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プロローグ

 

 「野球できる?」


 「は? 自分は野球はできませんよ。僕らの世代はサッカーか、バスケが主流でしたから。キャプテン翼か、スラムダンクの世代です」


 なぜ野球の話なのだろう。


 そんな事を僕は考えていた。


 たしか自分は就職のために面接に来ているはずで、自分に野球ができるかと尋ねてきた五十代くらいの面接官は、この会社の常務という重役であるそうなのだが、ずっと野球の話をしている。


 「そう言う時代かぁ。俺らの頃は野球くらいしか無くてね。でも、サッカーかバスケできるんなら、野球だってできるだろう?ウチの会社には草野球チームがあってね。組合の大会とかにも出ているんだよね」


 もともと就職する気など全くなかった僕は、面接官の印象など気にせずに答えていた。


 「いえ、キャッチボールとかもやった事ありませんし、できませんよ」


 そもそもこの会社は、何をしている会社であるかと言う事も全く把握していないし。


 そんな状況で仕事の説明や、社内の見学をする前に野球の話をしてくるお偉いさんというのもどうかと思う。


 中二階になっている応接室からガラス越しに会社の中を見渡せるのだけども、どう見ても工場であった。


 華も恥じらう高校卒業を目前に控えた十八歳である僕 杉岡龍治にもそれなりに夢はあった。


 市内で下から二番目と言うランクの公立高校と言う時点で、いろいろこの先不都合で不利な状況というのは自分自身でも予測する事はできて、それでなおかつ進学しないという事になればもはや社会の歯車になれるかどうかという立ち位置ギリギリの状況であるのだけれど、まだまだなんとかなるんじゃないかと甘い夢をみるのも、この先に送る人生を考えてみれば仕方ないというか、勘弁して欲しいと願わずにいられない。


 どう見ても工場の広さに対して足りてない蛍光灯の灯りが、無言でそれぞれ作業をしている従業員達の顔色を不健康そうに照らしている。


 ここは僕がいる場所ではない。


 そう僕は思わずにいられなかった。


 自分は何故こんな所で野球の話を聞かされなければならないのかと思いつつ、朝にかかってきて、全ての始まりとなった電話の事を思い出していた。


 

 それは僕が暮らす北国でも、年に数回しかない大吹雪の日だった。


 前の夜から降り始めた雪の為に交通網は麻痺し、テレビのニュースでは交通機関の混乱ぶりを朝から何度も繰り返していた。


 高校の卒業を目前に控え、すでに試験休みに入っていた僕にとっては、特に外出する用事もないので、気にもならない話だったが、何度も繰り返して同じ映像を見せられていると眠たくなってくる。


 そのままいっその事、いま入ってくるコタツで寝てしまおうかと思っていると、電話が鳴る音が響いた。


 まだ携帯はおろか、ポケベルさえ普及していなかった頃であるから、固定電話がまだまだ主流の時代である。


 母親が電話に出ると、急に普段とは違う畏まった話し方になり、僕の名前を呼んだ。


 「学校の先生から電話だよ」


 僕は何の用か全く解らなかった。


 僕はクラスでも全く目立たない存在感のない生徒だった。


 成績は普通で、素行も普通である。


 もしかしたら、担任は自分の名前を知らないんじゃないかと思うくらい、ほとんど担任と会話した事もないのだから、僕が不思議に思うのは無理もない事だった。


 「おまえ、就職どうするんだ。卒業後の進路が決まってないのは、ウチのクラスでお前だけなんだが」


 電話に出ると担任は少し苛ついている口調でそう言ってきたので、僕はその話かと納得した。


 金銭的な問題で、高一の時に進学を諦めて以来、就職しか選択の余地は無かったので、公務員試験とか、民間企業の面接を一度受けただけで、全てに落ちてから何もしてこなかったのでどうするんだと聞かれても返事に困る。


 そもそもどうしようかなどと考えていなかったのだから。


 「卒業してから考えようかなと思ってますけど?」


 とりあえず、思いついた適当な事をそう言うと、受話器の向こうからため息が聞こえた。


 僕は高校入学と共に、進学の道が閉ざされた事で、内面的には酷く捻くれていた。


 親を恨んでいたと言って良い。


 子供の進路に選択肢を持たせる事ができないなら、子供など作るなと考えていたりもした。


 そんな過程に嫌気も差し、高校を卒業したら、アルバイトでもして金を貯めて世界一周の旅にでも出ようかと密かに企んでいた程だった。


 そのころ時代はまだバブル景気の真っ最中であり、待遇と給料さえ気にしなければ高卒であろうとなんだろうと、いくらでも求人があった時代である。


 担任としてはそんな時代の流れの中で就職が決まらないまま卒業する教え子が出ると、自分の面子と評価に関わるかも知れないと思うのは当然であるように今なら思えるが、何はともなくとも僕は自分自身というものが解っていない小僧であったのだから知った事ではなかったのである。


 「ちょっとお前、学校に来い。ある会社から求人が来ていて、すでに他のクラスの生徒が一人採用されたんだけど、ちょうどそこの会社はまだまだ人手が足りないらしくて、もっと採用したいと言っている、だからお前、とりあえず話を聞きに来い」


 ありがた迷惑だった。


 「外は猛吹雪ですが……」


 なんとかうやむやにしようと僕は思うのだが、そこはそれまでに何度も生徒を卒業させてきたベテランの教師であった。


 「いいから、早く来い」

 


 仕方なく、卒業式まで着る予定の無かった制服、そしてその上に防寒ジャンバーを着込むと外に出た。


 気温は氷点下だったが、いつのまにか雪と風は止み、ついさっきまで灰色の雲に覆われていた空には雲の隙間から青空が見える。


 遅れに遅れているバスに乗り、通っている高校を目指す。


 街の外れの今は雪が積もっているタマネギ畑に囲まれて、校舎はポツンと建っている。


 猛吹雪で視界不良の中、バス停からたった百メートルをやっとの思いで校舎に入り、一年生と二年生は授業中の為に静まりかえった校舎の中を、ただ一人で進路指導室を目指した。


 「どうすんの?これから?」


 進路指導室に入るなり、僕の顔を見た担任が渋い顔をしてそう言った。


 思い出したが、担任は就職担当の教師でもあった。


 正直に言えば、就職する気などサラサラ無く、親に寄生してしばらくは過ごそうと思っていたので、僕はニートという言葉はまだ無かったので、フリーターを目指していたのだけども、担任の様子を見れば、そんな事を口にできる空気ではなかった。


 「……ここに面接へ行ってこい。向こうはいくらでも雇いたいそうだ」


 担任はそう言って一枚の求人票を出した。


 「待遇とか、給料とか、何をしている会社なのか全く聞いていないんですが」

 何の情報もなく面接へ行ってこいと言う担任が信じられなくて驚きながらも龍治は聞き返した。


 「待遇はその求人票に書いてある。仕事内容は印刷物を作っているらしい」


 「……らしい?」


 与えられた情報はそれだけであった。


 しかも。あやふやであった。


 受かる来もなければ、落ちる気しかしなかった僕は、担任のメンツのために面接を受ける事を渋々承諾したのであった。




 そして冒頭である。


 野球の話ばかりである。


 簡単に工場の中を案内されたのだけれども、何をしているのかさっぱり理解不能だった。


 「おっと、もう夕方の六時か……。じゃあ、面接はこれくらいで終わろうか」


 「はぁ……」


 結果の報告はいつにするとか、どこにするとか全くないので僕は聞いてみた。


 「その面接の結果の連絡なんですけど……」


 「あぁ、うちはもうOKだよ。あとは、君の気持ち次第だから」


 そう、笑顔で言われたのだった。


 「それが、俺がこの印刷業界に入るきっかけさ。君の気持ち次第だと言われて、結構ですと言えるほど、僕はハートが強くなかったんだよ。まぁ、ここは自分が本来いるべき場所じゃなくて、いつか羽ばたくまで羽根を休める場所だと思う事にしたんだよ。すっかりハマっちゃったけどね」


 新入社員歓迎会で、新人の山田さんに印刷業界に入った経緯を聞かれた僕はそう答えた。


 新入社員歓迎会と言っても、今年新卒で入社してきたのは山田さんだけだったので、彼女のための歓迎会を僕がいる部署で開いたのである。


 「面接で野球の話しかしないって、だから潰れたんじゃないんですか?」


 山田さんの言う通り、高校卒業と共に勤めた会社は、バブルの終焉と共に業績が悪化して入社して、入社から7年後に倒産してしまった。


 その後に入ったのが今の印刷会社である。


 「俺なんかまだ良いよ。先輩には面接中に学生時代にピッチャーの経験があるって言ったら、帰り際にユニフォームを渡されて、次の日の朝四時から試合があるからって言われた人がいたよ。正社員になるより、野球部の正ピッチャーになる方が先にだったという。練習量はプロ野球選手より多かったんじゃないかって言ってた」


 「どこを目指していたんですかね」


  山田さんは手を叩いて笑う。


 高校を卒業後、デザイン系の専門学校を経て山田さんは入社してきた。在学中からの試用期間も終えて、四月からは正社員となった。


 試用期間中の扱いはアルバイトであったのだが、時給で給料が支払われていたのだが、正社員になると固定給になったせいで、手取りが激減すると言う。


 ちなみにブラックなので残業代、休日出勤代は当然のように出ない。


 「残業代を払う会社は潰れる」


 今の会社に入社した時、社長から直々にいただいたお言葉であった。


 山田さんは自分の娘でもおかしくない年齢の彼女だが、実の娘であったなら、印刷業界への就職などは親として絶対に赦さないだろうと思う。


 「僕も同じですよ。ちょうど就職氷河期で、専門学校の卒業を目前に控えて、同級生は派遣会社に登録されると、とりあえず就職先決定という事になっていましたからね。就職率98パーセントのマジックです。そんな中で僕だけ決まって無くて先生に職員室へ呼ばれて、求人情報誌を渡されて、この中からどこでも良いから選べ、ここから電話しろと言われました。それで仕方なく電話した先がすぐに面接をしてくれたんだけど、年末の二十九日にとりあえず試用期間として採用しますので、明日から出てこれますか?って言われましたよ。年末ですよ?ちょうど田舎の実家に里帰りしていたので、明日は無理ですって言ったら一月四日から来て下さいって言われましたけど」


 そう言ったのは主任の小久保君であった。


 彼は僕の後輩であり、主任という役職を持つ上司でもある。


 「その会社も正社員になる前、その年の七月に倒産するんですけどね」


 その当時の事を思い出しながら小久保君は言った。 


 「その時に、杉岡さんのいるこの会社の社長に声をかけられて、倒産した次の日からここで働く事になったんだんだよ」


 小久保君の話に笑いながら山田さんは言う。


 「二人とも、波瀾万丈ですね」


 僕と小久保君は声を揃えて言う。


 「山田さんのこの先の人生じゃない」


 山田さんは顔をしかめて言った。


 「嫌です」

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