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「え? 蓼原先生日帰りするんですか?!」
いつもと違うスーツ姿の蓼原先生を、私は驚いて見る。
「そうしようと思ってたんだけどな。……葉山は泊るのか?」
今日は勉強会で隣の県に出張に来ていて、蓼原先生と私、そして木下の3人がこの会場にいた。私と木下の二人は、症例発表をすることにもなっていて、木下は今発表者が並ぶ席に並んでいるところだ。だから、蓼原先生の横の席は一つ空席になっていた。
「だって、終わるの夜の八時ですよ」
「十二時には着くだろ」
確かに、最終の新幹線に乗れば、十一時には最寄りの駅につくはずだけど……。そこから先どうやって帰るの? 徒歩とか、無理すぎるんだけど。あー。蓼原先生はバイクなのかな?
「いやいやいや。無理ですよ。私は泊ります。木下も泊まるんですけど?」
「……そうか」
蓼原先生が逡巡するのがわかる。
いや、無理して帰らなくてもいいと思いますよ、先生!
「ご飯、どっか食べに行きましょうよ! 絶対、魚美味しいですって!」
この辺りは、有名な漁港が近い。だからこその提案だった。
蓼原先生が、予想以上にあっさりと頷いた。
「……そうするか」
「予想外に蓼原先生の説得がすんなり終わって、つまらないですね」
腕を組み首を大げさに振ってみせた。でも、本当にあっさり過ぎる。蓼原先生が苦笑する。
「あれ? 蓼原君?」
落ち着いた女性の声に顔を上げれば、蓼原先生と同じ年の頃と思われるスーツ姿の女性が立っていた。
めっちゃ、美人さん! 美形の知り合いって、皆、美人なのかな?
「金子も来てたのか」
「読影の勉強はしないといけないから。隣、いい?」
金子、と呼ばれた女性が小首をかしげる。
「まあ、いいんじゃないか。誰かの席って決まってるわけじゃないし」
蓼原先生があっさりと木下の席を譲った。
流石に、私も「愛する木下の席を譲るなんて!」とか、言えない。
一応私だって、TPOはわきまえる。
大人だもの。……一応。
「職場の人?」
金子さんの視線が私に向いている。おー、美人さんに見られてる! 蓼原先生が頷いた。
「放射線技師」
「あー。なるほどね。こんにちは」
金子さんが私に向かってニコリと笑う。
「おー。美人さんだ」
笑うと更に美人度増すって、最強だと思うんだけど!
「あら、ありがとう。蓼原、いい子ね」
私を褒める金子さんに、蓼原先生は苦笑する。
ふと、よぎる。
「先生、もしかして本命さんですか?」
「……何言ってるんだよ」
蓼原先生が私の発言を否定する。でもね?
「えー。だって先生が女性が寄ってきても嫌な顔しないのって、滅多に見ませんよー」
職場で観察してみたところによると、蓼原先生は仕事と無関係にからもうとする女性に対して、露骨ではないものの嫌そうな顔をしてるのだ! ……いや、たるに言われたから観察してみただけだから。それだけ!
私の言葉に、金子さんがクスクスと笑う。
「そうなの。蓼原君、女嫌いになっちゃったの?」
女嫌いになった、ってことは、女好きだった、ってことか。
ま、この顔だったら、より取り見取りだったんだろうしね。
「うるさい」
で、今はまたどうして、ストイックになったんだろうなー。
あ、そうか。
「で、蓼原先生は、この方と木下、どっちが本命なんですか?」
「どっちも違うし」
「あら、あっさり否定するわね。勘違いされたくない人でもいるの?」
金子さんが蓼原先生をからかう。
「……別に」
ぶっきらぼうな蓼原先生に、金子さんがふふ、と笑う。
そして、蓼原先生の耳元に何かを告げると、金子さんが席を立つ。
「あれ? 話は終わったんですか? あ、この後食事の約束でもしました? 大丈夫ですよ、私、木下と二人きりでも、先生と木下の妄想は出来ますから!」
「違う」
「そうなんですか? じゃあ、美味しいところに食べに行きましょう! もっと美人さん見ときたかったなー。あ、先生が食事に誘ってくれて四人で行っても良かったのに」
飄々と告げると、蓼原先生が肩をすくめた。
「そうか」
蓼原先生の声には感情は乗っていなくて、どうやら金子さんとの再会を喜んでいるわけではなさそうなのだけはわかった。
*
トイレから出ると、手洗いのところに蓼原先生に声をかけてきた金子さんがいた。
「お疲れ様です」
鏡越しに声をかけると、金子さんが私を見る。
「あ、さっきの。そう言えば、発表聞いてたけど、面白い発表だったわ」
その言葉に、私は嬉しくなる。
「ありがとうございます!」
私の声に、金子さんがふふ、と笑う。
「若いって、いいわね」
「あー。そうなんですかね」
「そういうところがいいのかしらね?」
金子さんの言いたいことがわからなくて、私は首をひねる。
なぜか、金子さんがニコリと笑う。美人度マシマシだ。
「私ね、蓼原君と付き合ってたの。別れたのも、嫌いになったからじゃないのよ?」
金子さんの言葉に、何だかびっくりする。
あー……蓼原先生、やっぱり美人さんと付き合うんだな、って納得する部分もあるんだけど。
私が落とせるわけないよね、って、考える必要すらないよね。何考えてるんだろ。
で、これって、何? 謎々? 私、謎々出されてる?
「えーっと……」
何て言えばいいのか、困る!
「ボーっとしてたら、ちょっかい出しちゃうって、意味よ?」
あー。そういう意味!
え? どういう意味?
「えーっと……どういう意味ですか?」
私の言葉に、金子さんが驚いた表情になる。
でも、次の瞬間には、金子さんが目を伏せて、もう一度私を見た。
その視線はまっすぐに、私を刺した。
「それなら、蓼原君、ちょうだい?」
えーっと……。
「あの、蓼原先生モノじゃないですし、勝手にここでやり取りされても、蓼原先生が困ると思うんですよ。それに、どうするかは蓼原先生が決めることだと思うんですけど」
私、間違ったことは言ってないよね?
……どうして、私が頂戴って言われてるのかは、さっぱりわからないんだけど!
「いいわね、まっすぐで。私もそんな頃があったのかしら?」
金子さんが肩をすくめる。
あの答えで、正解、だったのかな?
「でも、あなたがいらないなら、私はまだ欲しいのよ。覚えておいて」
そう言って、金子さんがトイレを出ていく。
……え?
私がいらない?
え?!
どういう意味?!
私と蓼原先生って、単なる同僚、だよね?
金子さん、木下って私のことだと思ってる?
あー。発表終わってスッキリしたところだったのに!
何か、モヤモヤするー。
*
「もう、とにかく俺は、葉山達にからかわれるのはゴメンなんですよ!」
ドン、と木下がジョッキをテーブルに置いた。発表が終わって気が緩んだところにアルコールが入って、木下は早々に酔っていた。隣に座る人間もいないから、木下は少々フラフラと横にゆれている。
「はいはい。子犬攻め美形受けは嫌なのねー」
私の答えに、木下がはじかれたように私を見る。
「そうだよ! 葉山、ようやく理解できたのかよ!」
木下の目が輝いた。
「やっぱり、美形攻め子犬受けが鉄板よねー」
ふんふんと、枝豆を口に入れた私に、木下の目が座った。
「ちげーよ!」
「いやー。書くのは面白いんだけど、やっぱり美形×子犬の方が、私の好みだわー」
木下、油断大敵って知ってる? ついでに、私はモヤモヤしてて気分が悪いんだぞ。
「蓼原先生! 葉山に何とか言ってやってくださいよ!」
木下が向かいにいる蓼原先生にすがる。
「言うだけ無駄だろ」
「先生分かってる!」
蓼原先生を見上げると、蓼原先生が一瞬目を見開いた気がした。
何?
気のせいかー。
「先生のせいで、葉山が調子に乗るじゃないですか!」
ムッとした木下を、ふふん、と私は見た。
「お前らいいコンビだな。……付き合ったらどうだ」
蓼原先生?
「蓼原先生、冗談でも辞めてください」
「何言ってるんですか、蓼原先生。あり得ません」
呆れた様子の木下と淡々と首を横に振る私に、なぜか蓼原先生がホッと息をついたように見えた。
……今日は、意味が分からないことが多いや。
ついでに、何だかまたモヤモヤし始めたんですけど!
考えても、すでに酔ってる私の頭じゃ、考えきれないけどね。
とりあえず、いや、とにかく飲もう!
モヤモヤを飲み下すつもりで、私はカシスオレンジを飲み干した。




