40話 柔らか温かい
両親が海外赴任なので、いつも、夕飯は野菜炒めみたいな簡単な料理を梓と毎日交互に作っているのだけれど、今回は唐突な来客であったので鍋をしようかと思った。
「鍋でいいですか?」
俺が一応、そう聞くと、みんなは特に不満を言うこともなく頷く。
「じゃあ、私の家からも少し食材を持ってくるわね」
「そうっすね。お邪魔するんだし、私の家からもいくらか持ってくるっす」
俺が準備をしようと、冷蔵庫の上にしまってある電気鍋を降ろそうとしていると、彩と早苗さんがそう言って場をあとにしようとした。
「私は、大塚ちゃんと一緒に準備する!」
すると、梓がそう言って、すかさず大塚ちゃんを拘束した。大塚ちゃんは暴れながら、早苗さんに助けを求める。
「私も、私も一回家に帰る! 早苗さん! 置いてくな!」
「じゃあ、大塚ちゃんは、梓ちゃんと仲良く準備するっすよ~」
無慈悲にも早苗さんはそう言葉を残すと、彩と話しながら家を出ていった。
*
「ふふ、大塚ちゃん! 私達はサラダを作るよ!」
俺がシンクで野菜を洗っていると、梓は渋々といった様子で腕の中に捕らわれている大塚ちゃんにそう言った。
「私、料理できないぞ! やったことないからな」
サラダに料理もなにもあるのだろうか。そんなことを思いながら俺は突っ込んでやった。
「お前、サラダも作れないなんて、見た目だけじゃなくて、中身も小学生なんだな」
梓に拘束されていることを見越してそう挑発すると、大塚ちゃんはふがーといった風に暴れ始めた。
「見かけよりも、梓は意外に力持ちだからな」
「そうなんだよ。私はスリムで力持ちな健康体なんだよ!」
梓の鶏頭でも無意識の本能からなのか、胸を張ってドヤ顔をしている状況でも大塚ちゃんを拘束する手が緩むことはなかった。
……なかったからこそ俺は油断してしまったのかもしれなかった。
「ふがゅ、ッ!!」
俺の視界の遙か下方、予想もしなかった大塚ちゃんの足による攻撃は俺の男の子の切ないところを的確に射抜いていた。
「あっ、お兄ちゃん」
梓はひどく可哀想なものを見る目で俺のことを見下ろしていた。
あれ、おかしいなあ。さっきまで、梓を俺が見下ろしていたような気がするんだけどなあ。
俺は床の上をのたうち回りながら、あのお腹の奥深くからずんずんと響くようななんとも言えぬ苦痛に耐えた。
「ふはははは、モブ顔が調子に乗ったのが悪いだかんな」
大塚ちゃんはそう俺を見下ろして笑う。
しばらくして痛みが少しマシになると俺は言った。
「まあ、最近色々あったからな。そうやって笑ってくれてよかったよ」
そう言うと、大塚ちゃんは少し恥ずかしそうに。
「まあ、お前らと一緒なのは……ちょっとは心強いかんな」
そうポツリと零した。
それを聞いた梓はすごくニヤニヤした嬉しそうな顔で、
「大塚ちゃんがデレた。可愛いよう。ぐへへ」
そう述べた。うん、我が妹ながらキモい。まあ、でも。
「口悪いけど、お前もデレるんだな」
俺がちょっとした照れ隠し半分にそう言うと、大塚ちゃんは怒ってるのか恥ずかしく思っているのか分からないような真っ赤な顔をして。
「黙れ!」
ああ、怒ってるんだなと気づいたときには既に俺の切ないところに大塚ちゃんの足が振り下ろされていた。
*
「そんな所で寝転がって何してるの? 傑。……漏らした?」
タイミング悪く、俺が再び悶ているところに、彩と早苗さんが戻ってきた。
「いや、違うんだ、彩。野菜を洗っているところでちょっと足を滑らせてな」
彩に金的で悶てたなんて言いたくない。俺はかなり苦しい言い訳であることを自覚しながらもそう彩に説明した。
すると、満面の笑みを浮かべた大塚ちゃんかすたすたと彩に近づいていって彩に耳打ちした。
「大丈夫? 立てるかしら?」
彩は笑うことを隠そうともせずにそう言って俺に手を差し伸べてきた。
俺が手を取って立ち上がろうとすると、家のアホがまーた余計なことを言ってくれた。
「彩ちゃん、立てるかしらねえ」
梓がニヤニヤと実は中身が男子中学生とか、スケベオヤジとか言われても、本当なのではないかと真剣に悩ましくなるようなツッコミを入れると、彩が顔を真っ赤にして、否定するように、顔の前で手を降った。
半端な所まで、立ち上がりかけた俺の手を振り払って。
ズン。
俺は、勢いよく頭を床にぶつけることとなった。
*
なんだろう、随分と温かくて柔らかい感触がする。いつも愛用している低反発枕とは別の感触の気持ちよさだった。
「んっ」
俺が目をパチリと開けると、どこか心配した様子の彩の顔が俺の目の前にあった。
「えっ?」
状況に混乱しながらそう声を発すると、彩は俺の頭を手で挟むと、優しく頭を床に下ろす。
「ねえ、これって膝枕……」
俺が状況を確認しようと、頭を動かすと、いつもより随分と早口の彩が言った。
「はやく、鍋にするから」
彩はそう言葉を残すと、一人リビングへと向かってしまった。
そして、そんな様子をニヤニヤした様子で見ていた梓と、早苗さん、大塚ちゃんも俺をおいてリビングへと向かっていってしまう。
一人残された俺は、
「意識があれば良かったのに」
ちょっとだけ感じたあの柔らか温かい感じを思い出しながらあとに続いた。




