1 白毛玉
カササギ村だよ、と言われて耳を疑った。
「そこ……、もしかしてすごく……田舎の」
ん? 同名の別の場所かな? 聞き違いかな? と確認の意味で聞き返しつつ、穏当な表現を探しては見つからず言葉につまる。
構わずに、転勤を命じた上司はそっけなく言った。
「ド田舎の寒村だ。風光明媚と言えないこともないが、お前が行く頃には真冬だからなー。寒いだけだぞ。お、そうだ。魚は美味いらしい。主要産業だからな」
それしかないとも言う、といらない情報を付加してくれた上司に対し、思い直してくれないかなというほんの少しの期待を込めて食い下がったが、一笑に付された。
「決定だ。行ってこい。住めば都」
かくして、職場内のちょっとした内部告発で、いろんな偉い人たちの機嫌を損ねた結果、都落ちと相成りました。
(新鮮な魚介が食べ放題だなんて……冗談じゃない。俺は甲殻類アレルギー持ちだし魚は大ッ嫌いなんだよ。なんの嫌がらせだこのやろう……!!)
ぴちぴちだぞぅ、という上司の言葉が耳にこびりついて、叫びたい気分だった。
*
肌をひりつかせるほど乾燥した空気、刺すほどに冷たい空風。
それでいて、重く垂れ込めた曇天からは粉雪がちらちらと舞い、白い波濤の砕ける黒々として荒れた海に落ちている。
防波堤に沿って早足で歩いてはいるが、分厚いコートでも防ぎきれない冷え込みに、強く噛みしめた歯がガチガチと音を立てるほどに震えていた。
(最悪。最悪。昼間なのに暗いし寒いし人が一人も歩いていない。さすが田舎)
家々はすぐそばまで迫った急峻な山肌にへばりつくようにポツポツと建っている。店は今のところ一軒も見ていない。
(自給自足なのか。ってことはほんとに魚メインか。無理。俺はあの山で猪でも狩って食うのか……?)
都会生まれ都会育ちで、それなりに体は鍛えてはいるもののあくまで体力と健康の為。実戦向きではない自覚はある。狩猟もその後の処理もできる気がしない。
自分で出来ないなら誰かにやってもらう必要がある。
しかし。
(人に頼もうにも、人がいるのか、ここ……)
村までの乗り合いバスは一日に二本。それほどの生命線ならばその時間にはこぞって利用者が現れるに違いない。そう考えていたのに、道々で人は降りていき、村にたどり着いたときには乗客は自分一人きり。折り返すバスに乗る者もいなかった。比喩でも誇張でもなく人っ子一人いない。第一村人いまだ発見ならず。
(鎖国でもしてんの……!?)
それならそれで構わないけど。入村拒否されましたって帰るし。むしろ拒否してほしい。よそものなんて受け容れ余地なしとばかりに追い出してほしい。帰って仕事がなくてもいっそ今の仕事をやめてしまってもいい。どこかしら就職はできると信じている。
とは、建前だ。職場で内部告発をした、なんて雇う側からすれば面白くない人材に違いない。転職するにももう少しほとぼりが冷めてからだ。
そんな事情でもなければ、こんな辞令に従ってここまで来ていない。
なお、仕事は廃校寸前の学校の臨時教員。前任者が田舎の暮らしに耐え切れず夜逃げしたのだとか。
(暇すぎて死ぬかも。家にこもって酒飲むしかやることがない。それが狙いか。若くて優秀な俺が腐って身を持ち崩して再起不能に陥って二度と生意気な口を利かないようにすることが狙いか)
えげつない……とは思うものの、この先の生活を思えば暗澹たる気持ちにもなる。
これまで、職務上の努力は惜しまない生活をしてきたし、結婚を考えられない女性と付き合うつもりもないと異性関係は深みにはまることもなく清いまま。
とはいえ誘惑の多い都会暮らしで、悪友たちとはそれなりに遊んできたごく普通の若者のつもりである。
娯楽もなければ友人もなく、食にもまったく期待が持てず仕事ですら時間つぶしにもならないとあっては、自分を律していくのなかなか難しいように思われた。
とにかく、何か一つでも生きるよすがとなるものが欲しい。
愚にもつかないことを思うも、雪のちらつく視界には相変わらず誰もいない。道に迷ったら行き倒れそうであった。
住居までの地図は比較的単純な道程で、頭には入れてきたが、行けども行けどもたどり着く気配がない。
おそらく、縮尺が思った以上に大雑把なのだろう。目印となる建物もない上に、家と家の間隔を見るに、地図ではバス停からさほど離れていないように見えた目的地はかなり遠そうだった。
立ち止まったら足から凍り付いて二度と歩けそうにないので、とにかく進む。
海からの風がひたすらに冷たい。
そのとき、前方から雪玉が転がってくるのが見えた。
ちらちらと降る粉雪は積もるきざしもないのに妙だなと目を眇めて見ているうちに、雪玉はどんどんコロコロと近づいてきて、ついには足にコロンとぶつかった。
やたらにふわふわとしているなと見下ろしたら目が合ってしまい、思わず拾い上げた。
にゃあ。
真っ白でふわふわの雪玉は、青と緑のオッドアイをした小さな生き物で、消え入りそうな声で鳴いていた。