18
結局、蓼原先生がこの飲み会に来ることはなさそうだな。
忘年会が始まって1時間経って、かなり場が出来上がってるのを見て、小さくため息をついた。
うーん。カオス。もはや、健全な話はどこでもされてない。
……ナースさんも、よくドクターたちの話についてくよなー。ある意味、感心。
私ははじっこで、ちょびちょびとウーロン茶を飲む。
何しろ、立川主任に厳命されたのだ。
酒を飲むな! って。
何でだろうなー。ちょっと腐った話をディープにするだけなのになー。話す相手もいなさそうだけど。
今、面白いのは、すぐそこで始まった、木下と脇田先生の絡みくらいだろうか。
「そういや、駐輪場にあるNinjaの持ち主、放射線科にいるって聞いたけど?」
から始まった脇田先生の絡みに、今、木下が耐えている。
木下は嫌な予感がしたらしい。それは、きっと間違ってない。
でも当然、私は目をそらした木下をガン見してやった。
だって、もう楽しめそうなものが、何もなかったから!
私は耳を傍立てつつ、その動向を観察中だ。
「何でお前、あんな色のに乗ってるわけ?」
脇田先生の言葉に、明らかに木下がムッとしている。
あー。ムッとしちゃだめだよ。思うつぼだよ。
私は心の中で、木下の想像通りの反応に手を合わせた。
たぶん、あれはダメだ。ロックオンされちゃうよ。
「あの色がカッコいいからですけど」
木下の声からも、脇田先生への怒りが伝わってくる。
「カッコいいか? 俺にはわかんないね」
ふん、と脇田先生が鼻で笑った。木下がますますムッとする。
「わかっていただかなくて結構ですけど。話はそれだけですか」
「おまえさ、Hondaに乗り換えろよ」
「はぁ?! 何言ってるんですか! 俺がどんだけあのマシン手に入れるために頑張ったか! 誰に言われたって絶対イヤです」
あー。火に油。木下のこだわりは知ってるけど、この場では、出さない方がいいこだわりだと思うんだよね。
「Hondaには絶対乗りません!」
更に、油マシマシ。
「いいね、その勢い。そう言うやつの気持ちを変えるのも楽しいんだよ」
脇田先生が笑って、唇をペロリと舐めるのが見えた。
あー。木下、グッドラック。
「俺色に染めるってやつだな」
脇田先生の目は見えないけど、木下が目を見開いて、ぶるりと体を震わせたのはわかった。
あー。完全に、ロックオン?
脇田先生が、木下の方をガバリと掴んだ。
私の体が起き上がる。
今、目が覚めた!
だって、これは、イベントでしょ!
しかも、子犬の!
そうだよ! 蓼原先生が来なくても、子犬にイベントはありうるわけだ!
私は慌てて荷物からスマホを取り出すと、録画を始める。
木下は脇田先生に顔を近づけられて、一生懸命に抵抗している。
……まあ、これもアリだな。むしろ、何でもアリだな!
「顔、顔が近すぎますって!」
「俺は別に構わん!」
明らかにガタイのいい脇田先生が、小柄な木下に負けるわけがないよねー。
「俺が構います!」
抵抗する木下に、更に脇田先生が顔を近づける。
「ちょっと木下、腕が邪魔!」
その角度、顔の邪魔!
「いいぞ! キスしろ!」
酔っぱらった別のドクターが、木下たちの騒ぎに気付いたらしく、囃したて始めた。
むしろ、黙っててほしいけど、仕方ないか!
「キース! キース!」
私は、唾を飲み込んで、じっとスマホを見つめる。
影が差す。
私のスマホの画面に、蓼原先生が現れた。
え? とは思ったけど、私はそのまま撮影を続けた。
だって、何かが起こりそうなんだもん!
蓼原先生は脇田先生の後ろに回り込むと、脇田先生の体を脇を抱えて押さえた。
木下が顔を上げてホッとした表情になる。
私もニヤリと笑ってしまう。
「おー! ヒーロー出現! いいねいいね! 楽しい展開!」
私の言葉に、蓼原先生が脱力した気がする。いや、それ以外にないでしょ!
「え? 蓼原先生? 何でここに?」
脇田先生が蓼原先生を見て目を見開く。
「いや、木下の体調が悪くなったって連絡もらって」
蓼原先生の嘘に、木下がホッと息をつく。逃げられると思ったんだろう。
蓼原先生、やるね。
「じゃ、俺たち帰りますね」
医者スマイルを繰り出して、蓼原先生が木下を立ち上がらせると、まるで病人をそうするように、木下の脇を抱えて支える。木下も、現状を理解しているからだか、くたりと蓼原先生に寄りかかった。
「あー! それもいい!」
動画もいいけど、静止画も欲しい!
私はスマホを操作して、写真を撮る。ばっちり!
「おお、蓼原先生! いつの間に来てたんだ?」
整形の部長のドクターが蓼原先生に気づいたらしく、声を掛けてくる。
「キスしろー!」
どこからかまた、囃し立てる声がする。
「キース! キース!」
「ハハハ、蓼原君、新入りの運命だね」
部長の言葉に、蓼原先生はため息を飲み込んだように見えた。
だけど、私もつい、期待してしまう。
「キース! キース! キース!」
鳴りやまないキスコールの中、私はどうにかなるかもしれない蓼原先生達を見つめる。
蓼原先生が、ちらりと私を見たあと、口を開いた。
……何で見た?
「しゃーねーな」
ぼそり、と呟いた蓼原先生が、木下の顎をくいっと持ち上げた。
「え? 蓼原先生?」
木下が首を傾げる。
きっと、木下には、この後何が起こるかわかってないらしい。
私には、わかるよ!
私はまた動画に戻すと、スマホを構える。
「場を収めるためだからな、諦めろ」
キタ―――――――――!
木下の唇を、蓼原先生の舌が割る。
マジで?!
恋愛経験ゼロの私には、とてもとても刺激が強いんですけど!
BLはファンタジーだからね!
……でも……前に見た整形ドクターたちのキスより、よほど見るに堪える。
汚くない。
木下が一生懸命蓼原を押しのけようとするのに、蓼原先生はびくともしなかった。
「ん……」
木下の口から声が漏れる。
何だか、蓼原先生、エロイんですけど?
本当に、ノーマルですか!?
あー、鼻血出そう!
えーっと、何で蓼原先生こっち見てる?
あ、OKです!
きちんと見てるか? 参考になるか? ってことですよね?
大丈夫です、ばっちり撮影できてますし、参考になりそうです!
ごちそうさまです! いや、まだ、いただきます! だった!
私はスマホの画面をガン見する。
直接二人を見つめるなんて、恥ずかしすぎてできそうにもないし!
これでも、リアルな恋愛経験ゼロなので!
「いって」
唐突に、蓼原先生が唇を離す。
ようやく唇が離れたことに木下がホッとしている。
木下は力の抜けた体を蓼原先生に預けている。
……蓼原先生、伊達に美形ってわけじゃないんだなー。
「じゃ、失礼します」
蓼原先生が、木下の体を支えたまま店を出るために歩き出す。
「いいもの見れたー! いいもの撮れたー! 今日は最高!」
私はウキウキしながら、撮影を終了する。
「あ、私ももう帰りまーす!」
「おう、お疲れ様!」
ウキウキした声のまま、私が酒席を辞する言葉を発すると、さっきまで悪乗りしていた先生たちは引き止めるでもなくあっさりと帰宅を許してくれた。
女子は、すんなり返してくれるんだよね。女子はね!
木下ががっくりと項垂れている。蓼原先生は苦笑している。
「だから、酔っぱらうと男同士のキスとか余興の一つになるんだよ。よくあることだって言っただろ」
「あんなにベロチューする必要ってありましたか」
「あるある。きちんとしないと面倒なんだよ」
あそこまでやる必要ってあったかな?
まあ、蓼原先生がそう言うなら、そうなんだろう。
ま、私はもう、この飲み会が当たったことを感謝したいよ!
「フフフ。蓼原先生、やっぱり来ましたね!」
私の声に、木下がは? となる。
「やっぱりって言うか、お前らが来いって言ったんだろ。木下がホンダに懐柔されかかってますよって言うし」
蓼原先生はあきれたような声を出している。
「なんの話?」
木下が顔をあげて私を見る。私はにこりと笑ってあげた。
「やっぱり、恋にはたまにはスパイスが必要かなーって思って」
木下が目を見開く。
「いらねーよ! 恋がどこにあるっていうんだよ」
「え? 蓼原先生と木下は恋人同士でしょ?」
「ちげーよ!」
「ひでー、木下。俺の純情を……」
おお。久しぶりの蓼原先生悪ノリだ!
「ひどい木下! やり逃げってこと?!」
私も乗らねばなるまい!
店を出ると、多田が立っていて、また木下が目を見開いた。
「お前、用事があるんじゃなかったのかよ」
「ええ、蓼原先生をこの店に連れてくるっていう用事がありましたよ!」
多田の声が跳ねる。そして、木下が更にがっくりと肩を落とす。
「葉山先輩! バッチリ名場面撮れましたか」
「バッチリもバッチリ! 二人のキスシーンいただきました」
「キャー!! 最高!! 後でその動画ください」
当然!
「木下が意地でホンダにしないって言うから、今日のは実現できたようなものだからね! 多田、木下がライムグリーンであることを感謝なさい!」
私はつい、先輩風を吹かせた。
蓼原先生は苦笑して、木下が今日一番ムッとした顔をしていた。
とりあえず、言いたい!
二人とも、ごちになります!




