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 結局、たるの手術は何事もなく終わり、私とたるの日々もいつものように戻った。

 たるが仕事に復帰した連絡をくれるまで、実はペンの進みが遅かったんだと知ったら、たるは苦笑するかもしれないけど、でもやっぱり、たるがいなくなる恐怖は強かった。

 たるが心配してくれていることも理解できるし、たるだって私だって、いつ終わりが来るのかなんて、誰にも分らない。それは、病院で働いているからこそ、わかっていることだ。

 だけど、私にはやっぱりリア充は必要ないと思うわけだ。

 とりあえず、作品を完成させないと。


「よし!」


 隣の席で、木下がスマホを見ながら握りこぶしを握っている。


「どしたの? 蓼原先生とまたツーリングでも行くの?」


 それはそれで、いいネタだな、と思いながら問いかける。

 私の質問に、心底嫌そうな顔をした木下が、首を横に振った。

 ……ツーリングに行くのか、って聞いただけなのに、こんな嫌そうな顔するとか、どうやら木下には、私の口から出るのは腐った内容だけだと刷り込まれてしまったらしい。


「違うよ、今度の連休地元に戻って、合コン行くんだよ!」

「木下、蓼原先生を裏切る気なの?」


 その気なら、その気で対応してやらねばなるまい。


「裏切るとかないから!」

「あ……蓼原先生は、浮気を許してくれる派なの?」

「そんなこと知るかよ!」

「あー。蓼原先生かわいそうに……浮気されちゃうんだー」

「ちげーし。あー、連休楽しみだなー」


 どうやら、木下は私を無視する作戦に出たらしい。


「連休って、来月の?」


 そう言えば、と私はカレンダーを思い浮かべて、首を傾げる。

 今月は連休はなかったはずだけど。


「月曜日に休みとって、月末3連休にしてるんだって」


 なるほど。そういうことか。


「そこで蓼原先生と愛を深めればいいのに」

「……俺、ちょっと庶務に用事あったわ」


 ぷい、と木下が立ち上がる。

 嫌だな。自分が墓穴掘ったくせに。


 木下と入れ違いに、蓼原先生がスタッフルームに入ってくる。

 私はついニヤニヤしながら蓼原先生に近づく。


「蓼原先生、木下が浮気の計画立ててますよ」

「……浮気って何だよ。木下に彼女ができそうなのか?」

「違いますよ。地元で合コンに行くって息巻いてます」


 その情報に、蓼原先生が、あ、と声を漏らす。

 ……一体何を思いついたんだろう?


「へー、いつ行くって?」

「意外ですね。蓼原先生でも嫉妬するんですか」


 私が真顔で問いかけると、蓼原先生が呆れたため息をついた。


「違うよ。あいつの地元までツーリングに行くのもいいな、と思って」

「……相変わらずのバイク愛ですね。今月末です。月曜日に休み取ってますよ」

「そうか。予定合わせるかな」


 蓼原先生の言葉に、私はため息をついた。


「これが、木下愛なら、私もっと萌えるんですけどねぇ」

「勝手に妄想しとけばいいだろ」

「あ! そうか、新婚旅行ですよね!」


 唐突な私の言葉に、蓼原先生が面食らっている。


「……妄想が過ぎやしないか」

「いえいえいえいえ。バイクが好きな二人の新婚旅行は、ツーリング。それでOKです!」

「まあ、好きに妄想してくれ」

「蓼原先生はノリが悪くて困るなー」


 蓼原先生が苦笑した。


「何も困んないだろ」

「いーえ。乗ってくれないと困ります。私の創作活動に関わりますから!」


 力説する私に、蓼原先生がため息をついた。


「ホント、二次元にしか興味ないのな」

「好きなものを好きって言って生きたいんですよ。人間、いつ死ぬか分かりませんから。後悔のないように生きたいじゃないですか」


 それは、ずっとずっと思っていることだ。


「……若いのに、変に達観してるな」


 蓼原先生は真面目な顔で私を見る。


「私、病気で死にかけたことあって。人間いつ死ぬか分からないって、身に沁みてわかってるんで」

「え?」

 

 私は重くないように言ったつもりだったけど、蓼原先生が戸惑ったのがわかって、いけない、と思う。


「あ、小さい頃の話で、今はこの通りですから」


 私はニコリと笑う。誰かに心配してほしいわけじゃない。それは、ずっと昔からだ。


「そうか」


 あっさりと頷いてくれた蓼原先生にホッとする。


「なので、これからも、木下×蓼原カップルは私の中で活躍するので、よろしくお願いします」

 

 私の言葉に、蓼原先生が苦笑する。


 *


「木下先輩、蓼原先生と新婚旅行に行くんですか?」

「俺と蓼原先生は付き合ってない」


 私と蓼原先生の部分的な話を耳にはさんだ多田は、嬉しさを心の中にとどめることができなかったらしい。スタッフルームに戻ってきた木下に、多田が話しかけた。

 多田の質問に、木下がきっぱりと断言した。木下の隣に座る私は大きなため息をついてみせた。


「マリッジブルーって、やっかいね」

「本当ですね」


 私の言葉に、多田が頷く。


「誰が、マリッジブルーなんだ?」


 木下がギクリとする。会話に蓼原先生が入ってきたからだ。


「あー。いえ、先生。木下でもマリッジブルーになるんだなーって話です」


 私は振り返って、蓼原先生に告げた。


「違うだろ」

「あー。そういうこと」


 蓼原先生が頷く。木下だけが、信じられない顔をしていた。


「やっぱり最近、おかしいですか?」


 多田の声は、心配をしているというよりは、好奇心に満ちている。私より、厄介かもしれないよ、木下。


「そうだな」


 蓼原先生が悪ノリしている。私は笑いをこらえる。


「蓼原先生何言ってるんですか」

「まあまあ、木下。夫婦に喧嘩はつきものだから気にしない。それで、今週末仲直りの旅行なんですね!」


 私がウキウキと告げると、木下が憤慨する。


「実はな、最初は一人で行くとか言い出してな」

 

 蓼原先生がため息交じりに告げるのを、多田がうんうんと親身に頷いている。


「地元で合コン行くから」


 木下の言葉に、多田の口から悲鳴が沸く。当然私も。


「何言ってんの! マリッジブルーの最たるものじゃない! この相手と結婚していいのかって不安になったからって、軽々しく合コンとか言うんじゃないわよ!」

「そうですよ! 木下先輩ひどいです! マリッジブルーになるのは勝手ですけど、蓼原先生を悲しませるようなことしないでください!」

「そもそも俺は彼女が欲しいの。だから合コンに行くんだって」


 木下の言葉に、訳知り顔で私は頷いた。


「……そうね、そもそも木下は、その自分の姿が受け入れられなくて、蓼原先生の気持ち、ないがしろにしてたんだもんね」


 パソコンに向かっていた木下は口を開かなかった。完全にスルーすることにしたらしい。


「……でも、蓼原先生の気持ちは、どうなるんですか?」


 多田が泣きそうな声を出す。これもまた木下は黙ってスルーした。


「心配してくれてありがとう。その話は解決して、二人で旅行に行くことになったから」


 ニッコリと蓼原先生が笑うと、木下が弾かれたように顔を上げた。


「蓼原先生、そんな約束してないですよ」

「何だ、やっぱり婚前旅行ね」

「え? 新婚旅行じゃないんですか?」


 私の悪乗りに、普通に多田が乗っかってくる。


「それで木下。その旅行の話なんだけど」

「話すことはありません」


 木下が冷たく言い放った。


「あー。木下、照れてる!」

「へー。木下先輩は照れるとムッとするんですね!」

「ちょっと蓼原先生、外で話しましょう」


 木下の言葉に、蓼原先生が頷いた。二人が立ち上がってスタッフルームのドアの外に消えると、多田が目を輝かせた。


「どんな話するんでしょうね!」


 きっと腐ってない話になるんだろうな、と思いながら、私はふと思う。

 この中で、木下と蓼原先生の関係を本気で勘違いしてるのは、きっと多田だ。

 ……この勘違い、解かないでいいんだろうか?


 ……まあいいか。私は困らないし、多田は、きっと誤解してる方が幸せだ。

 木下の幸せは……木下が掴むものだしね!

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