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「おはよ、木下」
私が声をかけると、机に突っ伏していた木下が、のっそりと顔を上げる。
「おはよう」
その声は、少し掠れていた。
「風邪?」
「……かもな」
「あ、木下が体調悪いって時に、蓼原先生休みなのか!」
ようやく、駐輪場で感じた違和感が何だったのか気づく。
ライムグリーンのバイクが1台しか停まっていなかったせいだ。
「俺が体調悪いのと、蓼原先生関係ないだろ」
その否定の言葉も、いつもより覇気がない。
「体調悪いなら、帰れば」
「別に熱はないし」
「これで熱が出始めても、蓼原先生居ないから送っていけないんだけど」
「……何で、蓼原先生が送っていく前提なんだよ」
はあ、と力なく木下がため息をつく。
「だって、彼氏なんだし、当然でしょ」
「……彼氏じゃねーし」
いつもより力のない声に、やっぱり調子が悪いんだろうと思う。
「本当に、帰りなよ」
「だから、熱はないって」
「体調悪いのに?」
「……別に、悪いわけじゃない」
頑なな木下に、私はため息をつく。
「患者さん相手に仕事してるって忘れるんじゃないわよ。体調悪いならすぐ帰る、いいね?」
木下は何か言いたげではあったけど、遅れて頷いた。
「わかってる」
本当にわかってるのかな?
「蓼原先生がいればね」
「何で、蓼原先生が関係するんだよ」
「彼氏の言うことだったら、素直に聞くかもしれないじゃない?」
「ちがうっつーの」
ツッコミの勢いがなさ過ぎなんだけど?
でも、あながち外れてはないと思うんだけどね?
*
駐輪場に行って、あれ、と思う。
朝1台だけあったライムグリーンのバイクが、まだ残っている。
……木下、バイクに乗れないくらい体調悪かったのか。
木下は結局、午前中に熱が出て、立川主任の一声で早退していった。
うちの部署の実質トップは、立川主任だから、逆らえないんだよね、とか思ってたけど、思った以上に木下体調悪かったのか。
……だから、帰れって言ったのに。
私はメットをかぶると、愛車に乗り込む。
さて、行きますか。
……あー。そう言えば、木下も一人暮らしなんだよね。
……バイクにも乗れずに帰ったのなら、買い物にもいけてないかもね……。
差し入れ、買って行ってやるか。
……家、どこなんだろ?
あ、そう言えば連絡網というか住所録って言うか、確かスタッフルームの机の中に置いてたっけ。
仕方ない、見に行ってやろう。
早く元気になって、蓼原先生との絡みを見せてくれないと困るからね!
*
朝、駐輪場にバイクを置くと、ライムグリーンは1台のままだった。
いつもなら、蓼原先生私より先に来てるのに。
そこに、低い音をさせて、ライムグリーンのバイクが入ってくる。
私はその姿を目にした瞬間、興奮がMAXになる。
だって!
蓼原先生の後ろに、タンデムしてる人がいるんだもん!
興奮するでしょ!
近づいてくるバイクに、私の目は釘付けだ。
蓼原先生の後ろに座っているのは、小柄だけど、女じゃない!
木下、たまには私の予想を上回るシチュエーション、持ってくるじゃない!
だって、昨日熱があって、蓼原先生は休みでそのことを知らないはずで、でも、木下は蓼原先生のバイクにタンデムで現れた……ってことは?!
私はニヤニヤを抑えられない!
バイクから降りてきた木下は、通用口にいる私を見て、いつものように嫌そうな顔になる。
「なるほどそういうことね。昨日心配して家に行ってみたんだけど、人の気配がなくて、行きだおれてるんじゃないかって心配してたけど、余計な心配だったわね」
本当に、チャイムならしても携帯鳴らしても、全然人の気配もないくらい静まり返ってたから、大丈夫かと心配してたけど、そう言うことだったんだね。
経緯は知りたい!
だって絶対ネタになる!
私はご機嫌で鼻唄を歌いながら、廊下を進んだ。
後で、詳しく聞かせてもらわなきゃ!
*
「葉山っち、ご機嫌だね」
食堂で隣に座ってきたのは、青山ちゃんだった。
「当然! だって、またいいネタがあったんだよ!」
私は唐揚げを箸で持ち上げながら、青山ちゃんに掲げてみせる。
……意味はないけど。
でも、今日は忙しくて、まだ木下にその話聞けてないんだよねー。
朝聞いたんだけど、無視されたし! ひどいわー。
青山ちゃんが、眉を寄せる。
「ネタ? ……一体どんな?」
「今朝、木下が蓼原先生とタンデムして現れたんだー」
ふふん、と笑って唐揚げにかぶりつくと、青山ちゃんの顔がますます曇った。
「……そう、なんだ。……そっか―……」
目を伏せる青山ちゃんに、私は首を傾げる。
青山ちゃんの反応が理解できないせいだ。
「腐女子的には、オイシイシチュエーションでしょ?」
私の言葉に、青山ちゃんが苦笑してみそ汁をすする。
そしてお椀を置くと、首を横に振った。
「私、腐女子ではないからね」
確かにそれは間違いないんだけど。青山ちゃんは、腐女子ではない。
「まあ、そうだけどねー。でも、今朝のシーンだけで、もう妄想が爆発しちゃうよね!」
「妄想って……流石に、二人に失礼なんじゃない?」
箸を止めて言いにくそうに告げた青山ちゃんに、私は首を傾げる。
「……そうかな?」
「だって……二人は真剣なんだよね」
おずおずと顔を上げた青山ちゃんが、私の目をじっと見る。
「……何が?」
はて? 何か真剣な話ってしてたっけ? 私はみそ汁をくるくるとかき交ぜて考えてみた。
……全然、思い至らないんだけど?
「何がって……今、木下君と蓼原先生の話、してたよね?」
「してたけど? 創作のネタとして妄想爆発するって話、だったよね?」
「……創作のネタ。……いや、でも、実際……二人は付き合ってるんでしょ?」
私は青山ちゃんの言葉に、一瞬止まる。
「そうなの?!」
それは知らなかった新事実!
えー! やっぱりリアルになったの?!
だけど、青山ちゃんが困惑した顔になる。
「だって、この間葉山っちがそう言ってたし……」
「え? 私が、いつ?」
「この間、食堂で、蓼原先生がネコかどうかって聞いたじゃない?」
「ああ、設定の話ね」
私の返事に、青山ちゃんが瞬きを繰り返す。
「設定?」
「そう。最初は、美形×子犬にしようと思ってたんだけど、子犬×美形で行くことに決めたんだよ。その話でしょ? 私が蓼原先生がネコって話をした記憶は、それ以外ないんだけど?」
また瞬きを繰り返した青山ちゃんが、おずおずと口を開く。
「……本当に、設定だけの話、なの?」
「リアルだったら、もっといいけどね。木下が聞いたら怒るだろうねー」
ニヤリと笑うと、青山ちゃんが肩を落とす。
「良かったー」
そのつぶやきは私にも聞こえたけど、意味が分からない。
「何が良かったの?」
「だって、私の勇者が……ううん、なんでもないの」
……ユウシャ? ユウシャって、勇者? でも、木下だよ? ユウシャ……きっと聞き間違いだな。
いくら青山ちゃんが……
「もう! 葉山っちってば! 人騒がせなんだから!」
トン、と肩を叩かれても、私は人騒がせなことをした記憶はないんだけど?
私は設定の話しかしてない!
「あ、私、葉山っちの二つ名思いついちゃった!」
「えー」
青山ちゃんの言葉に、私はつい不満の声を挙げてしまう。
だって、前につけられた二つ名、”最強の腐女子”だよ。何? 最強の腐女子って。意味わかんなくない? 何に対して最強なの? って質問したら、全部って答えられたんだけど! 本当に意味わかんない!
「”トリコロールの貴腐人”ってどう?! 貴婦人の”ふ”が腐ってるやつ!」
「お!」
私は目を見開いた。
「カッコいいかも!」
「そこ、カッコいい! で、断定じゃない?」
「十分、褒めてる!」
「なら、いいか」
うんうん、と青山ちゃんが満足げに頷いた。
青山ちゃんは、素敵女子の皮をかぶった、中二病女子だ。流石にリアルでは決別しているけど、書いている小説では絶賛こじらせ中らしい。だから、二つ名とか思いついちゃうんだよなー。
同じ創作をする仲間として意気投合したけど、お互いの作品を見たこと(読んだこと)は、未だにない。