ダリアの花言葉
誤字報告ありがとうございます
雲ひとつない青空はどこまでも高く、柔らかな光が降り注ぐ。頬を優しく撫でるその風の心地よさに思わずうっとりしてしまう。
束の間とはいえ、こんなにゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりだ。
目を瞑り、大きく息を吸い込む。そして、目を開けば飛び込んでくる大輪の花々。
この日の為に我が家の庭に植えたダリアもちょうど見頃を迎えている。
「本当に我が家の庭師は優秀ね」
そうにっこりと微笑めば、先代の頃から我が家の庭師を務めているベンジャミンがニカッと笑う。
「他でもない、うちの姫様の可愛らしいお願いですからねぇ」
私はリリィ・グリーナウェイ。
使用人達は私を「姫様」と呼びとても大事にしてくれる。けれど私は王族などではなく、伯爵家の娘で王宮に勤める一介の侍女でしかない。
無理をしないをモットーに身の丈に合った領地経営で領民からの信頼も厚いちょっと気弱な父と、可憐な見かけによらず父よりも頼もしい母、それから文官として王宮へ出仕する兄。
我がグリーナウェイ家は、建国当初から王家に忠誠を誓った古い家ではあるものの、莫大な権力を持っているわけでもないし、特別裕福というわけでもない。だからと言って貧乏貴族というわけでもないけれど、古い考えの貴族からは、婚約者もいる娘まで働かせている=貧しいと思われている節がある。
借金があるわけでも、生活が苦しい訳でもない。贅沢三昧さえしなければ、領地経営だけでそれなりの暮らしが出来る。それなのに貧しいと思われるなんて心外だが、価値観の違う人達の主観でしかない。
どちらにせよ、すこぶる評判が良いわけでも悪いわけでもないことから、『毒にも薬にもならないグリーナウェイ』と揶揄される伯爵家であることには変わりあるまい。
「姫様方が手ずから植えた花ですから。そう言って貰えたら皆で丹精込めて世話した甲斐があるってもんです」
ベンジャミンはのんびりした口調からは信じられないくらいテキパキと手を動かし、ダリアがより美しく見える様に余分な葉を摘み取ったり、形の悪い花を取り除いたりしていく。
淡いピンクと白のダリアがバランスよく、ぐるりと囲む様に植えられているのは、本日のガーデンパーティーのメイン会場だ。
ダリアは友人の大好きな花であり、彼女の名前でもある。
私の友人、ダリア・カーシュ。まだ歴史は浅いけれど、勢いのある子爵家の御令嬢だ。流行を常に追うオシャレな彼女は、私なんかよりもずっと華やかで「姫様」と呼ばれるに相応しいと思う。
ダリアは私の兄オリヴァーの婚約者で、今日の主役。つまり、今日は次期伯爵となる兄とダリアの結婚式なのである。
本来ならば領地の本邸で盛大に行うべきなのだろうが、王宮勤めの兄の仕事のスケジュールや招待客の利便性を考えた結果、王都のタウンハウスで小ぢんまりと行うこととなっている。
結婚式の準備を早々と済ませて、両親とのんびり領地で過ごすと言ってずいぶん前から帰省していた彼女は、私達がこの庭にダリアの株を植えた事を知らない。パーティーが始まるまで彼女がここに立ち入ることもないだろう。
ダリアの花は、我が家の若奥様となる彼女へ、祝福と歓迎の気持ちを込めたサプライズプレゼントだ。
彼女が選んだテーブルコーディネートや彼女の身を包むドレスの色も考えて、ドレスより主張しすぎない様に気をつけながら、それら全てと調和する様な品種と色を選んだ。
喜んでくれるといいな、なんて事を考えながら会場をゆっくり歩く。
勿論、テーブルセッティングなどパーティーの準備をしている使用人達の邪魔にならない様に気をつける事も忘れない。
「リリィ、すごいじゃない!」
「ローズ!」
そろそろ私も準備をする為に部屋に戻ろうかと思っていた頃合いでかけられた声に心が躍る。
執事に案内されてやってきたのは、ローズだった。
元々知り合いだったローズと私がダリアに出会ったのは、マナー講師の主催するお茶会だった。沢山の参加者がいる中でも花の名を名付けられた者同士、互いに親近感を覚えた私達はあっという間に意気投合した。
最近はなかなか都合がつかず、以前程三人で集まることは難しくはなってしまってはいるけれど、今日の式でローズと私は花嫁の介添え人を務めることとなっている。
「これを見たら、ダリアは喜んでくれるかしら?」
「きっと泣いて喜ぶわ」
ローズにはサプライズの事を事前に相談しており、一緒にダリアの品種や色を選び、数ヶ月ほど前にはベンジャミンの指導の下、私達も庭師に混じってダリアの株を植えさせてもらっている。だから花が見事に咲いたこの景色は、私だけでなくローズにとっても感慨深い事だろう。
「お天気にも恵まれて、今日は素晴らしい日になりそうね」
「本当に。忘れられない1日になりそうだわ」
二人で顔を見合わせてふふふと笑う。
「半年後のリリィの時には八重咲きのユリでいっぱいにしたいわね」
「それなら1年後、ローズのお式にはバラの花でいっぱいにしてあげるわ」
「あら、楽しみね。それより、私達も準備しなくっちゃ」
この時の私は、今日という日が違う形で忘れられない日となる事をまだ知らなかった。
***
お揃いのシンプルなドレスに身を包んだローズと私は礼拝堂へ向かうと、ダリアの控室を訪れた。三人が揃うのは本当に久しぶりで、少しドキドキしながらドアをノックする。
幸せそうな彼女の笑顔を想像していたというのに、部屋に迎え入れてくれたダリアの顔色はあまり良くない。
「何か心配事でも?」
「昨日は緊張してあまり眠れなくて」
「まぁ大変」
心なしか笑顔が弱々しく見えるダリアに、ローズは落ち着いて対処をしている。
「コルセットは少し弛めてもらいましょう……朝食は取った? 取っていないのならば、今のうちにお腹にたまるものを食べておいた方がいいわ。きっとパーティーでもほとんど食べられないもの……」
良かったら、と言ってローズが差し出したのは、ダリアが贔屓にしているショコラトリーの箱だった。
「きっと朝食は抜いているだろうと思って用意しておいたからぜひ食べて。式の前に酔っ払ったら大変ですもの、リキュールを使っているものはないから安心して? ダリアのお気に入りのジャンドゥーヤはいかが? それともプラリネがよくって?」
ローズの満面の笑顔に、ダリアの笑顔が引き攣った気がしたのは気のせいだろうか? それとも、それほどに体調が良くないと言う事なのだろうか。心配になる。
「ローズ、ありがとう。今はちょっと……後でいただくわ」
「……チョコレートはちょっと重すぎたかしらね。寝不足だと吐き気がしたりするもの、今食べられなくても仕方がないわ」
ハンカチで口元を押さえるダリアはやはり体調がよろしくないようだ。
「ダリア、吐き気がするの?」
「……えぇ、寝不足だから、ちょっとね」
「朝食は取った?」
「いいえ……」
「それならフルーツをすぐに用意してもらうわ。さっぱりしたものなら食べられるでしょう?」
控室の外に待機していた我が家のメイドに声をかけると、あっという間にフルーツが届けられた。柑橘系のサッパリしたフルーツを中心に一口サイズにカットされているものが綺麗に皿の上にもりつけられている。
ダリアはフルーツをいくつか口へ運んだものの、食欲はないようだった。皿にはまだ半分以上が残っているし、やはりまだ顔色が良くない。
「ダリア、怠いのならソファでも少し横になった方が良いのではなくって?」
「だ、大丈夫よ。ローズは心配性ね」
「ダリア、ローズの言う通りよ。なるべく休めるようにお兄様に相談してくるからゆっくりしていて」
ダリアの侍女を見れば彼女も頷いたので、私は部屋を出た。
出来る事なら少し仮眠をとらせてあげたいけれど……流石にそれは無理かもしれない。それでも、少し横になるだけでも違うと思う。ローズの案には賛成だ。
新郎の控室へ向かった私は、ドアの前で控えていたメイドに声をかけ中に案内してもらう。部屋の中には、既に支度を終えているらしい兄と、新郎介添人を務めるジェフリー・ウェリントン様がいらした。
今日の兄はいつもに増してひときわ見目麗しい。室内では褐色にしか見えない髪と瞳は、太陽の下ではオリーブグリーンの髪と深い翡翠色の瞳へと変わる。ガーデンパーティーでは今よりも一層輝く姿となり、普段の兄しか知らない人達は余計に印象が違って見えることだろう。
「あら、サミュエル様は?」
「リリィはそんなに婚約者が気になるのか?」
何気なく聞いただけだと言うのに兄は意地悪だ。悪戯っぽく笑う顔すら美しい兄に、私は苦笑いを返す。
「あいつにはギリギリで構わないと伝えてあるから、そのうちに来るさ」
サミュエル様は半年後に夫となる私の婚約者である。今日、私が花嫁の介添え人を務めるように、サミュエル様も花婿の介添え人を務めるのだ。
花嫁の介添え人と花婿の介添え人は人数を揃えるのが慣例で、サミュエル様はいわゆる人数合わせ。彼は介添え人をする事にあまり乗り気ではなかったみたいだから、きっと兄が気を遣って式の直前に来てもらう事にしたのだ。
「それよりお兄様、ダリアは寝不足で体調が思わしくないみたい。ギリギリまで横になって休ませたいのだけれど、構わないかしら?」
今話すべきはサミュエル様の事ではなく、ダリアの体調である。
「オリヴァー、リリィ嬢は相変わらず優しいね」
「あぁ、俺の自慢の妹だからな。リリィ、ダリアは寝不足だと言ったんだな?」
「ええ。寝不足で吐き気もあるみたい。口当たりの良いフルーツを用意してもらったんだけど、あまり食欲もないみたいなの……」
兄にダリアの状況を説明すると、心配そうな表情でジェフリー様と顔を見合わせた。
「リリィ、披露宴には沢山の招待客をお呼びしているから変更はできないけれど、幸い婚儀は身内だけで行う予定だからどうにでもなる。披露宴に間に合うギリギリまでここでダリアを休ませよう。私は神官様に婚儀を後日改めて執り行っていただける様にお願いしてくる。悪いが、ジェフと一緒に邸へ戻って両親への説明と医者の手配をお願いしても良いか? ローズ嬢にはダリアの付き添いを頼みたい」
私とジェフリー様は同時に頷く。
「オリヴァー、任せてくれ。リリィ嬢、急いで花嫁とローズ嬢に伝えておいで。伝えたらすぐに出発しよう」
ローズにダリアを任せ、私達が急いで戻るとちょうど両家の両親が邸を出ようかというところだった。
ジェフリー様のお陰で、すんなりと両親が納得する。さすが敏腕外交官だけあって、交渉ごとには慣れていらっしゃる。
つい先日まで、ジェフリー様は国の特使として隣国を訪れていた。ちなみに、お兄様はジェフリー様の補佐官として、私も二人の身の回りのお手伝いをする侍女として同行していた。
来年王太子殿下がご成婚された折には、私が妃殿下付きの侍女となる事が内定している。その直後に行われる外遊で困らない様にとの配慮だと伺っているが、おそらくそれだけではなく、仕事とは言え侍女の同行を良く思っていないダリアへの配慮も多少あるのだと思う。侍女頭が私を「ご指名」だと言っていたからおそらく兄が頼んだに違いない。
ダリアは仕事で関わる女性にすら嫉妬するほど兄が好きなのだ。そんな相手と結婚できるダリアはラッキーだと私は思う。
その後、ダリアは大丈夫だろうか。横になって休んで体調が良くなっていると良いのだけれど……
そうこうしているうちに、パーティーの開始時刻は刻一刻と近づいてくる。我が家へご到着されたお客様には、予定通りサロンでウェルカムドリンクを楽しんで頂いている。
ただお一人の例外を除いては。
変装をした王太子殿下がご到着されたのは、両親への説明が一通り済んだ直後だった。流石に殿下をサロンへお通しするわけにはいかないので、ジェフリー様とご一緒に別室でお待ち頂いているが、案の定殿下はご不満そうだった。
「リリィ、ローズはまだかい?」
「申し訳ありません。間も無く到着するかと……」
「私の付き添いはジェフじゃなくてローズが良かったなぁ。いや、今からでも礼拝堂に行くべきか?」
「……殿下」
殿下とのそう言ったやりとりに慣れていらっしゃるジェフリー様が呆れたようにため息を吐く。お二人は主従以前に幼馴染であるので、プライベートな場ではかなり気安い関係だ。
「ジェフ、そんなに睨むなって。冗談だよ、冗談。リリィ嬢ならローズの素晴らしさを知っているから、理解してくれるだろう?」
「殿下は相変わらずローズが大好きですのね。羨ましいですわ」
そう、私が仕える未来の王太子妃殿下となるのはローズだ。王族や貴族としては珍しく、想い合って婚約した二人は本当に仲が良いというか、殿下がローズを溺愛している。
「ところで、リリィと婚約者は上手くやっているのか?」
「殿下とローズの仲睦まじさには到底及びませんわ」
私から見たら溺愛を通り越して、殿下の愛が重くて大変そうだと思ってしまう。けれど、ローズはそれが嬉しいというのだから世の中とは上手く回るものだなぁと思う。
「私たちの事は今は置いておくとして。リリィは婚約者の事をどう思っているんだい?」
「結婚後も仕事を続けて良いと言われておりますし、ジェフリー様や兄について隣国へ同行する際も快く送り出してくださいました。紳士的ですし、お優しいですし、婚約者として大変好ましく思います」
殿下は顔を合わせるたびに似たような質問をされるので、返答はいくつか用意している。とは言え、ほとんどパターン化してしまっているけれど。
「それだけか?」
「失礼ですが、それだけ、とは?」
「まるで社交辞令のような返答だなと思ってな。普通は婚約者に対して愛おしいだとか、恋しいだとかいくらでもあるだろう?」
いくら殿下とローズが相思相愛だからといって、私とサミュエル様にまで同じ熱量を求められるのは困りものだ。そもそも殿下の『普通』と私の『普通』が同じだとは思えない。
「……恥ずかしながらその様な感情はまだ良くわかりませんので」
しおらしくそんな返答をすれば、何故か殿下に笑われてしまった。
「あぁ、可笑しい。リリィまで同じ事を言うのだな……いや、違うな。『持て余すから知りたいくない』だったか」
突然笑い出した殿下に驚いたのは、私だけでなかったようだ。
「殿下、ローズ嬢が愛しいからと少々惚気すぎですよ」
ちょっぴり不機嫌そうに進言をするジェフリー様の意見に激しく同意だ。
もはやローズとイチャイチャできない腹いせに、ジェフリー様や私を揶揄っているとしか思えない。
「なぁ、ジェフ。リリィはまるで仕事さえ続けられれば誰でも良いと言っている様だと思わないか?」
「そんな事ありませんわ」
同意を求められたジェフリー様は困った様な顔をしていた。
慌てて否定したものの、心の中では完全に否定しきれない自分がいた。
***
兄とダリアは予定の時間よりも少し遅れて邸に到着したが、当初必要とされていたヘアメイクの手直しをする必要が無くなったためパーティーは定刻通りの開始となった。
ダリアの顔色が先程よりもずっと良くなっている事にホッとする。
ガーデンパーティーはお披露目としての意味合いが強いのだが、招待客の年齢層がそれなりに高いので前半は着席スタイルでの昼食会だ。
しかしながら、主役の二人は前半もテーブルを回って挨拶をするので、私とローズもダリアの後ろをついてドレスの裾を整えたり、ブーケを預かったりそれなりにする事がある。特に、ダリアの体調に不安があるので、彼女の様子にも気を配らねばならない。
ダリアへの配慮もさることながら、王太子殿下の様子も気になるところだ。先程から、殿下の視線が痛い。
本当は殿下が新郎の介添え人をすると名乗りを上げたそうだが、兄も流石にお断りしたらしい。
結局、ジェフリー様やサミュエル様がローズの周りをウロウロするのはお気に召さないとのことなので、二人には殿下と一緒に食事をしてもらっている。
それで納得されるかと思いきや、私がローズと一緒にいる事にも嫉妬しているようだ。ローズはそんな殿下を宥めるように何度も微笑んでいる。
あぁ、ローズが羨ましい。
結局、本当にギリギリの時間まで邸へ来なかったサミュエル様と私は挨拶を交わしただけで会話らしい会話をしていない。不機嫌そうな殿下とは何度も目が合うのに、私は自分の婚約者であるサミュエル様と目が合うことはない。サミュエル様の顔はこちらに向けられているというのにだ。
少し前から彼に避けられている気がしてならない。気のせいではないはずだ。
私達は親の決めた婚約者で、そこにあるのは恋愛感情というよりも、契約を履行する義務感の方が遥かに大きい。けれどそう短くはない婚約期間を過ごしているのだから、親愛の情だってないわけじゃない。
両親は政略で結婚式が初顔合わせだったそうだが、共に過ごす内に恋に落ちたらしい。大変仲睦まじいのは良い事だけれど、私もいずれそうなると信じて疑わないところが厄介だ。
殿下にはああ言ったけれど、サミュエル様は私が兄と一緒に隣国へ行った事も、結婚後も仕事を続ける事も本心ではあまり良くは思っていないのだろう。口では構わないと言うけれど、態度からそう思わされる事が今までに何度もあった。
サミュエル様は侯爵家の次男で、跡取りではない。いくつもの制約があるとは言え、私との結婚は彼にとってそう悪くない条件であると言えるだろうし、彼の両親もそう認めている。実際、あちらの家からの申し入れで決まった婚約だった。
私と彼との結婚で、私達は後継のいない母の実家の伯爵領と爵位を譲り受ける事になっている。私を妻としている間は彼が伯爵となり領主だ。ただし、私が仕事を続ける事を許可する事、仕事で長期間家を空けるのを認める事など他にもいくつかの制約が設けられている。あちらからの申し入れである事を逆手に取って、私のわがままを最大限に押し通した結果なのである。だから余計に誠意を持って接してきた。婚約者として、サミュエル様に迷惑をかけないように、彼や彼の家の役に立てるようにと努力もした。
サミュエル様は良くも悪くも優男。上品で物腰が柔らかく紳士的で、蜂蜜色の柔らかな髪に青空を思わせるブルーの瞳。甘い顔立ちの中性的な美しさは女性受けもする。兄が精悍な美しさならば彼が持つのは艶やかな美しさ。男性に対して艶やかだなんて失礼かもしれないけれど、彼にはその表現がとてもしっくりくる。
そんな風に女性を惹きつけてしまう彼だから、私に隠し通せるならば、別の人とお付き合いしてもらっても構わない。私の耳に入らなければ、それでいい。
私は美しい兄に比べて地味で凡庸な容姿をしている。だから、その位は甘んじて受け入れる。相手が誰であったって。
万が一私の耳に入ったからと言って、離縁はしないだろう。
もし誰かに聞かされたとしても私は知らぬ振りをするので、隠し通してほしいと思っている。
なんて、兄と友人の披露宴で私は何を考えているのだろう。
ダリアは綺麗だ。ふんわりと広がる白いドレスは裾に向かうにつれてピンク色に染まり、縫い付けられた真珠やクリスタルのビーズが光を受けてキラキラ輝く。ドレス自体は胸元や背中が大きく開いたデザインだけれど、繊細なシルクのレース編みのボレロが程よく彼女の真っ白な肌を覆い、それがかえって色っぽい。
髪に挿したダリアの花も、花びらの先がピンクに染まる白いダリアだ。ドレスとお揃い。
華麗で優雅なダリアの姿。
ダリアに向かって柔らかく微笑む兄も、彼女の美しさに緊張しているのだろうか? どことなく笑顔がぎこちない気もするけれど、きっと気のせいだ。気のせいじゃなくとも、妹である私しか気付いていないだろうから問題ない。
そう、問題ないのだ。
ダリアは兄に恋をしている。彼女は確かにそう言っていた。たとえ彼女の唯一でなくても、彼女は確かに兄に恋をしているのだ。
そんな相手と結婚できるなんて羨ましい。
私もサミュエル様にもっと歩み寄れば、彼に恋する事が出来るだろうか。
急に風向きが変わり、ダリアの亜麻色の髪がふわりと風に靡く。
会場を囲むように植えたダリアの花も一斉にサワサワと揺れた。
私とローズも一緒に植えた、ダリアの花。
どことなく不穏な空気が会場を包む。空はこんなにも晴れ渡っているのに。
ふと頭に浮かぶダリアの花言葉。
華麗、優雅、気品、感謝など色々あるけれど、それだけではない。
残念ながら、「裏切り」や「移り気」と言った悪い意味をも持つのだけれど、あなたは知っているのかしら……
「ダリア!!」
口元を押さえてふらつくダリアの身体を支えたのは、兄でも私やローズでもなかった。
私はダリアに飲み物を頼まれて離れていたし、ローズも私と同じようにダリアに何かを頼まれて彼女から離れていたタイミングだった。兄も近くにいる事だし、花婿の介添え人達が座るテーブルだ。少しそばを離れても大丈夫だと思った私が甘かった。
まさか、テーブルを挟んでいるだけとは言え、このタイミングでダリアが兄から離れていたなんて。
きっと、ダリアもサミュエル様もそこにいるのが変装した殿下だと気付かず、兄やジェフリー様の部下だと勘違いしていたのだろう。
ちゃんと紹介しない兄も兄だが、彼や彼女の行動も問題でしかない。
確かに、介添え人である二人が座っている席は席次的には末席と呼ばれる席だ。高貴なお方を座らせていい席ではない。とは言え、本来ならダリアは兄と一緒にご挨拶をするのが筋というもの。たとえ、それが兄の部下だったとしても。けれど、彼女はそうせずに兄から離れた。あの距離感では、兄から離れてサミュエル様との会話を楽しんでいたとしか思えない。
花婿ではない男が花嫁の名を声高に呼び、抱きしめる様はどう考えても異様であり。
それはその場にいた人々の視線を集めるには十分すぎた。あちらこちらでヒソヒソと囁く声がする。
兄も呆然と立ち尽くしている。
「サミュエル様、ありがとうございます。花嫁は花婿が運びますから……ご安心下さい」
「あ、あぁ。そうだな……」
慌てて戻った私がそう声をかけると、サミュエル様は初めて婚約者である私が今日のこの場にいた事に気付いたかの様な表情をした。
思わずもれてしまいそうになるため息を私が必死でのみこんだ事に気付いたのだろうか。気不味そうに目を逸らされる。彼に向ける私の視線が厳しくなるのも仕方ないだろう。
貧血を起こしたのか、意識のないダリアを兄が慎重に抱きかかえて運ぶ様から目を逸らせないとばかりに目で追って見つめるサミュエル様。
「ご心配なさらずとも大丈夫ですわ。お医者様に待機していただいておりますの」
「……医者に診せるのか?」
「勿論ですわ。私や兄も母のお腹の中にいた頃からお世話になっているベテランの先生ですから、ご心配なさらずとも腕は確かでしてよ?」
どうして、サミュエル様の顔色が悪くなるのだろうか。
「まるで、医者に診察されたら都合が悪い様な言い方だな」
殿下の言葉に、不機嫌さを隠そうともせず顔を顰めたサミュエル様。
「いくら殿下でもその言い方は私の婚約者に対して失礼ですわ」
拗ねたように言えば、殿下が笑いを堪えるように肩を震わせていた。
声を抑えているので、殿下と私のやり取りは他のテーブルのお客様には聞こえていないだろうが、サミュエル様にははっきりと聞こえていたようだ。その証拠に、サミュエル様の顔色は益々悪くなっている。それはつまり、今まで殿下と同じテーブルを囲んでいるという事実に気付かなかったということでもある。
殿下の存在に気付いている人はもうとっくに気付いている。気付かない人はきっといまだに気付いていない。気付いている人はおそらく我が家の立ち位置を正しく理解している人達だ。だから誰も驚いてはいない。
ただ一人、サミュエル様を除いては。
「このお席のままでお待たせするわけにも行けませんので、殿下も応接室へご移動願えますか?」
「そうだな、案内を頼む。だがジェフは来なくていいぞ」
一緒に立ち上がろうとしたジェフリー様を制し、チラリとサミュエル様を見てから目配せをした殿下。
ジェフリー様にはサミュエル様の監視をしろと仰りたいらしい。
殿下を応接室へご案内し、飲み物の手配を済ませた私はダリアが休んでいる部屋へと向かう。
部屋の前で控えていた兄に、私の両親とダリアの父である子爵は、中座した新郎新婦の代わりに招待客をおもてなししているのだと説明を受けた。
部屋の中にはローズとダリアの母親、それからダリアの侍女とお医者様がいた。
「……こりゃ、ご懐妊ですな」
「まぁ、良かったじゃない!」
診察の結果を淡々と妊娠を告げるお医者様の言葉に、ダリアの母が喜びの声をあげた。
「先生、男の子ですか? 女の子ですか?」
「……現時点では何とも」
いつもは優しく朗らかなお医者様が、真顔で告げる様に背筋がゾッとした。
ダリアの母はと言えば、自身がなかなか子宝に恵まれず苦労したらしく、初夜を迎える前に妊娠が発覚した娘を手放しで喜んでいた。
どうして喜べるのか不思議でならない。
どう考えても、このタイミングでの彼女の妊娠は喜ばしいものではないはずなのに。
実際喜んでいるのはダリアの母だけで、部屋の空気は酷く暗くて重いものだ。なのに彼女はそれに気付かず、一人ではしゃいでしまっている。
「……ところで、父親は誰かね?」
お医者様が咳払いを一つしてから、冷ややかな声でダリアに尋ねた。
「そんなの、オリヴァー様に決まっているじゃない! なんて失礼な医者なのかしら!」
声を荒らげたのは彼女の母で、ダリアは俯いて震えていた。そんな娘の様子に気付くこともなく、お医者様を睨みつけるダリアの母には呆れてしまう。これでは流石にダリアが可哀想だ。
「……オリヴァー坊ちゃんが隣国へ発ったのが3ヶ月程前。そして、帰国されたのが先週」
「それはおかしいわ! もっと早くに隣国から戻られた筈でしょう?」
ダリアの母は納得がいかないらしく、すごい剣幕でお医者様に詰め寄っていた。兄が帰国した時期について、どうやらひどい勘違いをしているように思う。
「隣国へはリリィお嬢様もご一緒でしたね?」
「えぇ、殿下の命で侍女として同行しておりました」
お医者様に尋ねられ、私が答えた所であまり効果が無かったようだ。ダリアの母に睨みつけられただけで、私の話など聞く気はないらしい。
そもそも、私はあまりよく思われていない。彼女の母は働く女性に対する思い込みだとか偏見がすごいので、伯爵家の娘が働くことが信じられないと過去に何度も言われているので今更驚かないが。
「信じられない様でしたらジェフリー・ウェリントン卿や殿下にも証人になって頂ける様お願いいたしますが」
「そこまでしてダリアを貶めたいの!?」
ダリアの母が怒る意味がわからない。貶めたいも何も、事実は事実だ。私の話を聞く気がないのならば、違う証人を立てようと言うだけ。私としては、兄のみの潔白を証明したいだけなのだが。
少なくとも、私の兄は婚姻前の女性を孕ませるような不義理なことなどしない。
まるで見計らっていたかの様なタイミングでノックの音がし、部屋の前で控えていた侍女に殿方の入室の許可を求められた。私はひとまずダリアのドレスを整えてから控えていた侍女へ許可を出す。
入室したのは、ジェフリー様と変装を解いた姿の殿下だった。
殿下がいらしていたとは知らぬダリアとダリアの母が驚き慌てて臣下の礼を取っていた。けれど、殿下はどこ吹く風。ローズの額に愛おしそうに口づけを落とすと、ローズに勧められたソファに座り、ローズを隣に座らせた。
私はジェフリー様に椅子を勧め、彼が腰を下ろしたのを確認してから彼に質問をする。
「ジェフリー・ウェリントン卿、兄と私が卿に同行して隣国から戻ったのは先週で間違いございませんよね?」
「ああ。3ヶ月程前に出立して先週戻ったばかりだね。戻ってからも慌ただしくて、私もオリヴァーもやっと今日、休みが取れたって感じかな。リリィ嬢のスケジュールだって私達とほとんど変わらないだろう?」
「はい、おっしゃる通りですわ」
「……そもそも私が命じたのは難しい交渉だ。早く切り上げて帰国するなどあり得ない」
夜会などで姿を見せる時はいつもにこやかな表情を浮かべている殿下。けれど目の前の殿下は真顔だ。静かに怒るタイプなのは知っていたが、不機嫌オーラを隠そうともしないのは珍しい。
ジェフリー様だけでなく、殿下にまで断言された事で、ダリアの母の顔が蒼白となる。
「これでオリヴァー坊っちゃまがお腹の子の父親ではない事が証明されましたな」
お医者様がそう告げても、誰も驚かなかった。彼女の侍女なんて、耐えきれずに泣き崩れてしまった。
皆がきっとどこかで薄々気付いていたのかもしれない。顔色の悪さや、吐き気をもよおしていること。チョコレートを見て口元を押さえていたのはきっとつわりで好みが変わり、食べられなくなったのだろう。
ダリアはお酒も好きで、普段なら浴びる様に飲んでもケロッとしていた。そんな彼女が今日は一滴も口にしていない。
そして何より、時々お腹を気にしてそっと撫でる様な仕草……。
「ダリア、どういう事なの? あなた、オリヴァー様と婚前旅行に行くって先月の初めに出かけたじゃない……」
ダリアの母の言葉に、部屋の空気が凍りつく。
……我が家には結婚する前に領地で両親とのんびり過ごしたいと言って帰省し、自分の両親には兄と婚前旅行へ出かけると言って出かけた。
その『婚前旅行』とやらで間男との子を授かったという事か……。
「ダリア、お腹の子の父親は一体誰なの!?」
「ごめんなさい!!」
金切声と悲痛な叫び声が頭に響く。
もう誰なのかわかっているけれども聞きたくなどない。きっと聞いてしまったら、私が壊れてしまう。今まで知らぬ存ぜぬで通してごまかしてきた気持ちなんて知りたくない。
「いったいこれはどういう事だ?」
あぁ、もう最悪。
いつまでも戻らない私達の様子を見にきたのか、はたまた誰かがこの騒ぎを知らせたのか。
挨拶回りをしていたはずの両家の父親までやってきてしまった。
殿下もこの場にいらっしゃる事に気付いて臣下の礼を取った事で怒りとか勢いが削がれたのは良かったけれど、おそらく勢い任せに入ってきたせいでドアが開いたままなのがいただけなかった。
「サミュエル様……」
ドアを閉めようと近づいた私と、部屋を覗き込む彼の目が合ったのは仕方がない。思わず彼の名を呼んでしまったのは失敗だったと言ってから気付いた。
「サム……そこにいるの!?」
「ダリア……!」
あぁ、彼女にも私の声が届いてしまっていたのか。
私という存在は見事に無視され、ダリアの名を呼び駆け寄るサミュエル様。
よりにもよって、ダリアは私ですら口にした事のない彼の愛称で縋るなんて。サミュエル様だってそうだ。いつも私にはよそよそしいのに、彼女の名をそんなに愛おしそうに呼ぶなんて。
完全に二人の世界。周りなんてきっと見えてない。
ふざけるな。
きっと物語ならば、ヒロインを助けるためにヒーローが現れたシーンなのだろうけれど。
八方美人で自分の意見をはっきり言えないサミュエル様がヒーローになり得るだろうか?
けれどそれでも、ダリアが主人公の物語は彼がヒーローなのだ。
あぁ、もう無理。見つめ合う二人を目の当たりにしてしまったら、私がこの気持ちを隠し通すことなんて無理だ……壊れてしまう。
「リリィ!」
「リリィ……」
兄が、ローズが遠くで私を呼ぶ声がした。
どうやら私は考えるのに疲れて、意識を手放してしまったらしい……
***
その後、あの場がどう収まったのかはわからない。
そして、招待客にどう説明したのか詳しくはわからないが、みなまで言わずともきっと察して下さった筈だ。
幸い、礼拝堂での婚儀を後日に延期したために兄とダリアは離縁ではなく、婚約解消という扱いで処理された。
そして私とサミュエル様はと言えば、契約不履行の為に婚約が取り消される事となった。やったね!
ブレディ侯爵家としては寝耳に水だった様で、初めは言いがかりだの子爵令嬢に騙されているだの当主や夫人には散々ごねられた。
「本来ならば慰謝料を請求されてもおかしくない」と殿下が一言口添えした事で解消に応じてもらえたものの、サミュエル様とダリアの婚姻は認められないと反対していた。
結局こちらも二人の意思を確認したローズが殿下に頼んで口添えをしてもらった事でどうにか認められた経緯があるのだが、認められはしたものの祝福はしてもらえなかったらしい。
伯爵になる為に領地経営を学んでいたサミュエル様はそれを生かして次期当主となる彼のお兄様を支えるそうだ。
あの場にいた我が家側のお客様は、殆どが兄の仕事関係の方だった。いわゆる国の重鎮と呼ばれる御人だって何人もいた。
花嫁が倒れた瞬間のあの異様な光景で仮説が生まれ、兄と妹が揃って婚約を解消したことからその仮説が証明されてしまったそうで、特に説明せずとも何が起こったか理解されていた。それに拍車をかけたのが、兄妹の婚約者だった二人の婚姻の報告だった訳で。
まぁ、私たち兄妹のここ数ヶ月の忙しさを皆様目の当たりにしていたから、察する人は早々に察していたらしい。
そして。
サミュエル様との婚約が無事に解消された事で、私の心は壊れずに済んだ。
あの日、殿下に「婚約者に対して愛おしいだとか、恋しいだとかいくらでもあるだろう?」と尋ねられた私は「その様な感情はまだ良くわからない」と答えた。
正直に答えなければならないのなら、殿下の質問に「いいえ」と答えるのが正解だった筈だ。
私はサミュエル様に恋などしていなかった。でも、あの場でそれは言ってはいけなかった。
私が恋しいという感情を抱いていたのは婚約者ではない人で。
ずっとずっと心を押し殺していた。
見て見ぬふりをして、興味のないふりをして、その人から向けられる熱のこもった視線を無視していたのだ。
仕事の時も、プライベートの時も、二人きりになってしまった時も、大勢の時も。私はそれを敢えて無視し続けていた。
鈍感力に自信はあった筈なのに、あの時の私はもう限界を迎える寸前だったのだ。
自分の婚約者が自分の兄の隣に立つ花嫁に対して、人目も憚らず熱い視線を送る姿が許せなかった。どうしてあなたたちは堂々とお互いの感情を晒す事が出来るのかと詰め寄りたかった。
せめて、あの日だけは隠して欲しかったのに。
そしたら、サミュエル様も我慢しているのだからと自分を納得させられたはずだった。
流石に二人が越えてはならぬ一線を越えていたなんて思わなかったけれど……
結果的には二人の関係が露呈して良かったと思う。きっとそのまま兄がダリアと結婚をして、私とサミュエル様の婚約が継続して結婚したとして、二人がお互いを諦めるとは思えなかったし、「兄の妻」と「妹の夫」になった二人は、きっと「家族」である事を盾に堂々と出かけたりして、もっと距離を縮めていただろうから。
そうなれば、私は自分の想いを隠しきれなくなるか、隠し通そうとしておかしくなっていた事だろう。
私だけでなく、兄にとっても我が家にとってもそうだ。
サミュエル様の子を兄の子として育てる事にならなかったのは幸いだった。
産まれた直後は分からなくても、成長したらきっと誰かが兄よりもサミュエル様に似ている事に気付いてしまっていた事だろう。
あれから半年以上が過ぎ、私は花嫁となった。
八重咲きの百合の花が咲き乱れる庭園で隣に立つ旦那様は当初、王命で決められた私との婚約が大いに不満だったみたいだけれど、今は蕩けるような笑顔を私に向けている。
「やっぱり、王命じゃなくてちゃんと自分の言葉でリリィを口説き落としたかったな」
耳元で囁かれた甘い言葉がくすぐったい。
「私ならもうとっくに落ちていましたのに?」
「それでもやっぱりね?」
私の旦那様はすこぶる甘い。王命なんて名ばかりで、私たちはほとんど恋愛結婚と変わらないのではないだろうか。
「私、あなたをずっとお慕いしておりましたわ」
「過去形?」
「ええ。今は愛しておりますもの」
いつもは余裕たっぷりなのに、耳まで真っ赤に染めて恥ずかしがる姿がとても愛おしい。
***
親愛なるダリアへ
この度は、ご出産おめでとうございます。
元気な男の子が産まれたそうね。
まさか報告の手紙を頂けるとは思っていなかったから驚いたけれど、本当におめでとう。
私事ですが、先日結婚致しました。お相手はあなた達も知っているでしょう?
ダリア、サミュエル様、本当にありがとう。
私のこの幸せは、あなた達の裏切りのお陰だもの。
思い出話ついでに、ひとつ打ち明けたい事があるの。
グリーナウェイは植物との相性が良い家系で、植物の力を引き出す事が出来るのよ。
あの日、私は華麗で優雅で気品あふれる花嫁となるであろうダリアへ、私は感謝の気持ちを伝えたかった。
だから、沢山のダリアを植えて育ててもらったの。
あなたは気付いていたかしら?
きっと体調が悪くてそんな余裕などなかったのでしょうね。悪阻は個人差があるというけれど、あなたはとても大変そうだったもの。
ダリアの花言葉が、あなたを祝福してくれます様にと心から思っていたの。
けれどね、二人の行いがそれを台無しにした。
二人は裏切りを隠す気はあったのかしら?
今となっては些細な事だから、もうどうでも良いけれど。
グリーナウェイ伯爵家が「毒にも薬にもならない」と揶揄される本当の理由を教えてあげる。
——毒にも薬にもならぬと侮るなかれ。侮ればたちまち毒牙を剥く、それがグリーナウェイだ
過去に愚王と呼ばれ、我が一族に玉座を奪われた王の言葉が元になっているのよ。
あなた達は、私と兄、そしてグリーナウェイを侮っていた。
だから皮肉にもあの日、裏切りが暴かれた。グリーナウェイはあなた達にとっての毒となった。
もしも、私があなたにダリアの花をプレゼントしようなんて思わなかったら、産まれたあなた達の子どもは兄の子としてグリーナウェイ家の跡取りとして育てていたのかしら?
産まれたばかりなのに、どこからどう見てもサミュエル様にそっくりだって伺ったわ。
今となっては、ダリアの花言葉があなた達二人の背中を押してくれたのかもしれないわね。
それも一種の祝福と言えるのかも知れない。少なくとも、我が家にとっては毒ではなく薬となったみたい。
だって、あのまま何も起こらず予定通りに結婚していたら今頃大惨事だったと思わない?
私にとっても、あなた達にとっても、今の平穏があるのはあの日の波乱のお陰だと思うの。
そう考えると、あなた達に感謝せずにはいられないの。
侮ってくれてありがとう。
裏切ってくれてありがとうって。
お陰で、私の生家は平穏な日常を送れているし、私は愛おしいという感情を自分のものに出来たの。
二人には、どんなに感謝しても感謝しきれないわ。
二人の裏切りに感謝を込めて。
リリィ・グリーナウェイ改め、リリィ・ウェリントンより




