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神奈備ノ巫女 御巫転移譚  作者: 表裏トンテキ
一章 神奈備ノ巫女
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第60話 新人到来 前

 学生達が夏休みを謳歌している最中も、社会人である菫は勤労に勤しんでいた。とは言っても、学校関連に関しては、旧時代よりも体制が見直されたこともあり、学校が夏休みの間はそこまで仕事は多くない。その為、教師の中には学生と同じように夏休みを過ごす者も少なくは無いのだが、残念ながら菫には祭祀局があり、学生と同じように、とはいかないのが悲しいところだ。

 今日もまた、支部の自室にて様々な資料を片手に、端末と睨みあっている菫がいた。資料には、本隊合流候補、と記載されている。その名の通り、佐曇巫女隊本隊へと合流する候補生を選抜しているところだ。


「はぁ……」


 選考が難航しているのか、菫の表情は芳しくない。目の疲れを癒す為、目頭を揉みほぐすものの、あまり効果は無さそうだ。


「全く……、選考を丸投げされても、候補生の子達を見てるのは私じゃないんだから、そんな簡単に選べるわけないじゃない……」


 菫はあくまで統括しているだけで、個々の能力を把握しているわけではない。故に、訓練担当官から渡されたデータを元に判断するのだが、これがなかなか上手くいかない。

 一応、既に一名は確定しているのだが、もう一人がどうしても選びきれない。本隊の指導を任されている為、選考の方も一任されたが、見ていないものをどう判断しろと言うのか。


「……ちょっと休憩しよ」


 流石にこれ以上は精神的にも辛いものがあるのだろう。席を立った菫は、少し頭をリフレッシュさせようと、共用の休憩スペースにある自動販売機でコーヒーを手に取っていた。


「川根先生?」


 すると、背後からこの局内では珍しい、まだあどけない雰囲気を残した少女の声で呼びかけられ、後ろへと振り向く。声の主は、夏休みであるにも関わらず、制服姿の鴻川鈴音だった。


「あら、こんにちは、鈴音さん」

「こんにちは、先生。それと、お疲れ様です」


 少し控え目な労わりは、おそらく支部局長から菫の状況を聞き及んだ故の言葉だろう。でなくても、菫の姿は傍目から見ても明らかに疲労しきっている。先日の大型討伐の件の処理もあり、多大な負担をかけているのは誰の目にも明らかだ。


「今日はどうしたの? 支部長の手伝いかしら?」

「それもありますが、少し先生にお願いがあって……」

「??」


 お願い、そう言う割には、鈴音の口は固い。何か言い淀む理由でもあるのか、それとも菫の姿を見て、遠慮しているのか。


「遠慮する必要は無いわ。言ってごらんなさいな」

「そう、ですか……、分かりました。では遠慮無く。……私を本隊に上げてもらえないでしょうか」

「なるほど、先日の大型討伐で触発された……訳じゃないわね」

「はい。大分個人的な理由ではありますが、私は一日でも早く本隊に上がる必要があるんです」

「個人的な……ね」


 理由について、思い当たる節が無いわけでは無い。十中八九、和佐が関係しているだろう。先日の大型との闘いで負傷し、つい最近まで昏睡状態だった事が、彼女にとって本格的に本隊に上がるよう直談判する要因の一つになっているのだろう。菫自身、あの時程、自身の力の無さを悔やんだ事は無かった。手段を持ちながら、立場的に戦いに介入出来なかった鈴音の後悔は計り知れない。

 だからこそ、こうして直談判にやって来た。彼女が本隊に上がる可能性は高いだろうが、別にこれ以上高くなって困る事は無い。他の実力だけで勝負している候補生には悪いが、こういった伝手なんかも彼女の実力の一部だ。別段、やり方が間違っているわけでは無い。


「検討はしておくわ。こうやって直接乗り込んでくる勇気にも報いなければならないしね。とはいえ、あなたの実力なら、黙っていても本隊には上がれるとは思うけど、自信が無かったのかしら?」

「そういわけではありません。ただ、出来る事があるなら、どんな小さな事でも手を尽くす。そう、決めたからです。……本当は、兄さんや凪さんを見て、じっとしていられなかった、というのが理由なんですが」


 やはり本音は別のところにあったようだ。一見淑女然とした鈴音だが、その本質は強かさとすこしばかりやんちゃが混じっている。触発された、というのもあながち間違ってはいなかったのだろう。


「まったく……、あなたらしいわね。分かったわ、出来る限りやってみましょう。けれど、どんな結果になっても恨まないで頂戴」

「分かっています。結果に関して、私は何も言いません。……少しは愚痴を溢すかもしれませんが」

「その時は、お兄さんに思いっきり絡めばいいわ」

「兄さんに……、そう、ですね……。そうする事にします」

「ん……?」


 菫は少し曇った顔を見せた鈴音の言葉に少し違和感を感じ首を傾げるも、既に目の前の少女の表情はいつも通りだ。


「では、私はまだ父の手伝いがありますので、この辺りで」

「そうね。それにしても、支部長はまだ中学生の自分の娘に仕事を手伝わせるなんて、どういう感覚してるのかしら。これじゃあ、近いうちに支部長の椅子はあなたの物になりそうね」

「ふふ、そんな事を言って。次の支部長は先生ですよ」

「嫌よ、これ以上仕事が増える立場なんて。私は今のポジションで十分」

「先生らしいですね。それでは、また」

「えぇ、今度は本隊合流時に会えるといいわね」

「そうなるように祈ってます」


 うやうやしく礼をした鈴音は、背を向けて元来た道を引き返して行く。あっという間に見えなくなったその後ろ姿に、菫はようやく一息をついた。


「ほんと、強かな子」


 そう呟きながら、ポケットから端末を取り出す。電源が入ったままの端末の画面上には、何やらリストのような物が表示されていた。


本隊合流候補・・リスト』


 そのリストには、有力な候補生の名が連なっており、彼女達の詳細な能力などが確認出来るようになっている。

 そのリストをスクロールし、一番最後まで到達する。その中に、鈴音の名前は無かった。


「無駄足だったわね、鈴音さん」


 休憩スペースの空気に溶けていった呟きはどういう意味だったのか。後日、誰しもがその言葉の意味を理解する事になる。

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