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 001 いつか


 思い出というのはほろ苦く、きゅっと胸を締め付けてきて、少しだけ美化されて記憶に残っている。


 実際の所は少しと言うよりも、記憶の改変と言った方が正確な場合もあるけれど、大概の場合そんなところであると思うし、そうであって欲しいと願いたい。


 あえて僕の事を話すなら、例外もなく、想定外でもなく、予定調和に以下同文で、だいぶ記憶も霞み架かってしまったのだけれど、そんな思い出と言うものが当然のようにあったりするわけである。


 ここは自分が本来いるべき場所ではない。


 いつか、ここを飛び立つ日まで、少しの間、羽根を休ませているだけだ。


 本気を出せば、僕はもっと高く飛べるのだ。


 そんな事を恥ずかしながら思っていた。


 恥ずかしい。


 そう、恥ずかしい話であって、人にべらべらと話す事でもないのだけれども、そんな話だからこそ、人というのは誰かに話してみたくなるものかも知れないなどと思ったりしないわけでもなく、僕はどちらかと言えばそう言う種類の人間であると思う。


 だからと言って僕は奇声を上げながら街中を走り回る趣味や、ネットに自分が書いたポエムやや小説を流出させると言った自意識過剰な精神の持ち主ではなく、いい加減にいい歳になった僕が惜しげもなく晒す事ができるのは、せいぜい昔の甘酸っぱくてほろ苦い、極々普通の誰しもが経験してきた様な事ぐらいなのであった。

 

 正確に言うならば、高校を卒業した僕が入社する事になった会社は印刷会社ではなかった。


 今では全てデジタル化されて、パソコンで作られた印刷データをそのまま直接板に焼き付けているのだけれども(いわゆるDTP)、フォトショップやらイラストレーターという三種の神器が普及する以前は、全てカッターとセロテープで行われていたと言っても過言ではないアナログ作業・製版を行う製版会社であった。


 印刷会社を営業さんが周り、そこから発注された仕事を受けて、製版し印刷会社に納入するという仕事をしていた。


 職人技である。


 そして職人がいる。


 そして僕も何をしているか理解できなかった。


 理解できていないのだから、説明するのは難しい。


 クラス会などで旧友に、


 「なんの仕事をしているの?」


 などと聞かれても、説明のしようがないので言葉に困るので、とりあえず


 「印刷関係」


 と答えておくのが無難であった。



 「てめぇ、邪魔だだから俺の周りをウロチョロするんじゃねぇ」


 そう、職人さんに僕が怒鳴られたのは入社二日目の事だった。


 職人さんは、僕のような社員とは雇用体系が違う。


 一つの仕事で幾らと言う個人事業主であった。


 だから右も左も解らないような新入社員を仕事の邪魔だからと毛嫌いしていた。


 当然である。


 やればやるだけお金になるのだから、その反面、作業が押せばその分利益が少なくなるのである。


 腕が良くて、仕事があれば月に八十万くらい稼げるそうだから、お金を貯めて独立し、自分の会社を持つ人も多かったという。


 しかし、当時はまだ若く血気盛んであり、いつやめたって構わないと思っていたわたしであったから、入社二日目の人間に対する態度に憤慨もしたのだけれど、そこは一番下っ端であると言う事もあり、気持ちを抑える事にしたのだが、なにせ高校時代にはアルバイトなどもいっさいした事はなく、勤労意欲も薄かったので、早い出勤時間の為に仕事途中で居眠りする事が多発した大物であった。


 当初配属されたデスクワークの仕事から、面接の時の工場見学で、ここだけは嫌だと思った色校正課に転属になったのは三ヶ月目の事だった。

 

 校正という言葉は聞いた事があると思う。


 文字の間違いや、意味不明な部分を修正する作業。


 それを色調で行うのが色校正である。


 写真の色調が印刷した時に、オリジナルの色調と同じく表現されているかどうか実際の印刷と同じ紙に印刷してみるのである。


 つい最近、報道では印刷と言っていたけれど、正確には胆管癌で有名になったのが色校正である。


 そんな危険な有機溶剤の臭いと、機械の熱が立ち上る劣悪な環境。


 空調とか無かったし。


 空気清浄機とか無かったし。


 胆管癌になった人と、ならなかった自分にどれだけの差があるのか解らないのでちょっと怖い。


 そんな職場が色校正課だった。


 最初の難関は一日中立っているという事だった。


 休憩以外は基本的に立ち仕事であるから、終わるまで立ち続ける事になる。


 慣れない人は足首が鬱血してきてドス黒くなったりするのだけれど、僕はそんなことになることはなく、二徹すると、人は立ったままでも寝る事ができる様になると知った。


 睡眠不足になると時間の流れ方が変わってくる。


 世界がゆっくりと動いていて水の中を泳いでいるようであった。


 有機溶剤の臭いも、自分は問題なかったが、苦手な人は色校正室に入ると吐いてしまうくらい駄目らしい。


 ちなみに臭いは自分自身では解らないのだけど、検問で警察官に止められた時、


 「シンナーの臭いがするけど、あなた、シンナーやってる?」


 と聞かれた事があるくらい臭うらしい。


 「仕事で有機溶剤を使っているんですけど……」


 「お仕事はなんですか?」


 「印刷関係です」


 「ああ、そうですか」


 納得された!!


 

 そんな月の残業が百五十時間を越えるような職場を辞めることなく最期に日まで働く事になったのは、津村さんという上司がいたからだった。


 僕より5つ年上の、当時は23歳だった。


 「良く来てくれたね杉岡ちゃん、頑張ってれば、きっといつか良い事あるから」


 そう言いながら配属初日に僕の肩をばんばん叩いたあと、仕事終わりにピンサロへ連れて行ってくれたのは今となっては良い思い出である。


 「どうだった杉岡ちゃん。いっぱいナメナメしてもらたかい」


 「え、ナメナメしたのは僕ですけど」


 「杉岡ちゃん、ああいう所はやってもらう場所であって、こっちはしなくて良いんだよ。ピンサロでナメナメしたなんて初めて聞いたよ」


 津村さんはそう言って笑う。


 親兄弟、女房子供より一緒にいる時間が多いと言う日々が始まった瞬間だった。




 山田さんの歓迎会は続く。


 「有機溶剤ってヤバイですよ。ウチの会社の人って髪の毛薄い人が多いじゃないですか。きっと有機溶剤のせいですよ」


 小久保君はそう言って笑う。


 「俺は全然何ともないし、フサフサだし」


 「でも、健康診断で肝臓の数値悪いじゃないですか。杉岡さんってお酒なんかほとんど飲まないでしょ?」


 僕が酒を飲むのは会社の行事、忘年会くらいで、自宅ではごくたまに缶ビールを一缶飲む程度であるから、小久保君の言う通り、肝臓の数値があまり良くないのは気になるところであった。


 「そう言えば同じ課の杉浦さん、いきなり膵臓が機能停止して倒れて、糖尿病になっちゃったりしてましたけど気を付けて下さいね」


 山田さんが言う。


 「あれは夜勤のやりすぎだよ。二年くらい昼夜逆転の生活してたから」


 原因は不明らしい。


 とりあえず、その事があって夜勤は現在中止されている。


 「でも、印刷に人たちってみんな若く見えますよね。杉岡さん以外」


 「僕は老けているのかよ」


 「年相応ですよ。他の人たちは十歳は若く見えますけど」


 「それはきっと毎日毎日、昨日が今日なのか、今日が昨日なのか解らないような生活をしているから、時間の流れが気にならなくなって、十年前も二十年前も今日と昨日とあんまり変わらないから、時間の流れがゆっくりになっているんだよ」


 僕がそう言うと、小久保君が続く。


 「山田さんもいつかそうなるんだよ」


 「嫌です」


 山田さんはそう言って笑った。

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