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人類図鑑  作者: 飛島 明
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獣の男

 彼は一流商社の、トップ成績を誇る営業マンだ。

 英語は勿論、フランス語やドイツ語やイタリア語も堪能。勿論、容姿端麗だ。


 均整のとれた長身を、上質の衣服や装身具に、さりげなく身を包む。見る人が見れば充分に金のかかったものでありながら嫌味に感じさせない。



 ねぐらは都内の一等地にある、こじんまりとした120㎡の1LDKのマンション。しばしば友人や取引先を招待しては、プロはだしの料理を振舞うのも趣味の一つ。


 香道は師匠の代稽古を任されるほどだ。

 趣味のヨットや、ハワイにコンドミニアム。山登りをする為、黒姫に別荘を友人と共同で購入もしている。

 競走馬を何人かと共同で所有しているが、馬術で汗を流すほうが楽しい。


 会長のお伴をして出逢った謡曲に奥深さを感じ、社長夫人につきあって歌舞伎を楽しむこともある。


 彼のマンションは夜景がすばらしい。朝には東京湾一望だ。

 招かれた女性は、優越感にひたれるという。男らしいシンプルなセンスに整えられた室内。ほのかに焚かれた香。夜の艶めいた男の、エグゼクティブな雰囲気に酔う。


 朝には彼が、ベッドの中にフルーツやシャンペンを運んでくれる。優しい手で抱き寄せられると、世界中は二人のもの、という気分になってくる。


 スキーも居合も裁縫も、彼は苦手、というものがないようだ。

 ワインについて、いきつけのレストランのソムリエと意見を戦わすのも娯楽の一つ。

 ソムリエ氏も彼との会話が刺激になるようだ。


 朝、ジョギングを済ますと、ゆったりとシャワーを浴びる。オーデコロンの香をまとってから、街乗り用の外車で出勤する。


 彼は薀蓄を語らない。

 プライベートでもオフィシャルでも、「聞き上手な人だ」とよく言われる。

 ここぞ、という時はウイットに富んだ一言。ジョークも、鋭い反論もいうけれど、相談を持ち掛けてくる友人を拒まない。


 彼への誉め言葉は、もううんざりするほどだ。


「知的でセクシー」


「一度でいいから食べられたい」


「敵に廻したら怖い男」


「一番大事な友人」


「あんなに有能なのに敵がいない」



 そして……、そして「臭い」と。


 毛深い訳でもない。

 運動した後の汗がくさい訳でもない。

 脇や男性部が臭う訳でもない。


 だが、匂うのだ。

 漁村のような。

 道端の何週間も、何年も入浴したことのない人間のような。

 不幸なことに(幸運なことか)、彼は自分の体臭には麻痺していた。


 医者も首をひねった。

『臭腺の異常発達ではないか』と。

 興奮して、ホルモンバランスが崩れて匂う訳でもない。


 幼い頃、母は臭いに耐えかね、彼をスイスの全寮制の学校へ入れた。

 その時はまだよかった。

 体臭の強い、と言われる欧米人にすら「臭う」といわれた彼。体力と優秀なことと、金と権力にモノを言わせ、彼らを黙らせることが出来たのだから。


 困惑したのは受験の為、帰国した高校の頃であった。


 バスに乗れば、電車に乗れば、皆キョロキョロする。やがて、なにかを確信すると顔をそむける。彼から身を隔てようとする。

 男はバスや電車に乗らなくなった。


 香道にのめり込み始めたのもこの頃からだ。

 彼は大学入学と同時に一人暮らしを始め、大学には自転車で10kmの道のりを走った。

 商学部にいた彼は、他学部の講義も受ける他、運動部にも身をおいた。

 シャワーが浴びれるからだ。


 彼はなみだぐましい努力をした。

 カテキンが体内臭にきくといえば、そればかり飲んだ。

 にんにくは無臭にんにくしか食さないようにした。

 それでも消えなかった。


 彼の能力ならば、理数系や工学系を専攻しても問題なかった。

 実際、自分の体臭を消す研究をやりたかった。


 しかし。

『一定の場所に一定の時間、自分はいられないのだ』

 と、仲間の彼を獣でも見るような目付から、悟らざるを得なかった。


 彼は席を暖める間もない、世界を股にかける職業を選んだ。

 オフィスにいるときはこまめにジムに顔をだし、シャワーを浴びた。

 さりげなく、スーツを何回も変えた。


 女に不自由はなかった。

 ただ、長続きはしなかった。


 ホテルへは連れ込まなかった。

 彼の自宅は最新式の空調が整っていたからだ。


 恋人は皆、彼との生活を望んだ。

 彼も喜んで、恋人と暮らし始めた。


 彼と生活をともにすると、数週間後には去ってしまうのであった。

 自分の体臭がわからない彼には、彼女達を引き止めるすべはなかった。


 どんなホテルのスイートより素晴らしく、彼は自宅を整えた。

 勿論、体臭の強い男が好き、という女性もいなくはなかった。

 しかし、彼にも好みはあった。


 男からも彼はもてた。

 だが、長い寮生活で、男の中で辛酸を嘗め尽くしていた。彼にとって男とは、ライバルであって恋の対象にはみれなかったのだ。


 彼は寂しかった。

 彼は彼の愛を誰かに捧げたかった。



 そして彼は今夜も恋の狩人、獣と化していくのであった。


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