オマージュとパクリ
「ねぇ、パクリとオマージュって違うの?」
「違うよ」
「何が違うの?」
「簡単だよ。パクリには悪意がある、オマージュには善意しかない。その違いだよ」
「ふぅん?」
よくわかったような、ちっともわからなかったような、複雑な気持ちだったが、私は納得したふりをした。
この答えは一応頭の片隅に入れておいて、何かあった時にまた参照することにしようと決めた。
私がバギさんにこんな質問を投げかけたのには理由があった。
少し前から素人による小説投稿サイト『小説家になろうよ』で、交流のある作家さんが、私の真似をするようになっていたのだった。
その方は『新ポコ』さんというユーザーで、小説を書くのは初めてだと言っていた。
10年以上小説を書いている私の作品に感銘を受けてくれたらしく、私のファンになったとメッセージを送ってくれた。
『百合さんの作品は表現がとても個性的なのにわかりやすくて、大好きです!』
新ポコさんから一通目のそんなメッセージを受け取った時は素直に嬉しかった。
私は底辺作家と言ってもよく、『上手だね』と作家仲間さんから褒めてもらうことはたまにあっても、一般層からのポイントはほとんど貰えなかった。
ランキングに載ってもすぐに落ちる。交流のある方からしかポイントを貰えていない証拠だ。
それだけに新しく私の作品を読んでくださるファンがついてくださるのは大変有り難かったのだ。
『新作、楽しみにしてました! とっても百合さんらしい世界観で、やっぱり素敵だなと改めて思いました!』
新ポコさんはそんな感じの感想もよくくれた。
私もお礼のつもりで彼女の作品を読み、感想やポイントもつけたが、正直言うと小説執筆の初心者らしい読みにくさを感じていた。
段落の頭を下げない、会話文の鉤括弧の中に句点をつける、三点リーダーを奇数マスで使う。その他にも言葉の誤用があったり状況の描写に不足があったりして、読むのに苦痛さえ感じていた。
彼女を傷つけたくないし、何より私を嫌いになってほしくなかったので、何も言わなかったが、私が言わなくてもそれらのことは徐々に解決していった。
彼女は書き続けることで、だんだんと上達していったのだった。
ある日、オーガ・ずんさんという交流のあるユーザーさんから知らせがあった。
『百合さん、あなたの作品をパクってるユーザーがいるよ。通報したほうがいいかな?』
その作品のコードを教えてもらい、開いてみると、新ポコさんの作品が現れた。
それはオリジナルストーリーの恋愛小説だったが、オーガさんが言う通り、表現にとても私と似ているところがあった。
でも、擬音語の使い方がなんとなく似ているとか、登場人物の口調がそっくりとか、そんな程度で、タイトルは私のつけない長文説明型だし、何よりストーリーがオリジナルだ。
オーガさんは新ポコさんと交流がない。
せっかく報告してくれた彼に、笑い飛ばすような返信をしたくなかったので、私は共通のお友達を間に挟んでクッション役をお願いすることにした。
バギ・ナジルさんなら私とオーガさんの共通のお友達だし、新ポコさんとも相互お気に入りだ。頭が柔らかい人だと思うし、うってつけだと思ったのだった。
「こんなのパクリだとか言ってたらキリがないよ」
バギさんは新ポコさんの作品を読み、そんなメッセージをくれた。
「これはオマージュだよ。百合ちゃんの作風に影響を受けてるだけ」
「そうですよね」
私は彼に返信した。
「誰かに影響を与えられるなんて、むしろ嬉しいことですよね。それ、すみませんけどオーガさんにも言ってもらっていいですか?」
正義感の強いオーガさんも、バギさんにそう言われたら納得してくれたようだった。
私はなるべく波風を立てず、楽しく創作活動をしたかったので、それで安心することが出来た。
「百合さんの作風、物真似しちゃってるんですけど、気分害されたりしてないですか?」
メッセージでそんな心配をしてくれる彼女に、私はこう返した。
「構いませんよ〜。他人に影響を与えられるなんて、むしろ嬉しいです(^^)」
新作を発表するたび、新ポコさんの作品はどんどんと私のまるで物真似のようになっていった。
相変わらずストーリーはオリジナルながら、展開のパターンが丸きり同じだったり、主人公のセリフに形は違うものの意味が同じものがあったりした。
何より私が失恋ものを書けばその少し後に彼女が失恋ものを投稿する。私がコメディーを発表すればその少し後に彼女もコメディー作品を披露する。
音楽ならメロディー違いの同じアレンジの曲といってもいいぐらいに似てきたのだった。
さすがにパクられているような気分になり、私はバギさんに相談した。
「ねぇ、パクリとオマージュって違うの?」
「違うよ」
「何が違うの?」
「簡単だよ。パクリには悪意がある、オマージュには善意しかない。その違いだよ」
「ふぅん?」
納得はしなかったが、相談したことで、なんとなく気分は軽くなった。
そうだよな。これが商業作家ならともかく、私たちは所詮アマチュア。
彼女は悪気などなく、私の作風を気に入ってくれて、影響を受けてくれているだけなのだ。
問題にするようなことじゃないし、私もいい気分になりこそすれ、咎めるようなことじゃない。
そう、思うことにした。
私は硝子瓶会社で事務の仕事をしながら小説を書いていた。
プロの作家になる気は、もうなかった。
10年ほど前、大学生だった頃に、大手S社の文学賞に応募して、特別奨励賞をいただいたことはある。
文学誌に原稿用紙200枚の作品を掲載してもらい、有頂天になっていた。自分は作家としてこれから生きていくのだと思っていた。担当編集者もつき、気分はもうプロだった。
単行本を出すには受賞作だけではなくもう一本短編を書いてほしいと言われた。それが遂に書けなかった。
受賞してから私は前以上に張り切って本を読むようになり、近代ヨーロッパの哲学書まで手を出すようになっていた。
本というものは毒だった。いつしか私の思想は大衆とはかけ離れたストイックなものとなっていたのだった。
担当編集者から次々とボツを出され、私は落ち込むどころか、自分の作品が理解できない俗世間を冷笑した。
結局、私は見限られ、編集部からの電話もかかって来なくなった。
出版社との繋がりがなくなってからも、私は孤独に作品を書き続けてはいた。
しかし自己評価が高くなりすぎたあまり、完璧主義に陥っていた。
歴史に残るような名作でなければ書く意味がないという思考に囚われていた。
書いては捨てを繰り返し、一作も最後まで書ききれないまま、遂には何も書けなくなってしまった。
それから10年近くの時が流れた。
私は硝子瓶会社に務めるOLになり、家に帰ればゲームばかりやるようになっていた。
小説のようなものは書いていたが、巨大掲示板で他人とリレー小説をやったりするぐらいで、完全に昔とった杵柄を使っての遊びにすぎなかった。
そんなある日、たまたま小説投稿サイト『小説家になろうよ』を知り、久しぶりに書いてみようかという遊び気分で投稿を始めたのだった。
時が気負いを押し流してくれていた。軽い気分で書き始めると文章がスラスラと浮かび、読んだ人が『面白い』と言ってくれた。
眉間に皺を寄せて書いていた10年前と違い、いつの間にか私は楽しく小説を書けるようになっていた。楽しければそれでいい、プロを目指していた頃の、あんな苦しい思いはもうごめんだと思っていた。
ただ、ライトノベルが主流の『小説家になろうよ』の中では、文学志向の私の作品は受けが悪く、場違いなところで作品を発表しているという気はしていた。
雨が降っていた。
会社帰りに立ち寄ったコンビニに、文芸雑誌が置いてあった。
それを手に取り、パラパラとめくっていると、失ったはずの情熱がふつふつと沸き上がってくる。
『また……、新人賞に応募してみようか』
今の自分なら書けるという気がしていた。
『書籍化の話、来ました!』
活動報告で、新ポコさんがそんな報告をしたのだった。
流行のジャンルを主に書き、セルフプロモーションの能力もある彼女は、私など比べ物にならないほどのpvとポイント数を誇るようになっていた。
そして、その文体は、もはや私のコピーといってもよいほどに、そっくりなものとなっていた。
ストーリーは新しさを狙った私とはまったく違い、どこかで読んだことがあるような安心できるようなものであるが、それがかえって一般受けする形となっていた。
私が『こういうものだけは書くまい』と思うような、ありきたりな内容のものを、私にそっくりなオリジナルの擬音語を多用して、体言止めをひとつも使わず、それでいてシンプルでわかりやすい文体で、かわいい装飾を適度に散りばめながら、つまりは私の文体を見事なまでに模倣しているのだった。
私は複雑な気持ちだったが、それは隠して、彼女の活動報告に祝福のメッセージを書き込んだ。
「おめでとう」
それに対して新ポコさんは、こんな言葉を返してきた。
「ありがとうございます! 百合さんのおかげです! 百合さんに影響を受けてなかったら、こんなに『わかりやすい』とか『個性がある』とか皆さんから言ってもらえるような文章は書けてなかったと思います!」
そう。
彼女は『文章に個性がある』と評されるようになっていたのだった。
もし、彼女が売れて、有名になり、誰もが彼女の個性を知るようになったら、私は『彼女の真似をしている』として、こき下ろされることになるだろう。
文学雑誌の新人賞に応募したところで、『文体があのラノベ作家のパクリ』と思われ、マイナスポイントになるのかもしれない。
私は何もしなかった。
何も出来なかった。
彼女は何もパクってはいないのだし。
何より、私は自分で、彼女にこう言ったのだ。
「他人に影響を与えられるなんて、むしろ嬉しいです(^^)」