ときは今
翌早朝より、威徳院では大仰な祈祷が執り行われた。
山岳修験の祈祷は、密教の影響を受けて炎を使う。
屋外で行われる修験の炎は、文字通り天を焦がす。杉やヒバなどの生木の葉をくべることで、周囲はもうもうたる煙に包まれるが、その煙が邪気を払い、幸運を呼ぶものと考えられている。
修験の炎によって清められた明智光秀たちは、威徳院書院に威儀を正して並んだ。
光秀は短冊を取り上げ、発声とともに、発句を記した。
「ときは今 天が下なり 五月かな」
え?という空気が流れた。
「明智様」
宗匠をつとめる里村紹巴がたまらず声をかけた。
「それでは、句が終わってしまいます」
「ならぬか」
「ならぬことはございませんが、、、、、」
<<今まさに五月。天下のことは成った>>
毛利討伐が叶い、天下一統が現実となった五月であることよ、と、確かに縁起は良いが、完結してしまっているので、二の句が継げない。
が、どうにか、威徳院の院主・行祐が続ける。
「水上まさる 庭の夏山」
庭の築山が夏の盛りとなるころには、水かさ=明智の権勢はさらに高まるだろう
三の句は紹巴。
「花落つる 池の流れを せきとめて」
中国攻めで多くの敵将を討ち果たし、功名は池の水が溢れるほどにたまるであろう
結句
「国々は なお のどかなるころ」
天下一統が果たされ、この国はのどかとなるであろう。
明智光秀の武運長久を祈り、その力で織田家の威光が全国に響き渡る。
なんの問題もなく、めでたい連歌が完成した。
この後、他の参列者の歌も引き続き、のちに愛宕百韻という連歌集となる。
席が終わり、連歌が書かれた短冊は、本尊前に供えるために、三方に乗せられた。
光秀たちが退去したのを見送り、里村紹巴は書院に戻った。
「あめが下なり」では、やはり連歌として落ち着かない。
宗匠に自分の名がつくもので、そんなものが世にでることは避けたかった。
「『天が下なる』ならば、よかろう。明智様のお気持ちもわかるが、一文字、削らせていただこう」
ときは今 天が下なる 五月かな
「今は雨の滴る五月である」「天下のことはなるであろう」という掛詞になっている。
二の句にもすっきりとつながる。
短冊を取り上げ、文字を削り落とそうと短刀を抜いたところに、片付けの小姓が入ってきた。
「何をなさっていらっしゃいます」
紹巴は、改竄しようとしている現場を見られ、とっさに、出まかせを言った。
「文字を過たれたのでな、奉納前に、ただしき字に書き換えるのよ」
「ならばわたくしが行いましょう」
小姓が差し出す手に、短冊を渡してしまった。
「そこの、なり、となっておるところの、り を る としてくれ」
「かしこまりました」
と、言いながら、小姓は な の字に短刀を当てた。
「な、はそのままで」
よい、という間も無く、な り は削り落とされた。
「はい」
天が下 で途切れた短冊を、小姓は紹巴に返した。
「し る と、お書きください」
「な?」
うろたえる暇も与えず、小姓は短刀の刃を紹巴の頚動脈に当てた。
「どうぞ」と、小姓は促す。
身動きが取れぬまま紹巴は呻いた。
「天が下しる 五月かな、だとぉ、、、、、」
小姓は年の頃14、5。前髪立ちのあどけない顔立ちながら、尋常ではない鋭い眼光を放った。
前髪立ちということは、まだ戦場に出ていないはず。にもかかわらず、紹巴は、百戦錬磨の武将に切っ先を突きつけられた時にも感じなかった恐怖につつまれていた。
「そんな歌を見逃したとなれば、わしの命がないわ」
「同じことです」
小姓がいう。
「見逃さねば、今ここで命がなくなるだけのこと。私はどちらでも良いのです」
刃を離すと同時に、小姓は背後に回っていた。
紹巴が生きてこの書院を出るための選択肢は一つしかなかった。
「ときは今 天が下しる 五月かな」
〜土岐源氏が天下を知ろしめす五月が今まさに到来した〜
「なぜこんなことをさせる」
おそるべき謀反宣言を完成させてしまった里村紹巴が声を絞り出した時には、すでに小姓の姿は消えていた。