね」
「そうかー、車の可能性もあるんか。フツーに考えて車だよなぁ。原付免許取ろうかなぁ」
「免許取っても原付買えないじゃない」
「そっか、カネないわー」
「タケト君が言ったように、お父さんを説得する材料を用意するのが目的だから、追跡無理でもいいよ」
「じゃあ部活陽動作戦実施ってことでいいか?」
「はい」
「あのさ、家のPCってどうなってんの? おばさん、メール使ってない?」
舞が尋ねた。
「仕事で使ってるみたい。それ以外はスマホとタブレットかなぁ」
「マユはそのPC使ってんの?」
「写真とか年賀状印刷の時くらいかなぁ」
「ほとんどおばさんだけが使ってるわけね?」
「うん」
「電源つけてみて」
マユがノートPCを持ってくる。電源を入れるとパスワードを求め……られなかった。
「パス設定されてないのね」
「うん、私普段全然使わないから、プライバシーを分けてないんだと思う」
「不倫してるわりに無警戒ね。ひょっとしたらメールも見ることできるんじゃない?」
「やってみる」
プロバイダーのメールは未読メールだらけで日常的に利用している形跡はなかった。ゴミ箱もチェックしたら収穫なし。
「ないね」
「フリーメールは? ログインしっぱなしのアカウントがあるかも」
「了解」
ブックマークからドートルのDメールに飛べたのでアクセスしてみるとログイン状態のままだった。
「!」
マウスを操るマユの手が一瞬止まった。すぐに動き出し、受信リスト、送信リスト、ゴミ箱をチェックする。
「ないね。旅行会社のDMとか、そんなのばっか」
「仕事の業務連絡を装った怪しいメールない?」
「うーん、ないな」
「下書きリストは?」
「下書き?」
「うん、おばさんと不倫相手がこのアカウントを共有してたら、下書きリストに不倫メールを残しておくことで連絡ができるんだよ。受信リストにも送信リストにも記録が残らない」
「なるほど」
下書きリストを呼び出すと、件名なしのメール下書きが一通だけ保存されていた。
「……あった……」
内容は、
『お疲れ様です。今日10時に陸山工業の製品内覧会に行ってきます。展示品を購入した場合、お金を立て替えたという扱いで経理処理して会社からお金を払ってもらうことは可能でしょうか?』
うーん、フツーの質問内容っぽい。
「これっておばさんの文章?」
「お母さんは経理だから日曜に商品の展示会に行くのはおかしい」
クロじゃね?
「営業マンが経理のことで質問してるメールっぽいな」
「だとしたら経理のおばさんのアカウントにこんなメールが下書き保存されてるのはおかしいよね」
「うん、多分10時に会おうっていう意味だと思う」
「今日おばさんは?」
「もう出かけた。夕方には帰るって言ってた」
「マユ、『今日また舞の家に泊まることになった』ってライムして。『今から出るから晩御飯いらない』って」
「? それでどうするの?」
「マユが今日から明日までいないとわかればこの家に不倫相手連れてくるんじゃないかと思って。私たちはずっとこの家のどこかに隠れて、証拠を掴むの」
「おおっ! お前スゲーな! まるで軍師!」
俺の妹は謀略も世界一!
マユも頷いた。
「それでいこう。ライム送る」
不貞行為がこの家で行われたとして、マユと舞と俺の3つのスマホで録画したら証拠能力爆上がり間違いなしだよな!