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「そう言えば、木下先輩、合コンは行ってないですよね!」
昼休憩が終わろうとする時間、食堂から戻ってきた多田がそう言って木下を睨んだ。
「あー」
木下の声がしりすぼみになる。
え?
「合コン行かなかったの?!」
私が青山ちゃんにつかまったの無駄だったわけ!?
なぜか、木下の目が据わる。
「行った」
「木下先輩! 何てことするんです!」
多田が憤慨している。多田は、本気だ。
「だーかーらー! 俺は彼女が欲しいんだって!」
「え? 合コン行ったのに、不機嫌って何?」
私が首を傾げると、ジロリ、と木下が私を見る。
「行ったよ、行ったさ! あと少しで……連絡先交換できそうだったのに……」
はぁ、と木下が大きなため息をつく。
「あ、連絡先交換までたどり着かなかったってことね」
「当然です! 蓼原先生の愛をないがしろにするからです!」
私が頷くと、意気揚々と多田がこぶしを握る。
「ちげーよ! 蓼原先生がやってきたせいで、俺が狙ってた子が、コロッと態度変えたんだよ!」
悔しそうに告げる木下に、私は真顔で頷いてやった。
「スペック、ガチで負けてるもんね」
まあ、合コンの場に、美形で医者がやってきたら、女子は群がるだろうとも。私だって、合コンって、そのための場だとは理解してるよ。興味ないけど。
「葉山ー! なんでそこは茶化さずに、ぐりっと塩詰め込んでくるんだよ!」
え? 昨日の出来事のもろもろと、今朝のことを、木下に八つ当たりしてるんだよ?
「当然ですよ、木下先輩! 蓼原先生のこと置いて合コンなんかに行った報いです!」
「ま、そういうことで」
あー。青山ちゃんに、木下の合コンが失敗に終わったことだけは伝えるか?
いや、面倒だな。
だって、首突っ込みたくないし。
私だったら、人に手伝ってもらうのなんか、まっぴらごめんだ。
……いや、リアルで人を好きになることはないけど。
*
あー。
……痛い。
予想外なんだけど。
あー。新作が完成してはしゃぎ過ぎた?
でも、2年も温めてた子犬モチーフの話だったから、はしゃぎたくもなるよねー。
私は机に突っ伏す。
……あー。痛みの合間に妄想しよう、そうしよ。
「葉山、大丈夫か?」
私はのっそりと顔を上げた。目の前に、妄想の原動力である蓼原先生がいる。
「あ、大丈夫です。ご心配なく」
そう言って、私はまた突っ伏した。
大丈夫。妄想すれば痛みが薄れるって、もうわかってるから。
「帰るぞ」
蓼原先生の言葉に、へ? と間の抜けた声が漏れる。
「まだ立てそうにもないのか?」
「立てますけどねー。放っておいてください」
そのうち妄想が捗りだしたら、立てますので!
「行くぞ」
私の体が、ふわっと浮いた。
「先生、これってセクハラって言うんじゃないんですか」
私の腕を、蓼原先生が掴んでる。
「そんなこと言うなら、自分で立ち上がれ」
蓼原先生は私の腕を掴んで強制的に立ち上がらせたのだ。
「でも、これ何かデジャブな感じがする。デジャブ……運命……あ、次の作品はこれかも」
あ、痛みが軽くなる気がする。やっぱり、これか。
「妄想する元気があるなら、行くぞ」
蓼原先生の手には、私のヘルメットが持たれている。
「……またライムグリーンに私が乗る日が来るなんて……私、今度こそ裏切り者になっちゃう!」
「裏切者でもなんでもいいから、荷物は持てるか?」
裏切者、裏切者……なんだかいい響きかもしれない。
「裏切者との恋……何だか、ロマンがありますねぇ」
ロマン! そうよ、ロマン! 蓼原先生って、私の妄想力を高める力があるんだと思う。
これは……もう少し付き合う価値あり!
よし、ライムグリーンに乗って、裏切者になるのもやぶさかではない。
私は何とか荷物を背負って裏切者になる用意をする。なのに、蓼原先生は大きくため息をついた。
「葉山、本当に妄想止まらないんだな」
「先生、妄想する以外に何をしたらいいんですか?」
何のために裏切者になるんだと思ってるんだろう?
「……黙って痛みに耐えとけばいいんじゃないのか」
「こんなこと、妄想してなきゃ耐えられませんよ!」
ほら、今は痛みが弱くなってるし!
蓼原先生はため息をつくと、歩き出す。私の手を引いて。
……あー。これもまた、新しいモチーフになるなぁ。
「あー。これが蓼原先生と木下との絡みだったらなぁ」
「葉山……黙れ」
「はーい」
蓼原先生の念押しに、私は軽く返事をした。
「あれから病院行ったのか?」
「え? ……行ってないでしょうねぇ」
そんなことより、妄想爆発、妄想増幅!
そう思ってたら、なぜか蓼原先生にぎろっと睨まれる。
「行けよ。病気が原因ってことはありうることだろ」
「そうですねー。まあ、そのうち」
「……毎回ひどいんなら、行けよ」
「まあ、そのうち」
そんなことより、妄想、妄想!
私のから返事に気づいたのか、蓼原先生がため息をついた。
街路樹は、もう葉を落としてしまっていた。枝の影だけが落ちる道路には、私たちの乗るバイクしか見当たらなかった。清廉にも感じられる冷たい空気をライムグリーンのマシンが切り裂いていく。闇の中に、エンジン音と排気ガスが溶けていく。
私はくたりと力を抜いていて、完全に蓼原先生に身を任せていた。それが正しいと、前回学んでるから。
なぜか、バイクのスピードが緩み、道路わきに止まった。
「先生、どうかしましたか?」
私はシールドを上げて尋ねた。
「葉山、手袋は?」
蓼原先生がシールドを上げて振り向く。私は自分の手を蓼原先生の腰から離した。
日に焼けていない手が、街灯の光を反射して、白さを通り越して青白く見えた。
「あー。道理で手が冷たいと思ったんですよ」
「手袋、つけろ」
「……もういいですよ。すぐ着きますし」
「手、冷たいだろ」
「大丈夫ですって!」
それより早く、妄想の続きを! 痛みが来ちゃうから!
蓼原先生はため息をつくと、自分の左手の手袋を外した。
「ないよりましだろ。落とすなよ」
蓼原先生が差し出した手袋に、戸惑う。
「いや、先生も寒いじゃないですか」
「これつけないなら出発しない」
「えーっと……ありがとうございます」
どうやら、蓼原先生は引く気がないらしいと理解して、素直に受け取ることにする。
手袋に手を入れる。どう見てもぶかぶかだった。
だけど、暖かかった。
「ぶかぶかですけど」
何だか気恥ずかしい気分になって、つい減らず口をきいてしまう。
「文句言うな。ほら」
右手の手袋を蓼原先生が差し出してくる、私はぺこりと小さく頭を下げて受け取る。
「ありがとうございます。蓼原先生って、結構世話好きなんですね。オカンみたい」
蓼原先生をからかわないと、何だか居心地の悪さが払しょくできない気がした。
「うっせーな」
蓼原先生はぶっきらぼうにそう言って、シールドを戻すと、私の準備が整うのを待ってくれる。
ぶかぶかの手袋をつけた手を、蓼原先生の腰に回す。
何だか、ムズムズする。
変なの。
蓼原先生はまたゆっくりとバイクをスタートさせた。
蓼原先生の背中は……変わりなく安心するんだけど……。
私が降りるのを待って、蓼原先生もバイクから降りてメットを外した。
「大丈夫か?」
ヘルメットを脱いだ私の顔を覗き込んだ蓼原先生に、私はなんだか居心地の悪さを感じながら頷いた。
「ありがとうございました」
「病院、行けよ」
蓼原先生、結構おせっかいなんだな。……初めて、知ったけど。
「大丈夫です。いつものことですから」
蓼原先生がため息をついた。
「症状ひどすぎだろ。病院、行ったことあるのか?」
「えーっと……ちょっと婦人科って、ハードル高いって言うか……」
私はもぞもぞと言葉を口の中に転がす。婦人科って、ハードル高いよね?!
「行っておけよ。……何もなければそれでいいけど、何かあったら、将来子供望んだ時に困るかもしれないんだから」
「蓼原先生、お医者さんみたいですねー」
「実際、医者だから」
はぁ、と蓼原先生がため息をつく。
本当は、蓼原先生って心配性なのかもな。
そんなに気にしてくれなくて、いいのに。
「でもですね、いいんです」
「何が?」
蓼原先生が片眉を上げる。
「私、結婚とかするつもりもないですから」
「……今はそうかもしれないけどな」
「説教! 先生が初めておじさんに見えました!」
私の言葉に、蓼原先生が苦笑する。
「葉山よりは確実に年食ってるだろうな」
「そもそも誰かと付き合うとかも考えられないですしね」
きっと、ここでごまかしたって、またこんな話題になることがありそうな気がして、私は自分の気持ちを言うことにした。
「何で?」
蓼原先生は、本当に不思議そうだ。
誰もが、誰かと付き合いたいと思うわけじゃないってことですよ、先生。
「体におっきな傷があるんで、見せたらきっと、ドン引きされますよ」
「俺は別に構わないけど」
予想外の返事に戸惑う。
いや、構わないって言われても、ね?
「いや、先生が構わなくても、他の人は違いますよ」
先生は医師だから、傷とか見慣れてるのかもしれないけど。
「……まあ、医者以外はそうかもな」
なぜか、蓼原先生の言葉は歯切れが悪かった。
それ以外に、意味ってある?




