吸い尽くされた男
(奴らが来るッ)
だけど、俺は滅殺することが出来ない。
ぷぅ~ん……
独特の羽音が耳元を掠める。
ばっ!!
乱暴に手で振り払う。
ぴたっ
音が止まったので、ここぞと自分の顔を張り飛ばしてみた。やがて反対側の耳元からぷぅ~ん、と羽音が響いた。
(奴は、無事だったのか!)
それが意味する事はただ一つ。また、奴による略奪が始まるのだ。
痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒いっ猛烈に痒さが襲ってきた。
(なんでっ吸うに事欠いて、こんな処を?!)
まだふぐりの方がいいような気がする。
「よりによって踵なんて、掻いても掻いても満足出来ない処をッ!!」
痒さが納まるまで、眠れない。
掻けば掻く程痒くなる。
男は連日、たった一匹の蚊に悩まされて、深刻な睡眠不足に陥っていた。
仕事でもミスを連発していた。
気管支が弱かったから蚊取り線香だと、喉が弱くなってしまう。
無臭タイプの殺虫剤は明日買ってくるにしても、さしあたりは今日をどう乗り切るか、だ。
苛々した。
「あああっ、たくっ! この羽音と痒ささえなければ、いくらでも吸われてやるってのにッ」
男が言い捨てた途端、ざわりとと部屋の空気が蠢いた。
諦めて目を瞑った男に、それは近づいていく。
やがて黒いカスミのような影が男を覆った、と見るや。
「っ!!」
無数の羽音が、男の悲鳴さえも呑み込んでいく。
翌朝。
体液を全て吸い取られていた男の死体が、寝床に転がっていた。
彼の体には、無数の蚊に食われた跡が残るばかりだった。