第三十五話 イヤだから
俺達は城に向かって走っていた。……が、正直、女帝にやられた傷が痛んでしょうがない。
「はぁ……はぁ……」
「……ショウさん、傷口を見せてください」
ガーベラさんは足を止め、俺に話しかける。俺もつられて立ち止まり、ガーベラさんに応えた。
「え……は、はい……」
「これは……少し深いですね。気休めですが……〈治癒〉」
ガーベラさんは俺の傷口辺りに手をかざし、呪文を詠唱する。
すると、みるみる内に傷口は浅くなり、痛みも和らいでいった。完治ではないが、気持ち的には大分楽になる。
「うおぉ……ありがとうございます!」
「すいません、この程度しか出来ず……」
「いやいや、十分ですって!」
「そうですか、なら良かったですけど……」
ガーベラさんは、柔らかく微笑んだ。
「それより、急がないと……!」
「そうですね……嗚呼、主よ、どうか私達の王をお守りください……!」
手を組み、空を仰ぐガーベラさん。祈りが終わると、二人は再び走り出した。
◇◇◇
城まで辿り着くと屈強な王の城の門番達が、そこら中に倒れていた。あるものは黒焦げで、あるものは凍りづけだ。とても人間がやったものだとは思えない。
「これは……」
「なんて酷いことを……」
俺達が戦慄していると、最上階の窓が割れ、電気が迸った。
更には、剣撃の音まで響いている。
「! 戦ってる!」
「あっ、ショウさん!」
俺は急いで最上階を目指し、ガーベラさんは後を追う。
そして、最上階で俺達を待っていたのは、衝撃的な光景だった。
「……!」
「が……ぁ……っ」
「く……っ……」
「ヴェルガ様!? ジン様!?」
先日別れたばかりのヴェルガとジンが、血塗れで倒れていたのだ。奥には、女帝の部下である初老の執事と、金髪のお姉さんメイドが王を追い詰めていた。
「……し、シスター……?」
「お前ら……なんで……」
「……貴様等? 何故ここにいる? 陛下が取り逃がしたとでもいうのか?」
女帝の執事が、ほんの少しだけ首をかしげる。ヴェルガ達と戦ったはずなのに、傷ひとつ付いていなかった。
「もーひとりの子と戦ってんでしょ。チラッと見ただけだけど、あの子の魔力ハンパなかったもん」
「なに……では念のため、早く終わらせて戻るとしよう」
そう言うと、王の方へと向き直る。まるで、俺達の事はどうでも良いというように。
「や、止めろ! 助けてくれぇっ! 頼むっ!」
王は青ざめ、涙目で許しを乞う。それは一国の王とは思えぬ情けない姿だった。だがそれでも、助けなくてはならない。
人の命をなんとも思わない奴らを、放っておくわけにはいかないから。
この町の人達を傷つけた奴らを、許すわけにはいかないから。
「安心してください。まだ殺しはしません。……おい、やれ」
執事はメイドに目配せをする。
「はいはい。ってか、指図しないでよ──」
「──待てよ! 俺を無視すんじゃねぇっ!!」
「……」
俺が眼中にないといった態度にちょっとイラっとし、叫んだ。だが、それもまた聞こえていないかのように無視される。
「っ……無視すんなって言ってんだろーがっ!」
「……ダメ」
痺れを切らして飛び出した俺を止めたのは、黒髪の奴隷少女。宝石のように輝く黄昏色の瞳が、俺を強く見つめていた。
「! ……どけっ!」
「ダメだよ。ボクたちの邪魔しちゃ」
「そーいうわけにはいかねぇんだよ!」
無表情で語りかける少女と、激昂しながら叫ぶ俺。それは全くもって対照的だった。
だがそれでも、俺には冷静さは残っている。この自分と同い年位の少女は、きっと奴隷となったから仕方なく、不本意ながらも女帝達の側に居るだけ。そう考えると、斬り捨てて通ることはできなかった。
「でも……死んじゃうよ?」
「……!」
ポツリと、言った。
無表情だが、その言葉は本気で言っていることがわかる。
そして、彼女の瞳を見ていると何故か、死のイメージがこれ以上ないほどくっきりと浮かんできた。
……俺は、急にどうしようもない恐怖心にかられ──
「っ……うるせぇぇぇっ!」
──剣を少女に向かって薙いでしまった。
「……」
……だが、俺の剣は少女の首の一センチ前で止まる。
手が震えていた。なんでだ。なんで──
「……なんで、避けないんだよ……?」
彼女は瞬きすらせず、その場に立ち尽くしている。何事もなかったかのように。
俺の心は、数秒前とは別の恐怖に支配されていた。死への恐怖ではなく、死を恐れない彼女への恐怖に、だ。
「だって、ボクを殺す気無かったでしょ?」
「な……っ!」
少女は変わらぬ表情のまま、核心をついてくる。
……確かに、そうかもしれない。俺は本気で剣を振るってはいなかった。否、振るえなかった。
いや、だとしてもおかしい。彼女に恐怖というものはないのか? それとも、死ぬことが恐くないのか? 今だって、王は死の恐怖で怯えているというのに──
「……ぁ」
──と、ここでやっと俺は、王を助けるという目的を思い出した。
「っ……どけ!」
「わ」
俺は少女の肩を掴み、横にどかした。少女の口からは小さな驚きの声が漏れる。
「お前ら、王から離れろ!」
「……」
だが、返事が返ってくることはない。
「そーかよ、とことん無視か。だったらこっちから行くぞ──」
「──ダメだってば」
剣を構え突撃──しようとした体が、止まった。
「っ……!?」
目線を落とすと、無数の黒い触手が俺の体に絡み付いていた。ぬるっとした、気持ち悪い感触だ。
「なんだよ……これ……!?」
「【ジギー】だよ」
少女は即答する。どうやらこの触手は彼女の背中辺りから出てきているらしい。
ジギーとはなんなのか、魔法の名前なのだろうか。だが、そんなことを考えている暇はなかった。
「くっ……うぉぉ……っ!」
「無理だよ」
俺は触手を引きちぎろうと全力で体を動かす。が、ビクともしない。
「っ……くそ……」
「ごめんね。でも、キミを通しちゃったらボク、またお仕置きされちゃうから」
「……お仕置き?」
無機質な、その言葉に俺は反応してしまった。
「ムチで叩かれたり、電気を浴びせられたりするやつの事だよ」
「……!」
少女はさも当たり前というように呟く。実際、彼女にとっては当たり前の事なんだろう。
そして、そんな少女の言葉を聞いて、俺は──
「……っ」
──つい、力を緩めてしまった。
「……優しいんだね」
「……」
無感情な彼女の言葉は、心からの言葉には思えない。だが、偽っているようにも思えなかった。
「……でも、ボクの事は正直どうでもいいんだ」
「え……?」
声のトーンが少し変わった気がする。なんとなく、心をほんの少し開いたような、そんな声。
少女は俺の耳元に顔を近づけて、続きを囁いた。
「──キミに死んでほしくない。もう、誰かが目の前で死ぬのはイヤだから」
「……!」
──瞬間、ザクッ! という音が響き、触手が切断された。
「あれ?」
不思議そうな声をあげ、少女は少しだけ目を見開く。
少女と俺の間に入り触手を断ち切ったのは、蒼い髪をなびかせたこの国の第四王子──ヴェルガだった。
「ヴェルガさん!」
解放された俺は、少し前のめりによろめきながら、彼の名前を叫んだ。
ガーベラさんの治療が終わったのだろう。だとすれば、ジンも──
「──ぅおぉぉぉあぁっ!」
ここで俺は、しまったと思った。
気づいたときには、ジンは奴隷少女を後ろから貫こうと槍を構えていたのだ。それも当然、この少女は王を狙う敵である。
だが、俺にはどうしてもこの娘は敵とは思えない。
「ま──」
──「待て」というより早く、ジンの槍は少女の胸辺りを貫き、そこから血が勢いよく溢れ出した。
「ぁ」
少女のか細い、小さな小さな声が──漏れた。