酒宴の夜
天正10年5月。
天目山に武田勝頼を滅ぼした織田信長は、甲斐・信濃平定の祝いの酒宴を催していた。
積年の宿敵の滅亡に、織田家中は常軌を超えた興奮の中にあった。
酒宴のたけなわとなり、いつもは冷静な明智光秀も、つい高音声で放言をした。
「武田の滅亡、祝着至極。これで我らの積年の骨折りも報われました」
その声を聞いた信長、突然自席を蹴ると、光秀のところへと駆け寄った。
何事、と群臣が一瞬で凍りつく中、信長は大きく足を上げると、光秀の前に、どん、と振り下ろした。
「日向ぁ!」
そして、明智光秀を足蹴に
しなかった。
そっと、光秀の耳元に近寄ると
「功の第一は明智光秀よ。忘れはせぬ」
と、囁いた。
「ははあ!」
明智光秀はあまりの感激にその場に平伏した。
がば、と、たちあがった信長は、改めて叫んだ。
「うぬごときが、どんな骨折りをしたというのかあ!」
「申し訳ございませぬ!」
「たわけが!」
そして、信長は「滝川一益!武田勝頼成敗の功労第一!、河尻秀隆!、何より徳川殿の働き、!」と、諸将の論功を上げていった。
「魔王と金柑の猿芝居か。」
木曾義昌をはじめとする諸将の相次ぐ裏切りが、武田家崩壊の決定打であった。
鉄の結束を誇ったはずの武田軍団を、背後から籠絡し、ボロボロにした調略戦の最高責任者こそ、明智光秀であった。
調略は、味方にすらその存在を知られてはならない。
明智光秀は、子飼いの甲賀者を中心に、少数精鋭の秘密部隊を結成し、暗躍していた。その動きは、光秀と信長しか知らない機密中の機密であったのだ。
実戦部隊は、いわば、光秀というシロアリが食い尽くした朽ち木を打ち倒したようなものであり、最後の仕上げに過ぎない。「骨折り」の九割は明智の仕業といって良い。
思えば天下に躍り出た桶狭間の合戦で、今川義元の首を取った毛利新助ではなく、今川軍本隊の正確な情報を掴んだ簗田正綱を論功の第一とした信長である。この明智の働きを賞しないわけがない。しかし、いま、それを賞することはできない。それが今更でも知られることは、画竜点睛を欠く。いや、日本一統の時まで、知られてはならないものなのだ。
そういう、芝居であった。
しかし、人が動く以上、漏れない機密はなかった。
甲賀の名家・海野氏の流れを汲む、真田昌幸の配下には、やはり甲賀者がいる。
いち早く木曾義昌謀反の情報を得たのも、真田であった。
小山田信茂に裏切りの恐れあり、と岩櫃城への避難を進めたのも真田であった。
それらの情報を採用せずに武田勝頼は滅んだ。
忸怩たるものがある。
しかし、父の旧領を奪還してくれただけでなく、一時は一門衆の武藤家を預けてくれ、そして本来ならば天下一の名城となるはずだった新府城のナワバリまで任せてくれた武田家への恩義は捨てがたいものがあった。
主君が滅んだ以上、もはや「政治」は無用。
「仇をうつ」
真田昌幸は出浦盛清に、一切の草の者としての働きをやめ、織田信長暗殺ただ一事に全力を注ぐよう指示を出した。
出浦も、武田への忠誠は人後に落ちない。
「信長はもちろんだが」
出浦が言った。
「彼奴は殺すだけではあきたらん。地獄に落ちるよりも大きな恥辱をくれてやらねば」
「明智日向か」
「何か策はないか」
真田昌幸はじっと出浦の顔を見つめた
「日の本一の悪名を未来永劫背負っていってもらうというのはどうだ」
昌幸の言葉に出浦の顔が輝いた。
「できるか」
「やらいでか」