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嫌いではなかったのかもしれない

作者: 木場アサト

「あ、もしもし? お爺ちゃんが亡くなったから、こっちに帰ってきなさい」

「……そっか、分かった。そっち着くのは多分夜遅くになると思う。うん、うん、はい、じゃあまた後で」


 帰宅しようとしたときにかかってきた、ほんの一分にも満たない通話時間を知らせる画面を閉じた。

 祖父が亡くなったと聞いて、悲しさはない。驚きすらもない。そろそろかもしれないと思っていたからか。

 愛車に乗り、明日は仕事を休まなければと考えた時が一番心がさざめいた瞬間だった。


 祖父のことは好きではなかった。

 小学校低学年の頃は優しく頼れる祖父だったように記憶している。実家の近くにある畑まで、よく祖父の漕ぐ自転車の後ろ、あるいはリヤカーに乗って行っていた。五つ年下の妹も一緒に、三人で畑仕事をしていた。

 中学生になった頃だったろうか、祖父がボケ始めたのは。こっちの言うことも聞かずに我儘ばかり言い、同じことを繰り返す。

「今日は何曜日だ?」と答えた数分後にもう一度同じことを聞かれたとき、ああ、これがボケている人間かと何故か笑いたくなった。

 だんだんと運動をしなくなり、体重は増え、鈍重な体では歩くことすら儘ならなくなった。家の廊下には手すりがつけられ、歩行器を使って歩く祖父を見るようになった。その頃高校生だった俺は、もはや愚鈍な祖父には興味がなくなっていた。祖母と母が必死に介護している姿を痛々しいと思ってはいたが。

 妹が苛立った様子で祖父を叱りつけているのを見て、関わるなと言ったことがある。実際、俺は何もしなかった。


 高校を卒業した後は実家を出て独り暮らしを始めた。通学するのにその方が便利だからというのが第一だが、毎日のように聞こえてくる祖母の泣きそうな声を聞きたくなかったのもある。甲高い声が耳障りだった。

 独り暮らしを始めたその年の冬、祖父が入院した。転んだときに脳から出血し、それが脳を圧迫していたらしい。手術は成功したが、その後しばらく退院できなかった。リハビリが思うように進まなかったからだ。また、暴れて看護師を困らせてもいたらしい。なまじ体が大きいから止めるのも一苦労で、仕方なくバンドでベッドに拘束していたとも聞いた。

 見舞いには一度も行かなかった。


 就職が決まった後、実家に帰って祝いをした。実家に行くのは独り暮らしを始めて以来だった。

 祖父はベッドに寝たきりになっていた。運動は相変わらずしていなかったが、食べる量も減ったからか少し痩せているように思えた。そもそも祖父のことをあまり見ていなかったので、単なる気のせいだったのかもしれないが。

 祖母と母は相変わらず甲斐甲斐しく介護をしていたが、妹は何もしていなかった。いつかの自分を見ているようで、何だか妙な気分になった。

 俺は少しだけ手伝った。ベッドから落ちた祖父を引っ張りあげる、それだけの仕事。「久しぶりなんだから」「貴重な男手なんだから」と言われたら、断る理由はなかった。

 最後に触れたのがいつなのか覚えていないほど久方ぶりに祖父に触れた。しわくちゃの肌はひやりと冷たかった。俺は何も言わずに黙々と手伝った。


 自宅のアパートに一度戻って着替えやら必要なものを用意しつつ、祖父との思い出を振り返る。まともな思い出が幼少期しかないことを残念に思うでもなく、淡々と作業を進める。あらかた終わったところで時計を見ると、実家に着くのは日付が変わる頃になるだろうと予想できた。母にそれを伝えるメールをしてから、鞄を片手にアパートの扉を開けた。

 夜の道を車で走ること数時間、予想通りの時間に目的地に着いた。田舎のため、人や車は既にない。数年ぶりでも変わらない、寧ろ過疎化が進んでいるその光景を視界に捉えながら実家のチャイムを鳴らした。


「おかえり。久しぶり、兄ちゃん」

「ただいま」


 出迎えてくれたのは妹だった。記憶にある少女の姿ではなく、既に成人した女性の姿になっている。顔立ちや雰囲気はあまり変わっていない。

 靴を脱ぎながら妹に問う。


「母さん達は?」

「お母さんはじいちゃんとばあちゃんの部屋。お父さんはもう寝てる。お母さん達のとこ行っといで」

「ああ、うん」


 玄関からすぐのところにある扉を開け、母の姿を見つける。その側には祖母の姿もあった。二人とも疲れたような様子だ。


「ただいま」

「ああ……お帰り。元気にしてた?」

「うん」

「まったく、こんな時にしか帰ってこないなんて……」


 母は暖かく、祖母は愚痴っぽく出迎えてくれた。妹同様にこの二人も変わっていないようだった。かくいう俺自身も変わったなどとは思っていない。


「明日は忙しくなるから今日はもう寝なさい。あんたの部屋はそのままにしてあるから」

「二人も寝なよ。疲れたろ?」


 そう言うと母は首を捻り、祖母はわざとらしくあくびをして目を擦った。


「……そうねぇ、そうしようかな。おばあちゃんは」

「そうさせてもらうね。もうさっきから眠くて眠くて……」

「はいはい。じゃあおやすみ」


 祖母は年をとって愚痴っぽくなった。もはや癖のように飛び出すそれに付き合う人はいない。母がさらりと流して腰を浮かせた。構ってほしくてあんなことを言うのだろうな、とは分かっているが、相手をするつもりはなかった。見苦しいと思うばかりだ。部屋を出る前にちらりと見た祖母の背中は、ますます小さくなったようだった。

 寝ると言ったが、なんとなく二階の寝室ではなくリビングに足を向ける。そこでは妹が定位置で携帯を弄っていた。

 椅子に座って行儀悪くヒーターの上に足を乗せている、数年前と変わっていないその姿に、俺の家族は変化がないなと何となく思った。


「寝ないの、二人とも」


 妹が自分のことを棚にあげて言ってきた。寝るよ、と返事をしてから妹に問い返す。


「お前は?」

「寝ない」


 即答だった。祖父が死んで眠れないとかいう可愛らしい理由ではないことは、携帯から目を話さずに答えるその姿から明白だった。


「早く寝たら? おやすみ」

「あんたも寝なさい」

「あー、うん。はいはい」


 生返事を返す妹に呆れたようにしてから、母さんは二階へ上がっていった。

 俺は何となくその場に残り、テレビの電源を着けた。


「……兄ちゃん、寝ないの」

「寝るけど、もうちょい」

「ふーん」


 特に興味をひかれるものはやっていなかったが、寝る気にもなれなかったのでそのままテレビの画面を眺めた。

 妹は今、何歳だったろうか。五つ下だから、二十一か。俺は妹が大学生なのか、それとも既に就職しているのか、それすらも知らないことに今気付いた。

 なあ、と出した声が掠れる。


「今、何やってんの?」

「ゲーム」

「そうじゃなくて、大学とか、仕事とか」

「あ、そっち? ピチピチの大学生ですが、何か?」


 茶化すように妹は言う。外面は真面目で大人しい優等生なのに、家の中ではよくふざけた発言をする。奇妙な妹だった。


「どこ? 家から通ってんの?」

「J市の教育大学。車で家から」

「……へえ」


 教育。妹がそういうのに興味があるとは知らなかった。


「なに、将来は教師?」

「いーや。心理学やってんの、今」

「心理学?」

「カウンセラーになれたらいいなー、みたいな。ばあちゃんとお母さん見てて辛かったから、介護疲れしてる人の助けになれるかなー、みたいな」


 まあなれなかったらニートになるだけなんだけど、と冗談なのか本気なのか分からない声音で続ける。

 妹が明確な目標を持って生きている。小さな子供だと思っていたこいつが、前を見据えている。立派だな、と単純に思った。

 それなら、俺は? 今の仕事に就いたのは何故だっただろうか。俺にはそんな目標が、目的があっただろうか。


「……兄ちゃんは何でその仕事にしたの?」

「え」

「なんかいつの間にかいなくなってて、いつの間にか就職してたから知らないんだけど。いい機会だから教えろよ」

「……俺は」


 俺は、何だろう。


「……なんとなく」

「は?」

「なんか、気がついたらそうなってた?」

「……無意識?」

「うん、そうそう」

「……はっ」


 鼻で笑われた。馬鹿にされていると一瞬で分かる。

 怒りはこみ上げてこなかった。


「バーカ、じいちゃんの影響なんじゃないの?」


 そうかもしれない、と素直に思った。今まで何も考えずにいたが、その可能性は多分にある。


「介護士の仕事、頑張ってるんでしょ?」


 ああ、とだけ返事をした。


3333文字。

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