勇者狩リ施行サレズ。
――勇者、魔王討伐せり。
魔王を倒し世界に平和をもたらした勇者はその勤めを終えると、号外が舞う中、忽然と姿を消した。
王は恐れを抱く。強大な異形を討つ勇者の行方が掴めないというのは単純な恐怖であった。
自らの地位を脅かす存在を手元に置いて掌握しておきたいが為に、その内心を隠し勇者を指名手配して国中を探させた。
飼い慣らされる様子がないのなら冤罪を被せ処す算段で。
そんな王の思惑、勇者の捜索は難航した。特に目立って特徴の無い容姿の勇者は、こうなる事を予想していたからだ。
神輿に置き奉るには異質である存在を崇める期間などほんの少し。
世界を救った事実を以てしても、王をはじめ勇者を非難し恐れる国民は少数ながら居た。それだけではなく、魔王を倒し異形が世界から姿を消した弊害からのしわ寄せも、勇者という存在に向かう事となる。
魔物退治を生業としていた荒くれ者たちからの理不尽な中傷、言いがかり。
例え少なかろうと、人の心に影となって巣食うのが『悪意』というものだ。
勇者は国から出ていなかった。
その特徴の無い、人に紛れて判別できない風貌を利用し、道具屋の従業員をしてその日暮らしの生計を立てていたのだ。
まだ労働など知らない時分から『勇者』になってしまったため、こうしてのんびり仕事をするのが性に合っていると勇者は初めて知った。
かつて勇者の共の一人であった治療術士は今日も無愛想に、勇者が働く道具屋に顔を見せた。
「店員さん。これ」
繊細な髪が流れる美しい顔立ちの治療術士は、商品をカウンターに置いて会計を待つ。
商品陳列をしていた勇者店員は、そんな元仲間に特別な顔を見せずに接客する。
「まいどありがとうございます」
少量を逐一買いに来る術士に、勇者は親しい様子すらも見せない。自分が勇者であった事など忘れられている、いや、この顔を覚えてすらいないのだろうと術士の態度から推し計った。
(あんなにツンケンしてたのにな)
何かあると意見の衝突が起き、小言を貰ったりもした思い出が勇者の中に蘇る。
支援はあれど中々に過酷な旅の最中、土埃を被り傷を作る勇者に眉を歪め、節約の為野宿を提案するとその美しい顔をしかめた術士。
シミもくすみもないキメの細かい白い肌。傷みなど知らないような美髪を持つ線の細い術士には確かに過酷かもしれないと勇者は同情もしたのだ。
だから汚れ仕事など率先してしようとするのだが、そんな勇者に更に溜息を重ね。
「そういうのは共の仕事です。あなたが手を汚すなんて」
仕方ないといった顔で嫌そうに小言を漏らすのだ。
お互い助け、助けられてはいたが、何せ術士は無愛想で口調は丁寧であるものの常に不満を抱いていた印象しか勇者にはない。
しかし、勇者は存外このお綺麗な治療術士が嫌いではなく、むしろ感謝の念すら抱いていた。
旅を経て少しは仲良くなれたようでそうでもない術士の態度に気落ちする程には。
――勇者狩り、施行か?
新聞を読み王の暴走の現状を知った勇者は、同じ歳である一人の女性を思う。
住み込みで働かせて貰っている道具屋の娘だ。
一従業員である勇者に対しても優しさ溢れる明るい娘の事を考えたら、隠れたままでよかった今までのようにはいかない。
「このままじゃ無関係の人が」
この国は勇者の故郷ではないがそれなりに愛着もあった。特に食が多種多様な文化を有して、この勇者の血筋に驚く程馴染んだからだ。
内心で言い訳を重ねつつ、結局のところ勇者は一人で見知らぬ世界を生きていける根拠も、自信も、意気地も無かったのだ。
故に、当時は出奔しようなどとは思わなかったが、こうなってくると話は別である。
訪ねてきた治療術士はそんな勇者を説得した。
「国を出ましょう。このままじゃあなたは見つかってしまう」
「……なんだ。忘れてたんじゃなかったのか」
「あなたが今幸せに暮らしているのならそのままでいいと思って……」
後ろめたそうに目を逸らした術士に、勇者は。
「……幸せ」
今まで表に出さなかったどうしようもない感情が、敢えて押し込めていた平和な過去の何気ない楽しかった思い出が沸々と蘇る。
同年代の友達とふざけ合って笑って、怪我も病気も無くどうでもいい不満を愚痴りながら学び舎に通ったその日常。
それらはもう今の勇者の世界には無い。
溢れ、蓋がはじけ飛ぶくらいに隠していたものが噴き出た。
「幸せ!? 幸せなわけない! 身元を偽って隠れるようにしていつか人に迷惑を掛けるかもしれない暮らしが幸せなもんか! 誰にも相談なんかできずに一生独りこのまま元の世界にも帰れない人生のどこが幸せに見えるんだよ!?」
勇者自身もただの八つ当たりだと分かっている。
勇者が今ここにいるのは恐らく誰の咎でもない。
だが、じゃあどうすればいいのか。どうすればよかったのか。
このまま無関係な人間に飛び火するのを眺めながら自分の順番を待つだけが正解か。一人国を出て当てのない不安定な旅に身を投じるのが正解か。
そもそもが、魔王に苦しめられる民衆の懇願を無視すればよかったのか。流されるまま魔王討伐など成さなければよかったのか。
勇者は、何も悪事など働いていないのに。
元は平和な国で生まれ育った、ただの一般人であったのに。
普段は飄々として穏やかでもあった勇者の激しい憤りと、「元の世界にも帰れない」という言葉に術士は打ちひしがれた。
術士は初めて勇者の出自をおぼろげながら悟ってしまったから。
反して、激情を向けられた事への仄暗い喜びと、希望も。
「もっと早く行動するべきだった……」
ずっと不安だった勇者を思い気を落としながらも、術士は曖昧にしていた態度を明確にした。
「行動……?」
肩で息をする勇者は胡乱気に見た術士のその口から紡がれる文句に。
じわじわと頬を染めた。
術士は勇者の幸せを見守る事を辞めたのだ――。
後日、勇者が王の御前に出頭した記事を新聞各社はこぞって載せ。
「私はこの国を出ます。二度とあなたの前には姿を見せません」
見目麗しい術士を傍に置きそんな宣言をした勇者の様子、過激に取り乱す愚王を見限り、次々職を辞すか反旗を翻す官僚についての現状を民衆にばらまいた。
勇者と同じ年頃の国民を集め証明のしようがない尋問を行う。
本来抜き打ちで行う筈のそんな『勇者狩り』が情報として漏れ出ていたのも、勇者の謁見の詳細が報道できたのもある男の手引きがあったため。
『反旗を翻した』そんな男は今、女を一人連れ国境を越えようと山の尾根道に立っている。
「ほら、早く行きましょう。日が暮れる前に着きたいんですから。また野宿なんて言わないで下さいよ」
そう言って、美しい顔をした男は綺麗だが骨ばった手を差し出した。
「まあ……今ならそれも悪くないんですけど」
その呟きは、景色を見ていた連れの女には風が邪魔をして聞き取れなかったが。
「ごめんって。凄い壮観だから……またここに来たいな……来れるかな」
野宿はするつもりはない、と、ここ数年剣を握る事のなかった荒れの無い小さな手を男の手に乗せ、腰を上げた。
悪態をつきながらも男は女をこれでもかと庇護し甘やかした。
ずっと見守るつもりだったが、共に歩いて行けるのだと知って制限を無くしたから。女を想う故の遠慮はもうやめたから。
真綿でくるむような待遇に慣れていない女は、戸惑いつつも受け入れている。
男は歯痒かったのだ。
かつて、まだ年端のいかぬ少女がその身を傷付けるのも、魔物を屠るのをただ見る事しか出来なかった自分の力の無さも。
だが、果敢な勇ましさ、その中に見え隠れする儚さ、同行者への気遣いを見せる心根を知れたあの胸中が穏やかでない期間も反面、当時少年だった男にとっては大切なひとときでもあった。
女も多少大人になった今だからこそ、当時の男の態度に感謝している。
若く世間知らずの身を案じ、衛生面や異性と共に寝食する事への危機管理を説かれたのも。沢山傷をつけた身体に未だそれらしい古傷が無いのも。
女のためを思っての細々した小言も、全て。
今二人は、柵などない。ただの男と女でしかない。
「……あの愚王が退いたら……この国は変わるでしょうね。でも、人も景色も食べ物もこの国だけじゃないんですよ」
「あたしがこの世界で見た最初の景色だからちょっと思い入れがあるってだけだし。大丈夫、世界は広いって知ってるから」
広きに目を向けるのを良しとしながらも、この女を好いている男は少々複雑で不安ではあったのだが。
それでも。
男は女にこの世界の綺麗なものを自分がもっと見せてやりたかった。
女は男と一緒にもっとそんな世界を見たいと思った。
かつて。
異世界から突如見知らぬ世界に現れた勇者は世界を救った後、定住していた国を去った。
一人の仲間と共に世界を渡り歩き、夫婦になり、家族ができる。
そんな二人は晩年、賢王が治めると評判の食大国に腰を落ち着けたのだとか。
「世界中をたくさん周ったけど、ここのご飯が一番好きかな」
「僕はあなたの手料理なら何でも好きですけどね」
――勇者狩り、施行されず。