生殺与奪の女
「被告人。意見を述べなさい」
あたしは前に進み出た。
すう。息を吸う。
(大丈夫。正義は我にある)
「あたしは上りエレベーターに乗っていました。そうしたら人が、上から降ってきたんです」
ふ、と上を見たら、まさに人が上から降ってくる処だった。
きっと、脚を滑らせたか何かして、バランスを崩したのだ。
「あたしは咄嗟に”巻き込まれたら死ぬ!”と思いました。だから避けました」
あたしが避けた結果、何度もエスカレーターのステップにぶつかった。降ってきた人は、下までノンストップだった。検視の結果、首の骨を折って死亡した。
「貴女が避けたのを見て、貴女より下の方達も皆、避けたんですよ……! 貴女に良心は無いのかっ」
検察官が言う。
(でも、それってそんなに悪い事?)
「巻き添えにならなかったから、死者が一人で済んだのではないですか? それに、上から何十キロもの人が落ちてくるんです。受け止めた方だって、無事では済みませんよね」
あたしが言ったら、検察官が言葉に詰まる。
「それに」
あたしは検察官を見て、裁判官を見て、陪審員たちをゆっくりと眺めまわした。
「そんな状況になった時に咄嗟に受け止める人が、この中にどれだけいらっしゃるんですか?」
皆、一様にあたしから目を逸らして。
ざわざわざわ。
部屋の中にひそひそ声がさざ波のように広がった。
「静粛に!」
裁判長が室内を嗜めると、水を打ったように静寂になった。
裁判官が陪審員たちに採決を委ね、陪審員たちは慌ただしく部屋を後にした。
数十分後、協議して戻ってきた陪審員たちの採決の結果、あたしは無罪となった。
(当然よ)
電車のつり革が空いてるにもかからわず、掴まらずにスマホに夢中の奴。いきなりの電車の揺れに躰が傾しいでも、あたしが支えてあげる義理はない。
結果、将棋倒しの下敷きになったって自己責任じゃない?
エスカレーターから降ってきた人だってそう。
アンタが落ちれば、下の人が大迷惑なんだよ。
あたしだって、そんな事になったら一人で落ちたい。
だって、あたしが助かって、あたしを受け止めてくれた人が死んじゃった日にはどうするよ。
だったら、あたしは一人で死にたい。
その方が、人を巻き込むより何十倍もマシだから。
◇□◇◇□◇◇□◇◇□◇
(まただよ)
あたしはうんざりした。
どうしてあたしの上から人が降ってくるの。
また、避けようとした。が。
あたしはあるマークを見てしまった。
(妊婦マーク!)
数か月前、あたしがエスカレーターで脚を滑らせてなければ、あたしもまだ、あのマークを付けている筈だった。
(あたしが脚を踏み外さなければ)
あたしを庇ってくれた夫も、お腹に居た子も天国に行く事はなかったのに。
考えるまでもなかった。
咄嗟に、あたしは躰を張って、上から落ちてきた人を受け止めた。
やっぱり衝撃と重さをあたしは受け止めきれなくて、そのまま、仰向けに躰がのけぞる。
(離さないから、絶対に)
だから、貴女は立派な赤ちゃんを産んで。
「……という、人を殺しもし、また助けた女なんですが。閻魔大王の妻さま。この女にはどの地獄がふさわしいでしょうか」
三途の川の渡し守である牛頭鬼、馬頭鬼が、女の罪状を奪衣婆に問うた。
罪の重さで辿り着く地獄が違う。
その地獄にはそれぞれ閻魔大王が居て、罪状を言い渡す。
奇妙なことに、閻魔大王はそれでも、たった一人だ。
「そうねえ」
奪衣婆は女から剥ぎ取った衣を見て、思案した。
彼女が死者から奪った衣は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。
彼女の罪の重さは、妻の胸先三寸。




