3/急 - 下
前書き:この作品は「オチなし」「ストーリーなし」の作品です。ただ、文字が羅列してあるだけです
車に乗って、しばらく走っているけど…………全然、着く気配がない。実はこのまま「墓場」に連れて行かれるんじゃなかろうか。そんなあり得ないことを考えつつも、時計を眺めると、時間は一九時三〇分って書かれている。あぁ、つまり、夜七時半ね。えーっと、待ち合わせが六時半で……そこから少ししてから車に乗ったから……まぁ、大体四〇分ぐらいこうしていることになるワケで。お尻が痛いワケで。
横目でセンセイを見ると、うわ、ちょっと機嫌いいみたい。微笑しながら車を運転している。センセイは、待ち合わせのときに着ていた私服とは違って、スーツを着ている。車に乗る前に、着替えに行っていたのを思い出す。うん? もしかして正装が必要なレストランとかじゃないよね? ……私、何も持ってきてないんだけど。
そわそわする私を見たのか、センセイが「あぁ」とわざとらしく、思い出したかのように言う。
「別に問題はないぞ。少し値は張るが、そこまで改まった場所ではない。普通の、ホテルの最終階にあるレストランだ」
ほぇええええ。ホテルの最上階とか滅茶苦茶いいところじゃないですかー。そんなイメージが私のなかにはある。緊張するなぁ。なんか、意味もなく高級な場所、っていうかいつも行かない高いところとか行くと緊張するのは私だけかな。何はともあれ、このままの服装でも問題ないのならそれに越したことはないな、と私は安堵する。
ん? それならセンセイはどうしてさっきまでの私服じゃなくて、スーツに着替えているんだろう。私の他に別のひとでもくるのかな……?
「いや、私とスミレのふたりきりだ。広いレストランに、テーブルがいくつかあって、そのなかの窓際の夜景の見える場所だ」
「ほほぅ。ロマンチックが止まらない場所ですね!」
定番の場所を選んできましたね、センセイ。普通なら、恋人同士とかで行くようなスポットですよ。ええ。
「まさか。今回ドタキャンしたのは学生時代の知り合いで、同じ女だ。スミレの思っているような関係じゃない」
それはそれは―――あ、なんかちょっとほっとしてる私がいるような。いや、別にセンセイに恋人のひとりぐらい居ても不思議じゃない。見た目はキレイだし、おっぱいは大きいし、おっぱいは大きいし。いいこと尽くめ。世の中の男子連中はどうしてこんなステキなひとを放っておくのでしょうか! ……んー、高嶺の花のように感じるから? それとも、単に近づきがたい印象があるとか? どれも私にはピンとこない。あ、でも最初の高嶺の花ってヤツは少し頷ける気がする。
そうやって、私がセンセイの見た目などを精査していると、センセイはふと、にやり、と笑う。今までの微笑を辞めて、意地悪い表情に変わった。そのあと、また正面を見て、なにかを呟いていた。
「……まぁ、大切な相手といえば……ウソになるな、今宵の相手は」
―――その内容を、私はあまり上手く聞き取れなかった。ただ、センセイの表情は、また楽しそうな微笑に戻った。
―――………………。
ばたん。
車の扉を閉める。携帯電話の時計を眺めると、時間は二〇時一〇分前。うっへぇ、随分と長いドライブだったよ。若干腰に違和感が……
とはいえ、センセイはその上、運転もしていたワケなので、寧ろ体を労わるべきは私ではなくて、センセイのほうなんだけどなぁ。
「センセイ、腰痛くないんです?」
「ん? まぁいつものことだからな。別段痛いとは思わないな。馬じゃあるまいし」
馬とか乗ったことないんで、ぶっちゃけ解らないです。
行くぞ、と促されて、私はセンセイの後ろについていく。見上げたホテルは、うっひゃあ、と思うぐらい高くて、凄く高級そうに見えた。え、これ一泊するのに幾ら掛かるんだろう。私気になるわ。こんなホテルとか一度でもいいから泊まってみたいよねぇ、できれば一番良い部屋で。とんでもない値段になることは解りきっているんだけど。そもそも、ホテルっていう建造物自体そんなに頻繁に訪れるものでもないし、一般家庭に生まれ育った私にしてみれば、どうにも遠い存在に思えるよ。……別のホテルなら、行ったことあるんだけどなぁ、奈々ちゃんと。
ホテルの入口の自動扉の巨大さは、ホテルの大きさに左右されるのではないのだろうかと思うぐらい大きかった。ぅいーーーーーーーーん、とお馴染みの音を立てて開くそれをくぐって中に入ると、ぴしっ、と黒スーツで決めたおじさんたちが「いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀。おお、角度がキレイ。
センセイは受付のほうに行ったみたいで、私には全然意味のないことだからその辺でぷらぷらする。なんか、結構ひと居るんだなぁ。と、そこまで考えてそういえば今日はクリスマスイブだってことを思い出す。そうでした、てへ。恋人たちの夜はこれから始まるって時間帯だもんねぇ。まぁ、私は過ごせないんですけど。
「スミレ。行くぞ」
促されて、私はセンセイのもとに急ぐ。ホテルのロビーを横切って、大きな廊下に来ると、そこにはいくつもエレベータが設置されている。おおー、凄い。高級ってカンジ。
「オマエの高級の価値観はどうなっているんだ」
エレベーターのボタンを押しながら、センセイはそう聞く。
「いやだなぁ。あとシャンデリアがあったりとか、バイキングがあったりとかですよー」
「それは大体のホテルには言えることだな。いやまぁ、ビジネスホテルとかにはさすがにないか……」
そんな話をしている間にエレベーターがたどり着く。最上階のボタンを押して……おお、二三もあったんだ……
ぽーーーーん、と軽快な音が鳴って、二三階にたどり着く。意味もなく、緊張してきた。どうしよう。センセイはスーツだし、ホテルだから色んな従業員さんもスーツだし。私だけ私服だったりしたらどうしよう。でで、でも、センセイは別に私服も大丈夫の場所って言ってたし、全然変じゃないよね? うん。
おーーん、と音を立てて扉が開くと、そこは赤い絨毯が敷かれたフロア。そして廊下の奥に大きな扉があって、そこから部屋の中には、外が見える巨大な窓が見える。わぁお。
「予約した中野川です」
「承っております。ご案内いたします」
「は、はひぃ」
思わず変な声が漏れる。ダメだ、こりゃ。
⇔
アルバイトが終わるのが、大体、二一時ちょっと前。なんとか今日一日を終えたわたしだけど……やっぱり気分は優れなかった。これであとは楽しい明日の一日を過ごすだけなのに、それすらも、どんよりと曇ってしまうぐらいには、わたしの心は沈んでいた。
仕事自体はこなせた。仕事仲間のひとたちは、わたしのことを少し気にしていたようだったけど、店長とかは全然気づいていなかった。ううん、もしかしたら気づいていたのかも知れないけど、なにも言わなかったのかもしれない。そう考えると、あぁ、今日はダメだったな。お客さんにも、解っちゃったかな……
沈んだ気分は、すぐにイライラに変わる。時間帯的に、まだあのふたりは食事をしているかもしれないし、もう終わってるかもしれない。ふたりきりの時間を過ごしているのかも知れないと考えると、わたしの心は曇り空を通り越して、暗黒へと変わる。
二四日。クリスマスイブ。恋人たちの特別な日の前日。もちろん、その前日と言っても、お構いナシに恋人たちは特別な雰囲気を楽しむ。この街も、そういったものとは程遠いこの街も、ちょっと浮かれた雰囲気。ここですらそうなんだから、当然、他の街では目に見えるぐらいだと思う。
このままイライラを抱えたまま家に帰って、布団のなかに入って寝てしまおう、というアイディアもある。けどそれは、気が進まなかった。疲れてはいるけど、眠くはなかった。お姉ちゃんが帰ってくるのを待たないといけない……けど、そんな気分でもなかった。
いま凄く、イライラしてる。お姉ちゃんの前に出れないぐらい。笑って、出迎えられないぐらい。駅まで歩いてきて、これからの行動に対して悩む。
「…………久しぶりに…………行こうかな」
呟く。お姉ちゃんも帰り遅いだろうし、この時間なら、ひとも居るだろうし。それにこのイライラを晴らすのには、丁度いいかもしれない。いい気分転換になると思う。もしかしたら、イライラが加速するかも知れないけど、それはそれでまた別のイライラであって、今抱えているソレとは違うベクトルのイライラ。うん、そうしよう。気分転換は、必要だと思う。
そうと決まったら、わたしは駅のホームへと急ぐ。時間帯と云うこともあって、ひとの数は多いけど、心なしかまだ少ないように思えた。クリスマスイブで、街に出て食事とか、甘いひと時を過ごしているひとたちが居るから、まだまだ帰るには早いってところなのかな。それとも、もう早く家に帰ってしまっていて、大切な時間を過ごしているのかもしれない。
電車は先に進むごとにひとの乗り降りが激しくなっていく。多くの人間が降りていくと、また同じぐらい多くの人間が乗り込んでくる。それの繰り返し。ただ、乗換えとかできる線路が多い場所だと、降りる人間と、乗る人間の比率が変わることもある。その内容は、まぁ、正直時間次第ってところ。仕事帰り、学校帰りの一般的な帰宅ラッシュの時間は過ぎていて、頻度は降りる人間が少数、乗る人間が多くなってきている。わたしのいま乗っている電車が走る線路は、中心地域のほうに向かうのが多くて、つまり一般的に認知されている「都会」と呼ばれるほうに向かっている。で、そこからまた乗り換えて、ベットタウンのほうへ、って言ったところ。もちろん、わたしもそれは例外じゃない。
電車に乗って三〇分ぐらいで、わたしは乗り換える駅につく。いつもなら、ここから電車を乗り換えて、また一時間ぐらい揺られて住んでいる街に戻る。だけど今日は、違う。この駅で一旦降りて、街に出る。
街はゴチャゴチャしている。それもそのはず。それはクリスマスイブだからっていう理由じゃなくて、この街はいつもゴチャゴチャしてるから。よく、この街の駅は迷路だとかなんとか言われてるけど、ひとだかりができていると、迷路よりも人間を溜め込んでいる留置所っていうカンジがする。
お姉ちゃんとはたまにくる。いつもは、住んでいる街の駅前とかで済んじゃうから、こんなところまで態々電車で一時間ぐらいかけてこようとは思わない。けど、本当にたまに、大きな街に行って買い物に行きたいってときにはここにくる。あー、でもこの隣の街とかのほうが行くかもしれない。うん。
〝……お姉ちゃんといまみたいになるまでは、ずっと、この街にいたな……〟
昔のことを思い出す。昔と言っても、まだ二年も経ってない。この街で過ごした日々は決して良い思い出、ってワケじゃない。けど、それがなかったら、わたしとお姉ちゃんはいまみたいな関係にはならなかったのかも知れないと思うと、あぁちょっとは思い入れあるのかもしれない。
超巨大電気屋の横を抜けて、繁華街のほうに向かう。多くの客引きとか、酔っ払ったひとたちで溢れている。このなかにも巨大家電量販店は点在していて、この国の中心街にはこういう店が多いんだなぁ、と思わせる。
そんな店に挟まれて―――その小さな店は存在している。
暗闇の店内。電気と呼べるものは点いていない。けど、この店が暗いことはない。明かりは、その店のなかに設置されている巨大な『筐体』たちによって明るく照らされているのだから。