貴族の時代は終わった
「はあ……昔は良かったと思わない、ルイズ?」
机に突っ伏して溜息をつきながら、右隣に座る同級生のルイズに話しかけるイザベラ。
「一体いきなりどうしたの、イザベラ? まるで中年のおじさんみたいね」
「せめておばさんと言いなさいよ! ……数十年前は、産まれた時に既に婚約者が決まっていたらしいじゃない。将来も保証されて、問題さえ起こさなければ、貴族として悠々自適な生活が約束されていたなんて……本当に羨ましすぎるわ……」
華やかな貴族の暮らしが脳裏に浮かんでいるのか、キラキラと目を輝かせて話すイザベラの姿を見て、ルイズは呆れ顔で反論する。
「そんなに簡単なものじゃなかったわよ、きっと。貴族社会のルールや礼儀作法を身に付けないといけないし、馬鹿にされないよう教養も身に付ける必要もあったのよ? たとえ結婚しても別に朝から晩まで遊んでていいという訳じゃないし。夫人として客人のもてなしをしたり、夫の領地経営の補助やサロンを開いて情報交換をしなきゃいけないんだから、毎日気楽にパーティー三昧してるわけじゃなかったと思うわ」
「夢が無いこと言わないでよ!」
「事実を述べただけよ。今は女性だって自分の生き方を自由に選べるようになったんだから、恵まれてると思えばいいんじゃない?」
聞き飽きた台詞はうんざりだと言わんばかりに、イザベラは顔をしかめる。
「その『自由』ってのがしんどいのよ。たとえ必死に勉強したって、その先ちゃんと仕事に就ける保証は無いわけでしょ? かといって結婚するにしても相手は自分で自由に見つけないといけないし。誰だって好きな相手を選べるなら、顔が良くて成績優秀で将来有望なパートナーを選ぶに決まってるから、自然と競争率が高くなるし……はあ、自由なんていらないのに……」
「そんなこと言ってる暇があったら、さっさと彼氏の一人でも作りなさいよ」
「何その上から目線……あっ! ……ま、まさか……あんた彼氏できたの!?」
イザベラは勢いよく立ち上がり、ルイズに掴みかかりそうな勢いで問い質す。
「ふふっ……そのまさかよ!」
「ルイズの裏切者っ!!」
「何よそれ。早くしないと寂しい学園生活を送ることになっても知らないわよ。どうせ一生を添い遂げる相手を決める訳じゃないんだから、適当に馬が合うパートナーを探せばいいだけよ」
「そういう考え方もなんか気に入らないのよ……やっぱり運命の相手って響きに憧れるじゃない!」
「そんな簡単に見つかる訳ないでしょ。大体まだ就職もしていないのに、結婚相手を決めるなんて無理があるわ。お互い仕事が見つからず無職のまま収入なしで子供が生まれて……なんてことになったらそれこそ地獄だし」
「やだやだ、これだから夢も希望もない現実主義者は……そのくせ彼氏がいるのが一番ムカつく!」
「それじゃあ、イザベラさん! 僕と付き合わないかい? いや、むしろ結婚しませんか!?」
「「ひいっ」」
イザベラの左隣で、先程からノートに何かを必死に書き殴っていた、同級生のアランが突然会話に割り込んできた。
まるで寝起きのようなぼさぼさ頭に、曇った眼鏡の奥に目を爛々と輝かせた彼が出し抜けに求婚してきたことに、怯えて警戒を露わにする二人。
「いや、驚かせてすまない。盗み聞きをするつもりはなかったんだ。だが、君の考え方があまりにも素晴らしくて……」
「えっ?」
「僕は常々思っているんだ。愛する人には常に傍にいてもらうだけでいいと。仕事なんかしなくてもいい。ただ食っちゃ寝して怠惰に過ごしてくれるだけで十分だと!」
「か、神様……」
目を潤ませて両手を組み、恍惚とした表情でアランを拝むイザベラ。
「騙されちゃ駄目よ、イザベラ! そんな甘い話があるわけないじゃない!」
「本当だよ! 心の底からそう思っているんだ!」
「今の時代、誰だって働いてお金を稼いで生活していかないといけないのよ! 昔の貴族だって、領地を治めるという仕事をしていたわけで、何もせずに遊んでいたわけじゃ……」
「大丈夫、問題ない。特許料だけで10回生まれ変わっても遊んで暮らせるぐらいのお金はあるから、心配しなくてもいいんだ」
何を隠そうアランの父は王国の科学者として蒸気機関や紡績機を発明して、産業の発展に貢献した発明王なのだ。更に息子であるアラン本人もその血を色濃く受け継いでいるらしく、16歳の若さで既にいくつも特許を取得している。
身だしなみがだらしなく、授業中も大抵居眠りしている姿からは想像しがたいが、教師陣も彼の優秀さを知っているので迂闊に注意もできない。今やマナーや品位よりも実用的な知識や経済力が重視される時代なのだから。
「イザベラ……よく考えなさいよ! 逆にそれだけ将来安泰なのに誰も女子が近寄らないぐらいヤバイ奴ってことじゃない」
「失礼だな、君は。大体僕はイザベラさんに話しかけているんだ。邪魔しないでくれないか」
「友人が変な男に騙されそうになっていたら、必死になって止めるのは当たり前でしょ?」
「ルイズ……」
普段は超辛口の説教ばかりしてくるルイズが、ここまで自分を大切にしてくれていたことに感動するイザベラ。
「そもそも、どうしてイザベラなの? どうせ、ただそこそこ顔とスタイルが良いのに彼氏がいなくて、チョロいし騙されやすそうだから声を掛けただけでしょ!」
「ルイズ……?」
「先程の君達の会話で、イザベラさんには何か光るものを感じたんだ。きっと君なら理想的な立派な怠惰妻になってくれるだろうと」
「「怠惰妻……」」
「僕はね……愛する人をあらゆる手を尽くして全力で、でろっでろに甘やかして、元々の可憐な姿が原型をとどめなくなるほどに、ぶくぶくと幸せ太りさせてあげるのが小さい頃からの夢なんだ!」
「ほら! やっぱりただの変態じゃない!」
「何を言う! これこそが真実の愛だよ!」
「……う~ん……やはり……あなたが神か……」
イザベラは頬を紅潮させて、熱い視線をアランに送る。
「何洗脳されてるのよ、バカ! イザベラはそんな家畜みたいな生活でいいの!? そもそもあなた、アランのことが好きなの?」
「まあ……顔は良いし……お金も持ってるし……甘やかしてくれるし……好きかな……?」
「信じられない……さっきまで運命の相手がどうとか言ってたのは何なのよ!」
「ここで、僕とイザベラさんが出会ったということが、まさに運命なのさ!!! ああ、今日は人生最良の日だ!!! そうと決まれば早速ご両親に挨拶に行こう!!! さあ、イザベラさん!!! 先日開発した自動魔力駆動車ならあっという間だよ!!!」
「はい、あなた……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 二人共!!!」
まるで既に夫婦のように腕を組んで仲良く歩き、教室を出ていくイザベラとアラン。ルイズは焦って二人を追いかける。
(絶対に許さない! ぽっと出の変態発明家なんかに、イザベラを掻っ攫われてたまるものですか!!! 一体誰が今まで不潔で野蛮な狼共の手から彼女を守ってきたと思っているの!!! 情報操作だけじゃなく、時には実力行使に及んでイザベラの純潔を死守してきたのは、この私なんだから!!!)
(てっきり女には興味がないタイプだと思って、あの変人はノーマークにしていたのが仇になったわ……でもまだ間に合う! あいつの弱みを掴んで、何が何でもイザベラから引きはがしてやる! 彼女の運命の相手は、ちゃんと私が見つけてあげるんだから!!!)