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ナル『ちょっと聞いてよ!』
私は家にたどり着いて、お風呂を済ませて落ち着くと、スマホをいじる。
当然、今日の予想外の話を、たるにするためだ。
たる『何? 感想……なら、聞いてよ、じゃないね』
ナル『それがさ……美形を落とせって言われたんだけど! わけわかんないよね!』
たる『それは、何の事情も分からない私には、さっぱりわけわからないけど』
ナル『それがさ……あー、音声に切り替えるわ』
文字だけで説明する限界を感じて、私は音声通話に切り替えた。
「聞いてよ!」
『何? 一体何があったの?』
たるが苦笑してるのがわかる。
「それが……えーっと、どこから話したらいいんだろ? あ、ことの発端は、木下……子犬が合コンに行くって話で」
『合コン。あー。まあ、若い男子としては、健全だわね。で、それが、ナルの気に障ったわけ?』
「まさか。浮気するとか蓼原先生……美形が悲しむよ、ってからかいはしたけど、私は別にどうでもいいわけ」
『全く意味が分かんないんだけど。子犬が合コン行く話が、一体どんな話になるわけ?』
「青山ちゃんって同期の子が、木下……子犬のことを好きだって今日判明したんだけど、青山ちゃんが子犬と上手くいかないのは、美形が現れたせいだって言い出して」
『えーっと……ナル、もしかして青山ちゃんが子犬のこと好きだって、今日気づいたの? 遅いよ』
たるの呆れた声に、私は首を傾げる。
「え? 遅い? ……てか、何でたるが青山ちゃんの恋バナ知ってるの?」
えーっと、二人ってどこ繋がり?
『いや、この話、ナルが酔っ払たってるときにしたことあったんだけど、覚えてないだろうねー。まあいいや。で、青山ちゃんと子犬が上手くいかない理由が美形だと。……どんな理論よ。青山ちゃんも腐女子なの?』
???
やっぱりよくわからないけど、どうやら酔っ払って、そんな話をしたらしい。
「いや、腐女子じゃない。中二病なだけ」
『え。腐女子じゃないのに、上手くいかない理由が美形なわけ? いや、おかしいでしょ』
「美形が子犬をツーリングに連れ出すのが、そもそも子犬と青山ちゃんが時間を共にできない理由だって」
『あー。なるほどね。……まあ、一理はあるかな』
ようやくたるは、私の説明に納得がいったらしい。
「で、私に美形をツーリングに連れ出せとか言い出して」
私の呆れた声に、たるがクスクスと笑いだす。
『まあ、一案ではあるよね。ナルは不満なんだ?』
「いや、私が不満って言うより、私はホンダ派で、美形がカワサキ党だから、そもそも一緒にツーリングに行こうって話にはなりえないと思うんだよね」
『あ、ナル的には、美形と一緒にツーリングはOKなんだ?』
「……それ以前に、別にツーリングに行きたいと思ってないけどね」
特にツーリングをしたいと思ったことはない。私の目的は、トリコロールのホンダに乗る、ってところだからなぁ。
『それ以前の問題、ね。で、ツーリングの話から、どうして美形を落とす話につながるわけ?』
「私にもわからない!」
あの時の青山ちゃんの理論、考え直してみても……どこでどうなったらあんな結論になったのか、私にはわからない!
『でもさ、青山ちゃんがナルに美形を勧める理由も、一応あるんでしょ?』
「あー。……美形はあんまり感情が動かないって言うか……いろんなものに興味なさげなんだけど、私と木下のやり取りは面白いみたいで、よく乗ってくるんだよね。で、その時のことを見た人が、美形が私に気があるとかなんとか、全然見当違いのこと思ったらしくて、それが噂になってるらしいんだよ!」
あり得ないんだけど! と思いながら告げると、たるがクスクスと笑う。
「笑い事じゃないんだけど! 何でそんな誤解が生まれるかなー」
『なるほどね。でも、美形ってもっとこう、フレンドリーなのかと思ってたけど、それは、ナルたちだけになのね?』
「自分の科だから、ってこともあるんじゃないかな?」
『えーっと、それじゃ、美形は他の放射線科の人たちと話すときも、結構表情あるんだ?』
たるの言葉に、ちょっと考える。でも、全然思い出せない!
「どうだっけ? 私は、子犬と美形の組み合わせにしか興味ないから、他の人にどんな反応してるとか、じっくり見てたことないからなー」
『完全に、美形はネタなのね?』
「それ以外に、ある?」
『……一応、独身なんでしょ?』
「そうじゃない?」
きちんと蓼原先生の口から聞いた記憶はないけど……そうだよね?
『何その疑問形。そこから?』
「だって……美形が結婚してようがしてまいが、子犬×美形の設定は使い放題だからね」
『そうだけど。……ナル的には、ナシなの?』
「はい?」
たるの言葉に、私は瞬きを繰り返す。
『私さ、ナルはとっても年上か、年下が合うと思うんだよね』
「えーっと……必要ありませんけど?」
『同い年は、ナルはマウント取っちゃって上手くいかないと思うんだよね。子犬とのやり取り聞いてると思うんだけど。でも、年上だったら、上手くいなしてくれそうじゃない? それか年下なら、上手くいくと思うんだよ』
「そう言う相手は、いらないんですけど!」
たる、聞いてる?
『私はそう思うって話だから』
「……そ」
『でも、美形とナルって、相性良さそうだけどね?』
ね、って声が跳ねられてもね?
どうでもいいし。
……何だろう? たるに話を聞いてもらってストレス発散するつもりが、どうしてこんな話の流れに?! 今日って、厄日なの?
「どうでもよくない? それより、新作の感想聞かせて」
こうなったら、話を変えるに限る!
*
スタッフルームに入ると、私は見つけたターゲットに、決意を新たにする。
昨日の理不尽な出来事の数々を、ここで発散せずにいつ発散するのだ!
「おはよ」
パソコンに向かう木下に声をかけると、スッキリした顔の木下が顔を上げた。
あー。ツーリング楽しかったんだろうなぁ。……これでまた、新作が書けるかもしれないから、話聞かなきゃ。
「おはよ。……何だよ、葉山。ニヤニヤして気持ち悪い」
「気持ち悪いで結構。ね、とうとう完成したんだけど!」
私は、じゃーん、と効果音を付けたつもりで、新作の製本したての1冊を取り出した。
今のところ、世界に一つだけの本!
訝しそうだった木下が、タイトルを口にして顔をゆがめた。
「なんだよこの『ライムグリーンの涙』って!」
どうやら男性が二人並んだ表紙に、中身が想像できたらしい。
「子犬×美形の私の新作BL! この間の土日に完成したんだよー」
ひらひらと本を揺らすと、ガバッと本が木下の手に奪われる。
「ちょっと木下! 何するのよ! それは大事な大事な貴重な品なんだから!」
スタッフルームの中の視線が、一瞬私たちに集まる。だけど、私と木下の組み合わせだと理解すると、その視線はすぐに外れた。
いつものことだから!
木下が後ろ手に本を隠す。私は奪い返そうと木下の後ろに回った。
木下が手に持ったものをひょいと動かして、私にとられないように動いている。
何するのよ!
「渡すか!」
「返して! 私の今一番の宝物なんだから!」
「だから、現実を見ろって! 俺見てみろよ!」
私は、ふい、と視線をそらす。
私の画力じゃ、子犬と美形を、そのまま十分表現できてないって言われたみたいな気がして、ムッとした。
私は腹いせに手を上げて、科長を見る。
「科長! 木下がセクハラし……」
「え? 木下くんがセクハラ?」
反応したのは科長ではなく立川先輩だった。木下が焦った表情になる。
ざまーみろ! 人の大切なものを奪うからだ!
「木下……お前……」
焦った木下が、蓼原先生の声にホッとしている。……許すまじ。
「あ! 蓼原先生!」
私は蓼原先生ににっこりと笑いかける。
「何騒いでるんだよ」
「いえいえ、木下の本命は蓼原先生に間違いありませんし、私との戯れはあれです、恋のスパイスってやつですよ。ちょっと蓼原先生にやきもちやいてほしかった、みたいな。木下にしてはやりますね!」
木下がムッとする。
「最近マンネリ気味だからな。で、何で騒いでたんだよ?」
「あのですね! 私とうとう描いたんです!」
力をなくした木下の手から、薄い冊子を奪い取った。
「何書いたんだよ」
「これです! 子犬攻め美形受け新作! その名も『ライムグリーンの涙』!」
ドーン! と効果音でも付きそうな勢いで、自作のBL本を胸の前に掲げて蓼原先生に見せる。
「は?」
蓼原先生の口から疑問の声が漏れる。
木下がうんうん、と力強く頷く。
何ですって?! 私の力作なのに!
「『ライムグリーンの涙』ですよ! もちろん木下と蓼原先生を描いた、純愛物語です! 私の渾身の作品です!」
「いや、木下にしてはかわいすぎやしないか?」
蓼原先生は表紙の木下がモデルの青年を指さす。
「先生! 突っ込むところが間違ってます!」
即座に木下が突っ込んでくる。
「嫌だ木下。朝から下ネタはダメ!」
「違うって!」
「そうだな、それは人に聞かせる話じゃないな」
「ふふ。そうしてください!」
私の反撃に、木下ががっくりと肩を落とす。
「朝礼始めるぞー」
科長の声に、私は大事に冊子を机にしまう。いつもの場所に集まりながら、私はウキウキして、蓼原先生に話しかける。
「本当に、渾身の作品なんですよ! あのバイクに乗せてもらった経験が、存分に生かされてますから!」
「妄想の集大成か」
蓼原先生の声は呆れている。
「いいじゃないですか! 妄想こそ、心の栄養ですよ!」
「……お前、ちょいちょいいい言葉を曲げて使うよな」
「そんなことないですよ。私は妄想に生かされているんです!」
「……語彙力あるのだけは分かったけど、返す返す、残念だな」
「渾身の作品がようやく完成したんで、テンション高いですからね! 今なら何言われても凹みませんよ」
「いや、凹む葉山が想像できないんだけどな。木下はがっつり凹んでるけど」
蓼原先生が後ろを見るのにつられて見ると、木下が立川先輩に何か声を掛けられているところだった。あー。立川先輩、セクハラとかに厳しいからなー。
木下の無事を祈る。
でもね、そもそも私の作品をぞんざいに扱うのがいけないと思うんだよね!




