95話 ごちそうさまです。
「そう、その通り。そんなことまで知っている君なら、まだこの事務所に在籍していることになってる数人が既に他事務所に、所謂、転生していることも知っているだろうね」
二人以外誰もいない、冷房すらついていない静かな部屋の中で、男はそう言うと、俺の目を覗き込むようにして見た。
俺は負けじと見返すと、言葉を返した。
「なぜ、残った一人はこんな誰もいない事務所に残るんでしょうね」
そうなのだ。一人しか所属していない事務所ならもう所属するメリットなんてほとんど無いに近いのだ。元々VTuberの事務所はその性質上、同じ世界感を共有するライバー同士が頻繁なコラボなどを通して幅広い趣味嗜好を持つ視聴者を増やしていくためにあると言っても過言ではないのだから。
俺の疑問に答えるように男は口を開いた。
「僕が、僕の事務所を見捨てたタレントに、この会社が所有するVTuberとしての命の使用権を素直に移譲すると思ってるのかい?」
「つまり、キャラクター使用権に拘って、この事務所に唯一残っているのがVTuberの、」
俺がそう言うと、部屋の中にいるにも関わらず階段がダンダンと大きく音を響かせた音が聞こえて来たので俺は思わず言葉を止めた。
そして、男は俺の背後の扉をチラリと見ると面白そうに笑みを浮かべると、言う。
「ワビちゃん、うちの事務所の唯一の稼ぎ頭で、」
男がそこまで言った所で、ドアが大きく開け放たれて、両手にレジ袋を持った女の子が勢いよく室内に入ってきた。
「社長、帰ってきま」
そして勢いが付きすぎていたのか、ボロボロの床に足を躓かせて勢いよくころんだ。
「大丈夫?」
俺はとっさに助け起こそうと女の子が立ち上がれるようにと手を伸ばした。
「あっ!」
すると、女の子は大声を上げたかと思えば、擦りむいた膝小僧……ではなく、伸ばされた俺の手……でもなく、レジ袋から飛び出して悲惨なことになっているお惣菜を見て目をうるませた。
「私のご飯が、ああ、もう今月の食費が……」
女の子がそう言うと、社長と呼ばれた男はポケットから財布を取り出して、中身を確認した。
「仕方ないな」
男はそう言って、中身を漁ると再びポケットに財布を仕舞い直す。
「すまないね。もうこのビルの家賃と借金の利息分しかなかったよ」
男がそう言うと、女の子はついに精神に限界を迎えたのかワンワンと泣き出してしまった。
「これもあれも全部、社長が給料を全然払ってくれないからじゃんかー!」
女の子がそう言うと、男はククと笑うと、言う。
「ちゃんと家賃と光熱費分は払ってるよ」
男がそう言うと、女の子は泣きながら言った。
「食費! 人間の3大欲求! 食欲!」
女の子がそう言うと、男はニコリと笑って言った。
「美咲、言ってたよね? 配信でさ。 VTuberはトイレ行かないって」
男がそう言うと、女の子はさーっと顔を怒りとも羞恥とも見える赤色で染めると、叫ぶように言った。
「私は、人間! 今はVTuberじゃないの!」
そんな様子に居たたまれなくなった俺は思わず口に出していた。
「あの……。俺で良ければご飯奢りますけど」
俺がそう言うと、二人はにっこりと太陽のような笑みでこちらを見て言った。
「「ごちそう様です」」
なぜか一緒に声を上げる俺よりも一回りも年上の男を見て、俺はこの後のことについて、考えまいとしていた頭をついに働かせてしまい、そして、盛大に溜息をついた。




