ツンデレールウェイ 後編
「ど、どうして……」
「ふふん、不思議でたまらないという顔だな」
下ろした片手を腰に当て、川端は勝ち誇るように胸を反らした。それとは対照的に、爽は拳を握りしめ悔しさを滲ませている。
信じられないことに、あの子供達は川端に注目し、あまつさえ手を振り返した。けっこう距離があったはずだが、電車の中で手を振る人が見えるものなのか。
これがもし、1人だけだったならまだ偶然で片付けられたはずだ。だが、ほとんどの園児が手を振り返したとは、いったいどういうことだろう。やはり「プリティ・パワー」とやらの効果なのか……。
いや、そんな説明で納得がいくものか。爽は、いけ好かないにやけ面の川端に視線を向ける。とても子供受けするような顔には見えなかった。
「いったいどんなタネを仕組んだですか!」
「人聞きの悪いことを言うな、ワヌキ君。僕は何も細工してないよ」
続けて川端は、一部分を強調して繰り返した。
「『僕は』ね」
「え?」
戸惑う爽に、愉快気な視線を向ける川端。
「君は、あの子達が『手を振り返してきた』と思っているようだが、それは間違いだ」
「どうしてですか。実際、手を振って――」
しかし爽はそこで言葉を切った。違和感が頭をよぎったのだ。川端の言葉選びに感じた、違和感。
「気付いたかい? 振り『返した』という点が誤りだ。園児達は、僕が何もしなくても手を振ってきただろうさ」
「え、じゃあ……」
川端自身は何も細工などはしていなかった。だとしたら。
「最初から電車の方に細工がされていた?」
「その通り」
レンズの奥で、目がキュッと細められた。
「そして僕は、それを知っていただけだ」
川端が園児達の注目を集めたわけではなかった。園児達が二人の乗った電車に目を引きつけられること、それを川端が予測していただけなのだ。
「まあ、あんなに手を振ってくれたのは予想外だったけどね」
爽は、川端が『驚いたな』と漏らしていたのを思い出した。彼自身も、子供達があそこまでの反応を示すとは思っていなかったらしい。
「いや、ちょっと待ってください。幼稚園児を振り向かせる細工ってなんですか……。しかも先輩だけが知っていただなんて」
爽にはそんな細工など思い浮かばなかったし、川端と一緒にいた自分に気付けなかったことも考えにくかった。が、川端は意外でも何でもないふうに告げた。
「ワヌキ君だって知っていたさ」
「え?」
「プリティアのラッピングがされていたんだよ、この車両には」
子供に大人気だというテレビアニメ「われらはプリティア!」。その説明を、爽はさっき川端から受けたばかりだ。
「え、嘘」
反射的に爽は窓に顔を近付けて車両の外側を見ようとしたが、当然できるはずもない。川端はそんな反応を面白そうに眺めながら、爽にスマホを差し出した。
「駅に降りた後に確認してみるのもいいが、今すぐに見る方法がある」
表示されていたのは、一枚の画像。プリティ・レッドのラッピングがされた車両だった。さっき川端が爽に見せたものと同じだった。
こちらに手のひらを向けたポーズは、手を振っていると取れなくもない。園児達が手を「振り返した」のだとすれば、このキャラクターに対してだったのだろう。
やや手ぶれしたその写真を眺めていると、爽の頭の中で点と点が繋がった。表示された時刻は、十分ほど前のものだ。
先輩がこの写真を撮ったのは、ついさっき。駅のホームでのことだったのか!
「驚いているようだね。いくらなんでも、ホームに入ってきた時点でラッピングに気付いてもいいはずだ、とでも思っているんだろう? K鉄道によくある赤い塗装と同じ、赤色を基調にしたデザインだったとはいえ」
川端の言う通りだ。しかし爽は、すでに理由を悟っていた。
駅のベンチは横向きだった。電車の進行方向と同じ向きだから、ホームに入ってきてもすぐにはラッピング車両だとは気付けなかったのだ。おまけに爽は線路と反対側の壁にある、万洋堂のポスターに気を取られていた。
ベンチを立ち上がってからも、爽は慌てていた。自分の写真を消すためにスマホを操作していたこともあって、ちゃんと車体を見られてはいなかった。
「先輩は何度かカメラのシャッターを切っていましたね……」
「そう。ラッピング車両が数枚と、君がこっちを向いた時のが1枚」
爽と違い、川端は電車が入ってきた時点でラッピングに気付いた。それで爽越しに写真を撮っていたのだ。そして撮影の音に気付いた爽が川端の方を向いた時、
「『つい』でに、君の顔も撮っておいたのさ」
さすがにこの一言には爽も腹が立った。好き放題言いやがって! そもそもこの賭けを持ちかけたのも、爽が電車の色をうろ覚えだったことを知ったからに違いない。
「ず、ずるいですよ!」
爽の剣幕に川端は一瞬ひるんだようにも見えたが、すぐに冷静な指摘を加えた。
「そんなことはない。ワヌキ君にだって気付くチャンスはあったんだよ。
僕が君の写真を見せた時、それが横顔ではないということに疑問を覚えていれば、ラッピングにも気付けたかもしれない」
駅でスマホを見せられた時、爽は間の抜けた自分の顔と向かい合った。シャッター音に気付いた爽が、川端の方を向いた後で撮られた写真だ。
もし、そのシャッター音が爽を撮った際のものなら、横顔が写っていたはずなのだ。つまり、前を向いてシュークリームに心奪われている間、爽は撮られていなかった。その時の被写体はプリティアだった。
「そんな……」
「君はさっき、こんなことを言ってなかったっけ? 痛車に乗る人の気が知れないとか、なんとか」
「だって、これは。ラッピング車両は、その、不可抗力といいますか……」
我ながら余計なことを言ってしまったものだ。爽は数分前の自分を殴りたくなった。
「……参りました。完敗です」
「わ、分かればいいんだ」
爽が素直に頭を下げて見せると、川端は分かりやすく動揺した。爽より一学年上のこの先輩は、重たい空気が苦手らしい。少し言い過ぎたと、罪悪感を覚えているのかもしれない。
意外と扱いやすい人。そう思ったら、さっきまで感じていた意地は不思議となくなっていた。シュークリームも、また今度でいいやと思えた。
「シュークリームのことは残念ですけど、代わりに映画が楽しみになってきました。こうなったら今日は、特盛のキャラメルポップコーンにするんです!」
「君は本当にお菓子が好きだなあ……。あ、そうそう」
川端は、ポケットからチケットらしきものを2枚取り出した。映画の前売り券ではなかった。
「実はシュークリームの予約はもう取ってあるんだ」
「え?」
目を凝らしてみると、チケットには万洋堂のロゴが刻印されている。割引券だ、と川端は説明した。
「ということで、ポップコーンもほどほどにするんだぞ」
「ちょっと待ってください! 賭けはどうなるんです?」
川端は呆れたような顔をして、
「まだ言っているのか。ほんの余興のつもりだったんだが……」
「先輩はそのつもりでも、こっちは本気だったんです!」
爽は、また意地を張ってみたくなった。しかし、何故だろう。今度の意地はどこか楽しい。
それが伝わったのか、川端も要らぬ意地を張った。
「あれは、僕が勝てば君にシュークリームを奢る、という賭けだったんだ」
「それは屁理屈が過ぎます」
言いながら、爽は吹き出していた。川端は口の端を曲げて、「じゃあどうすれば満足するんだ」肩をすくめる。
「先輩の言うことを一つだけ聞きます。せめてそれくらいはさせてください」
「よし、それで手打ちだ」
川端は腕を組んで目をつむった。数秒後、爽の目を見て言ったのは、
「後でいいから、もう一度写真を撮らせてほしい」
「……いいですよ、それくらい」
爽は顔を横に向けた。腹立たしいことに、こんなタイミングで、川端が駅で言ったことを思い出してしまう。
『顔を背けるように、真横を向いたベンチ。まるで――』
う、うるさいっ!
香ばしい、甘い香りが、爽の鼻孔をくすぐった。
了