21
「あーせんせーい。俺この部屋なんでー」
ぼんやりした意識の中で、木下がカードキーをひらひらとかざしているのが肩越しに見えた。
「ああ、お疲れ様」
蓼原先生の声が、頭に直接響く。
「先生もお疲れ様でーす」
謎の敬礼をすると、木下はドアに体当たりするように部屋に入って行く。
酔っ払ってるな、と思う。
だけど、それ以上に酔っ払ってるのは、私だ。飲み過ぎたつもりはなかったのに、ホテルにたどり着く前に座り込んでしまった。
そのせいで、今私は、蓼原先生の背中にいる。
「……部屋に行くか」
ぼそりと告げた蓼原先生に、心の中で、お願いしますと告げると、私はすっかり身を任せた。
背中が、マットレスにあたった感触がした。
「ん」
声が漏れる。
それよりも、何だか寒い。もぞもぞと私は自分の体を丸めた。
唐突に部屋が明るくなる。
「まぶしい」
私は目を手でふさいだ。
暗くなった視界に、すぐに意識が遠のく。
蓼原先生の声が、近くで聞こえた気がした。
*
「え? マジで?」
目が覚めて、私は独りごちた。
二日酔いではない。
見た夢が、信じられなくて。
……マジで?
いやいやいやいや。
色々記憶がごっちゃになってるせいだよね?
夢って、記憶を整理するって言うし!
なぜか、夢の中で蓼原先生とキスをしていた。
しかも……ディープなのを。
……あれだ。忘年会の時の木下のせいだ。
ついでに、金子さんのせいもあるかも。
……いや、これはきっと、恋愛経験のない私に、神様がくれたご褒美だ。
キスってこんな風に書くんだよ、って教えてくれたんだ!
それ以外に、何を考えればいいわけ?!
……そうだよね。実際にあり得るわけないし。
私は自分に言い聞かせると、大きく頷いた。
あー。こんな夢見るとか初めてで、本当にびっくりする。
トントン、とドアをノックする音がして、びくりとする。
「葉山、起きてるか?」
蓼原先生だ。
……何だか、気まずい。
いや、現実じゃないわけだから、気まずく思う必要なんてないんだけど!
「おきてます!」
「木下も合流したら、朝食行くぞ」
「はーい」
うん。
大丈夫。
私の妄想が、暴走しただけだから!
ただの夢。ただ、それだけだから!
……願望とかじゃ、絶対、ないから。
*
「葉山、カワサキに乗り換えるつもりはないのか?」
蓼原先生の声に、ちょっとだけビクリとする。
あんな夢を見たからって、別に意識とかしてるわけじゃない!
私は問われた内容を思い出して、パソコンのキーボードに手を乗せたまま胡乱な目を向けた。
「先生、何言ってるんですか? あのバイク、買ったばっかりですよ」
「まあ、そうだけどな」
「そうだけどな、って私にとっては高価な買い物だったんです!」
「確かにな。あれ新品だしな。ホンダだけど」
蓼原先生の隣に座る木下も頷く。
「一体、ホンダに何の恨みがあるんですか?!」
「……こだわりないならカワサキにしてもいいんじゃないかと思って」
「いいですか、蓼原先生。蓼原先生は、自分が好きだと思って乗ってるあのマシンを他のマシンに変えたら、って言われて、納得できますか?」
私は、コーイチのために買ったの!
そう。私はコーイチ一筋なんだから!
「え……いや」
私の勢いに、蓼原先生が曖昧に返事する。
「俺は、無理です!」
隣で木下がきっぱりと断言する。
「そうだよね、木下はそう言うと思ったんだー」
「何だよ……葉山の癖によく分かってるじゃねーか」
「やっぱり蓼原先生一筋だよねー」
どうしても、木下をからかう言葉が先につく。
仕方ない。だって、もうこんなやり取りも、4年目に突入するんだもん!
「そんなこと言ってねーだろ!」
「木下、うるさいぞ」
「そうそう、蓼原先生の愛は小さく叫んでも届くから大丈夫!」
「……もう、俺嫌だ」
木下ががっくりと肩を落とした。
「で、蓼原先生。自分の好きで乗ってるマシンを乗り換えられますか? って話ですよ」
「で、じゃねーし。……俺、かわいそうじゃねぇ?」
木下は無視で大丈夫。でも、蓼原先生何で反応しないんだろう?
「先生?」
蓼原先生がハッとする。
「何だ?」
「……先生、あのマシンに愛着あるように思えたんですけど、本当はあのマシンに乗ってる理由って別の理由なんですか?」
蓼原先生が言葉に詰まる。表情は変わらないけど、まずいこと聞いちゃった?
「……葉山、バイクに乗る理由なんて、人それぞれだろ」
木下の言葉が、蓼原先生への気遣いに思える。
もしかしたら、木下は理由を知ってるのかもしれない。
……流石!
「嫌だ! 安心して木下。決して私は蓼原先生と木下の仲を裂くようなことしないから!」
「ちげーし。葉山とまともな話ができやしねー」
はぁ、と大きくため息をついた木下は、パソコンの画面に集中し始めた。
「ってことでですね、蓼原先生。私はマシン買い替えたりしませんよ?」
きっぱりと言い切って作業に戻る。
マシンを買い替える理由なんて……ないから。




