前夜
愛宕山の連歌の会が行われた翌日、明智光秀は中国出陣に向けて、まずは物資を運ぶ輜重隊を先行して山陽道に向かわせた。
同じ日、織田信長は安土城の直属部隊に戦支度をさせると「号令を待て」と言い残し、小姓衆を引き連れて、京へ出立した。
信長の一行が京の定宿としていた本能寺に入ったのは、夕刻となっていた。
「上様」
森蘭丸が新顔の小姓を信長の前に引き連れた。
「北条氏直家臣、成田長氏の嫡男、重四郎でございます」
武田攻めの際、信長は同盟者として北条氏直にも参陣を要請していた。
だが、隠居しながらも事実上の当主として振る舞う北条氏政が、理屈をつけて遅参。
武田家の支城攻略のいくつかに援軍を出すに止まっていた。
当然、信長の覚えは悪い。
それに対して北条氏直は「選りすぐりのものを小姓に送るのでぜひ教育を賜りたい」と申し出てきた。
具体的には美少年を差し出すので、思いのままに、という、言ってしまえば枕営業である。
この話を聞いた時に信長も少し首を捻るものはあった。
人間五十年の時代にあって、早四十九を数える信長に、美童の色仕掛けが、さほど嬉しいものではなくなっていることくらい、わかりそうなものである。
若い北条氏直が見当違いな気遣いをしたのであろう、と思い、人質の一人として受けよ、と蘭丸に命じてあった。
成田重四郎と紹介された少年は、確かに顔立ちは整っているものの、関東の田舎臭さは否めない。
なにより、寵童とするには筋骨がたくましすぎる。
「薪割りでもさせておけ」
蘭丸にそう告げると、さっさと一人、自室へと消えていった。
翌日、5月30日は、朝から、翌日の茶会の準備に本能寺は明け暮れた。
そんな中、主賓の一人である近衛前久がわざわざ下見に訪れた。
「前右府殿におかれては健勝のご様子。前代未聞の見事な茶会となるでしょうな」
「大したことはござるまい。ただ、島井宗室が、楢柴肩衝を披露するそうな。これは殿上の皆様も一見の価値あるものと存じますぞ」
「ときに、前右府殿とお呼びするのもまどろこしい。そろそろ、決めてくださらぬか。関白、太政大臣、征夷大将軍、いずれに任官されるのか」
信長は今、右大臣を辞して無官である。
これまでも、陪臣にすぎない北条得宗家や、赤松、三好などの者共が事実上の最高実力者であった時代があった。名目上、低い官位でありながら天下人という矛盾した存在だが、それにしても無位無官ということはなかった。
今、日本の最高実力者である織田信長は完全な無官である。
朝廷の人間である近衛前久からすれば、これはえずくほどの緊迫感をもたらす状態である。
自他共に認める最高実力者が、天皇から与えられた官位を持たないことは、「王朝を取って代わる」という野心を想像してしまうからだ。
実力にふさわしい官位を得てくれと、祈る様な気持ちで、信長を見つめていた。
「わしは隠居にすぎませんぞ、関白殿」
信長の返事は相変わらずのらりくらりとしている。
「せがれが左近中将をいただいておりますので、それで良い気もしておりましてな」
「信忠殿は信忠殿で、この先、昇官していただければよろしいではないですか」
にい、と唇の端をあげて、信長は、茶の湯や茶器のことに話題を変えた。
ひとしきり話が終わり、近衛前久は消化不良なまま、本能寺を後にすることになった。
「それにしても、前右府殿の威光は天下に鳴り響いておりますな」
去り際にこんなことを言った。
「まだまだでござりますよ。ワシに従わぬ大名どもは雲霞のごとくおり、彼奴等を平らげるまでどれだけの時間がかかるか、知れたものではない」
「なんのなんの。ひと昔前でありましたら、都の中とはいえ、これだけの少数、しかも小姓衆だけで止まりおりましたら、たちまちに野盗の餌食になっておりましたでしょう。
他ならぬ我らも、幾たび盗賊に屋敷を荒らされ口惜しい思いをしたか知れませぬ。ところが、今は、悪党どもが騒ぐ気配もない。ひとえに前右府殿のご威光の賜物」
どこまで本気か、追従か、わからぬまま、近衛前久は何回も「感心、感心」と言いながら辞去していった。
この数日の、本能寺滞在について、後世の人間は、信長の慢心、油断、と呼ぶ。
わずかな数の小姓だけを引き連れての本能寺滞在は、警戒を怠った証拠だと。
近衛前久の車を見送りながら信長は
「これだけの数、しかも小姓だけで、か。。。。」
とつぶやいていた。
「そんな訳あるかい」
信長はほくそ笑んだ。