表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の敵  作者: 桜木覚
8/19

前夜

愛宕山の連歌の会が行われた翌日、明智光秀は中国出陣に向けて、まずは物資を運ぶ輜重隊を先行して山陽道に向かわせた。

同じ日、織田信長は安土城の直属部隊に戦支度をさせると「号令を待て」と言い残し、小姓衆を引き連れて、京へ出立した。


信長の一行が京の定宿としていた本能寺に入ったのは、夕刻となっていた。

「上様」

森蘭丸が新顔の小姓を信長の前に引き連れた。

「北条氏直家臣、成田長氏の嫡男、重四郎でございます」


武田攻めの際、信長は同盟者として北条氏直にも参陣を要請していた。

だが、隠居しながらも事実上の当主として振る舞う北条氏政が、理屈をつけて遅参。

武田家の支城攻略のいくつかに援軍を出すに止まっていた。

当然、信長の覚えは悪い。


それに対して北条氏直は「選りすぐりのものを小姓に送るのでぜひ教育を賜りたい」と申し出てきた。

具体的には美少年を差し出すので、思いのままに、という、言ってしまえば枕営業である。


この話を聞いた時に信長も少し首を捻るものはあった。

人間五十年の時代にあって、早四十九を数える信長に、美童の色仕掛けが、さほど嬉しいものではなくなっていることくらい、わかりそうなものである。

若い北条氏直が見当違いな気遣いをしたのであろう、と思い、人質の一人として受けよ、と蘭丸に命じてあった。


成田重四郎と紹介された少年は、確かに顔立ちは整っているものの、関東の田舎臭さは否めない。

なにより、寵童とするには筋骨がたくましすぎる。

「薪割りでもさせておけ」

蘭丸にそう告げると、さっさと一人、自室へと消えていった。


翌日、5月30日は、朝から、翌日の茶会の準備に本能寺は明け暮れた。

そんな中、主賓の一人である近衛前久がわざわざ下見に訪れた。

前右府さきのうふ殿におかれては健勝のご様子。前代未聞の見事な茶会となるでしょうな」

「大したことはござるまい。ただ、島井宗室が、楢柴肩衝を披露するそうな。これは殿上の皆様も一見の価値あるものと存じますぞ」

「ときに、前右府殿とお呼びするのもまどろこしい。そろそろ、決めてくださらぬか。関白、太政大臣、征夷大将軍、いずれに任官されるのか」

信長は今、右大臣を辞して無官である。


これまでも、陪臣にすぎない北条得宗家や、赤松、三好などの者共が事実上の最高実力者であった時代があった。名目上、低い官位でありながら天下人という矛盾した存在だが、それにしても無位無官ということはなかった。

今、日本の最高実力者である織田信長は完全な無官である。

朝廷の人間である近衛前久からすれば、これはえずくほどの緊迫感をもたらす状態である。

自他共に認める最高実力者が、天皇から与えられた官位を持たないことは、「王朝を取って代わる」という野心を想像してしまうからだ。

実力にふさわしい官位を得てくれと、祈る様な気持ちで、信長を見つめていた。


「わしは隠居にすぎませんぞ、関白殿」

信長の返事は相変わらずのらりくらりとしている。

「せがれが左近中将をいただいておりますので、それで良い気もしておりましてな」

「信忠殿は信忠殿で、この先、昇官していただければよろしいではないですか」

にい、と唇の端をあげて、信長は、茶の湯や茶器のことに話題を変えた。


ひとしきり話が終わり、近衛前久は消化不良なまま、本能寺を後にすることになった。

「それにしても、前右府殿の威光は天下に鳴り響いておりますな」

去り際にこんなことを言った。

「まだまだでござりますよ。ワシに従わぬ大名どもは雲霞のごとくおり、彼奴等を平らげるまでどれだけの時間がかかるか、知れたものではない」

「なんのなんの。ひと昔前でありましたら、都の中とはいえ、これだけの少数、しかも小姓衆だけで止まりおりましたら、たちまちに野盗の餌食になっておりましたでしょう。

他ならぬ我らも、幾たび盗賊に屋敷を荒らされ口惜しい思いをしたか知れませぬ。ところが、今は、悪党どもが騒ぐ気配もない。ひとえに前右府殿のご威光の賜物」

どこまで本気か、追従か、わからぬまま、近衛前久は何回も「感心、感心」と言いながら辞去していった。


この数日の、本能寺滞在について、後世の人間は、信長の慢心、油断、と呼ぶ。

わずかな数の小姓だけを引き連れての本能寺滞在は、警戒を怠った証拠だと。


近衛前久の車を見送りながら信長は

「これだけの数、しかも小姓だけで、か。。。。」

とつぶやいていた。


「そんな訳あるかい」

信長はほくそ笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ