不見(みえず)の城塞
猿ヶ京の佐助がなにやら絵図に書き込みをしている。
「どうだ」
戻ってきた真田昌幸がほおかむりを外しながら尋ねた。
「どうもこうも」
佐助は筆を置くと、汗を拭った。
「鉄壁ですな。殿が示された寺社、商家、町家、ことごとく透破どもの詰所でござったよ」
「どんなもんじゃ」
子供の様に昌幸は目を輝かした。
絵図は平安京であった。
御所の南西に、大きく丸を打たれているのが、本能寺の位置。
そして、要所要所に、朱で数字が書き込まれている。
「ここを」
佐助が本能寺を指す。
「本丸と見立てた時、こちらが二の丸、こちらは三の丸ということですな。大手、搦め手は、こことここ、とすれば、こちらが櫓ということになります」
昌幸は相変わらずニヤニヤしている。
佐助が息をついた。
「羅生門から御所まで、都自体が一つの城じゃ。古来の兵法では、この都ほど、守に難く、攻めるに易い都はないと言われておりましたが、、なるほど、この様にすれば、蟻一匹入れませんな」
「無いのは塀と土塁のみよ」
「しかし、『本丸』の本能寺には立派な塀も土塁もありますな。十分です」
「考えても見よ。唐の国では、城とは街のことじゃ。この都は、唐の国の都に倣ったというではないか。ならば、城として使えないはずはないのだ」
「お見それいたした。そんなことに気がつくのは我が殿のほかにはおりますまい」
「ワシと、彼奴のほかには、な」
昌幸の顔に少し苦いものが走った。
「天下を取ろうともいう武将が、小姓だけを供に上洛する?馬鹿馬鹿しい。『そう見えている』だけのことだ」
「しかし、なぜこんなまどろこしいことをするのでしょうなあ」
「そこはそれ、童のころと心持ちは変わっておらぬということだろう」
普通の権力者であれば、大軍勢を引き連れて、示威行動をする。
信長も、上洛したてのころは、きらびやかな軍勢で都を睥睨した。
やがて彼が天下を握ったことを衆目が一致しだすと、信長は考えた ーと、真田昌幸はいうー
天下人が、丸腰同然の風来坊姿で京の街中を歩いていたら「おもしろい」のではないか。
尾張随一の実力者の世継ぎであるにもかかわらず、茶筅髷と腰蓑で庶民の間を闊歩し、「うつけ」とよばれた少年時代と同じ、彼の遊びなのだと。
しかし、ただ遊んだのでは、本当のうつけである。
遊ぶための周到な準備がされていた。
軍勢が信長を狙ってきた場合は、入京するまでの主要地で異変を察知し、いち早く伝令する配置がなされていた。
他方、少数の暗殺団を送り込まれた場合に備え、それらの暗殺者の道となるであろう要所に透破が詰め、怪しいものがあれば捕殺する。
幾重にもわたるこの防衛機能を突破された場合も、最終防衛ラインとして、本能寺内に透破部隊が控え、四方から侵入を防ぐ。
「透破を使い慣れたものでなければ、こんな布陣はできぬでしょうな。天下でこれをなしうるものは、真田安房守くらいでしょう」
「であろう?」
昌幸は胸を張った。
「凡百の武将ならば、こんなに守りにくい街はない。しかし、我らならば、目には見えぬが、城にできるのよ」
「これをナワバリした明智日向守は、真田安房守に優るとも劣らん知恵者ということですな」
「褒められているのかなんだかよくわからんな」
昌幸は改めて朱の数字を確かめた。
「これが人数か」
「大雑把でござるがな。今は信長が入京いたした故、五割り増し、あるいは倍増と見た方が良かろう」
ここに10、ここに15、ここに5、などと数えてゆくと、その数はざっと500となった。
「一千騎と見ておけば良い訳か」
昌幸は真顔になった。
「佐助。決行は明日ぞ」
「承知」
音もなく、十人の男たちが控えていた。