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ウサギのテレビ

海外アニメが好きで書いた作品です。同じ趣味の方なら楽しんでいただけます。

    第一話 ウサギのテレビ


「テレビの前のみんな~~! 『イングリッシュ・ショータイム』はじまるよ~~!」

 日曜の午後五時。全国のちびっこたちはテレビにくぎ付けになっていた。

 ポップな音楽と共にひょっこりと顔を出したのは、栗色のお団子頭が良く似合う女の子だ。テロップには『あるみ』と名前が表示された。

 彼女はスカートを翻しながら画面へ向かって手を振った。その明るい笑顔はどんなにふくれっ面をした子供でさえつられてニコニコになる。いや、あまりの可愛さに大人だって魅了されてしまうだろう。 

「さあ、楽しく覚える英語講座番組『イングリッシュ・ショータイム』が今日も始まったよ。どんな英単語が出てくるかワクワクするね! あるみたちと一緒に英語を学ぼう!」

 視聴者に向かってあるみがウィンクをすると、黒いウサギがスタジオ内を駆け回った。

「あるみ! あるみってば! おもしろい玩具を買ったぜ」

「あれれ? ビリー、どうしたの?」

 あるみの周囲を走り回るのは、この番組のマスコットキャラクターである黒ウサギのビリーブラックだった。背丈は小柄なあるみのさらに半分ほどで、上弦の月のような鋭い眼つきと真っ赤な蝶ネクタイが特徴的だ。

 二足歩行の彼は、手の代わりに両の前足で球体の機械を抱えていた。

「懐かしい! それって星座占い機だよね。コインを入れて、自分の星座のレバーを引くとおみくじが出てくるんだ。それどうしたの?」

「喫茶店のテーブルに置いてあったからかっぱらってきたぜ。さっそくこれを使って遊んでみようぜ。というわけで百円くれよあるみ」

「も~~しょうがないなー。はい」

 あるみが百円玉を渡すと、ビリーブラックは嬉しそうに占い機に投入し、ルーレットを回した。するとカプセルに入ったおみくじが出てくる。それを開いてみたウサギだったが、彼の顔は曇ってしまう。

「おい、これなんて書いてあるんだ?」

「あれ? 英語だ。外国から輸入した機械みたいだね。それにしてもなんて読むんだろう。どういう意味なんだろう」

 おみくじには『Danger Overhead』と書かれている。まだまだ勉強不足の二人は意味がわからない。

「まあ、なんて書いてあってもどうでもいいけどな。俺様は占いなんて信じないし」

 ビリーブラックがそう言った直後――空から椅子が降ってきた。

「あぶない!」

 ギリギリセーフ! 椅子は黒ウサギの鼻をかすめ、地面に叩きつけられバラバラになった。もしもあと一歩でも進んでいたら頭に直撃していただろう。ビリーブラックはぞっと身を震わせながらも肩をすくめる。

「まったく、最近天気が不安定とはいえ、椅子が降ってくるなんてどんな天気予報でも言ってなかったぜ。クソのような世の中だ」

 ウサギは蝶ネクタイを正しながら、空を見上げる。

 次に降ってきたのはテーブルだった。

 落ちてきたテーブルは今度こそビリーブラックの頭に直撃し、彼は大きなタンコブを作って倒れてしまう。痛む頭を押さえながらウサギは怒りのあまり目を吊り上げ、天に向かって中指を突き立てる。

「おい、さっきから落し物しているクソマヌケはお前か!」

 ビリーブラックが頭上を見上げると、一羽のアホウドリが空を飛んでいた。ブービーという名前のそのキャラクターは、どんくさそうなトロンとした目をウサギに向け、イライラするほどゆっくりとした口調で言った。

「ごめんよぉ。引っ越しのお手伝いをしてたんだよぉ。わざとじゃないんだ」

「引っ越しの手伝いだって? おい、ちょっと待て。お前が今運んでいるのはなんだ?」

 ビリーブラックがぎょっとしたのも無理はない。今ブービーが足で掴んでいるのは大きなオルガンだからである。

 もし次にこんなものを落とされたら痛いではすまない。

「ブービー! 絶対にそのクソオルガンを落とすなよ、落とすなって!」

「え? なぁにぃ? あっ、小鳥さんこんにちは」

 空を飛ぶ小鳥に気をとられ、ブービーはポロリとオルガンから鉤爪を放してしまう。椅子やテーブルなんて比較にならないほど大きく重たいオルガンは、ビリーブラックの上に真っ逆さまに落下し、激しい衝突音と鍵盤の音を響かせてぶっ壊れてしまった。

「えっと『Danger Overhead』の読み方は『デンジャー・オーバーヘッド』。意味は『頭上注意』だって。すごい! 占い当たってたね」

 あるみはいつも持ち歩いている英語辞書をめくっておみくじの意味を調べ、オルガンに潰されてペラペラになったウサギは「それもっと早く調べてくれよ」と突っ込んだ。

「テレビの前のみんなも新しい英語を覚えられてよかったね、ポイントはここ『Danger』! 危険って意味だよ!」

「みんなも外を歩くときは頭上に気を付けようぜ」

「それじゃあ今日はここまで、バイバーイ!」

 ――おしまい。

 

      ☆


「カッ~~~~~~~~~~~~~~~~~ト!」

 番組の終わりを報せる監督の声がスタジオ内に轟いた。その直後、緊張から解放された木崎あるみは大きく深呼吸し、スタッフや共演者のみんなに頭を下げる。

「みなさんおつかれさまでしたー!」

 今日の放送も無事に終わってよかった。あるみは放送中と変わらぬ笑顔で挨拶を済まし、お茶を一杯頂いた。

 児童向けの教育番組。コメディドラマを交えて英語を学ぶ『イングリッシュ・ショータイム』はわずか十分の放送であるが、いくら毎週やっているとはいえ生放送のためどうしても緊張してしまう。

(でもやっぱりテレビのお仕事は楽しいな)

 子役の仕事に満足しているあるみだったが、どうやら共演者の方はそうではないらしい。

「おい、なんなんだよ今日の内容は。いったい誰がこんなクソ脚本を書いたんだ!」

 ペラペラになった体にポンプで空気を入れて戻し、ビリーブラックはカンカンに怒りながら抗議の声を上げている。

(ああ、また始まった)

 この黒ウサギはいつも怒っている。毎回放送が終わるたびに怒りを爆発させている。特に今日のキレようは激しかった。

「何度も何度も俺の頭に物を落としやがって。しまいにはオルガンだ? 俺様を殺す気かよ!」

「まあまあ、ビリー。落ち着いてよ。ほら、スマホで今回の放送の感想を見てみたけど、好評だったみたいだよ?」

「そんなこと知ったことかよ。ここ最近毎回毎回俺様が酷い目に遭う脚本ばかりじゃねーか。訴えてやる! で、誰が脚本書いた? お前か? それともお前か? もしかしてお前か!?」

 ビリーブラックはウサギらしくぴょんぴょんと跳ね回り、近くにいたスタッフたちに掴みかかる。最後には監督のヒゲをつかんで詰め寄った。

「教えろ監督! ことと次第によっちゃな――」

「ぎゃーぎゃーわめてるんじゃねーぞ黒ウサギ」

 ウサギによって騒然としていたスタジオは、渋くドスのきいた声によって静まり返る。声の主はアホウドリのブービーだった。彼は近くの椅子に座って葉巻を口ばしに咥えてスタッフに火をつけさせている。

 ビリーブラックを睨み付けるブービーの眼光は番組内とは異なり、あるみでさえ硬直してしまうほどの威圧感があった。

「おいアホウドリ、今なんつった?」

「そんな長い耳の癖に聞こえなかったのか? やかましいって言ったんだよウサちゃん」

 口から吐き出した葉巻の煙をビリーブラックに吹きつけ、ブービーはふんぞり返る。その態度にカチンときたウサギは彼にも詰め寄った。

「おいおいブービーさんよ。あんたがベテランコメディアンだってのは知ってるけどよ、この番組の主役は俺だぜ? 番組に意見するのは当然だろ?」

「なら教えてやる。今回の脚本に意見を出したのはオレだ。お前のようなムカツク奴はああいう痛い目に遭うのが一番笑えるからな」

「なんだとこの野郎! お前になんの権限があるんだ!」

「権限? あるに決まってんだろ。次回からこの『イングリッシュ・ショータイム』の主役はオレが務めるんだからな」

 ブービーは椅子から立ち上がって小さなウサギを圧倒しながら言った。

 アホウドリの言葉に、ビリーブラック、そしてあるみも言葉を失う。いったい何の冗談だろう。でもブービーが番組内以外でジョークを飛ばしたことがない堅物だとは長い付き合いで知っている。あるみは愕然とした。

「ちょ、ちょっとブービー君。それはまだ黙っていてくれと言ったろ」慌てて老齢の監督がひそひそと声をかける。

「悪いな監督。けど早めにこいつを夢から覚ましてやるのが人情ってもんでしょうよ」

「おいどういう意味だよそれ!」

「ブービーさん、監督さん、どういうことなんですか?」

「そのままの意味だ。お前は降板だビリーブラック。あるみちゃんのスマホでネットの意見を見て見ろよ。『あのウサギうざい』『ビリー生意気』『ビリーってやつ口汚い』 『教育に悪いし辞めさせろ』って感想が並んでるだろ? だがお前が嫌われるのに比例してこのオレの人気は上がってる。グッズだって今じゃお前よりもたくさん出てるからな」

 ブービーの言葉にあるみはドキリとする。スマホでよく番組の感想を見ているあるみは心当りがあった。確かに番組自体は好評であるが、ビリーブラックに対する批判は強くなっている。

 そしてドジで間の抜けたブービーという癒しキャラに人気が集中していた。

「く……俺をクビにするって本当かよ。だったらもうヤケクソだ。お前をボコボコにしてテレビに出られなくしてやるぜ! オラオラ!」

 降板宣言にブチ切れたビリーブラックは、ボクサーのように拳を突きだしてブービーに殴りかかる。だが大きな腹を持つアホウドリをいくら殴ろうともびくともせず、ウサギの長い両耳を掴み上げられてしまう。

「残念だったな。腕っぷしでもオレは負けねえよ。あばよ元主役!」

 グルグルと腕を回したブービーは、ガツンっと全力でビリーブラックの顔面を殴りつけ、スタジオの出口まで吹き飛ばした。

 それからビリーブラックがスタジオに戻ってくることはなかった。

(本当にビリーはクビなの?)

『イングリッシュ・ショータイム』は五年も続いている人気番組だ。五年もの間ビリーブラックと共演していたあるみにとってあのウサギは一番仲良しの友達とも言えた。いくら性格が悪くてダメダメで短気でも。

「監督さん、あんな風にビリーを追い出すなんて酷いですよ! ビリーが相棒じゃないとあるみも番組に出たくありません!」

 勇気を振り絞ってあるみは精一杯の抗議を訴えた。長年の相方を失うなんて耐えられない。プロとして現実を受け入れなければならないだろう、だけどこれはあまりにあんまりだ。五年の間番組を支えてきたのは間違いなくビリーブラックなのだから。

「はっ! 番組に出たくないならかまわんよ。というかきみもビリーと一緒に降板してもらうつもりだったんだ」

「ほえ?」ブービーの言葉にあるみは思わず目を丸くしてしまう。

「きみももう高校生だろう? いくら平均的女子高生よりも成長が芳しいと言っても十歳児の役を未だにこなすのは無理があると思わんかね?」

「ううううううう」

 痛い所をつかれてあるみは涙目になった。背が伸びず、胸も成長しないロリ体型なのがコンプレックスなのである。

「そこで! 主役をオレに変えるにあたって相方の女の子も新しくすることにしたのだよ。ほら、この子が新しい『英語のお姉さん』のキャシィだ」

 そう言ってブービーが紹介したのは、胸が大きくスタイルもいい金髪のアメリカ人女性だった。アホウドリは女性の腰に手を回して抱き寄せている。

「うわ~~~~~~~~~~~~~~ん! そんなのに勝てるわけないよー!」

 どうせ自分はまったく胸の無い寸胴です! あるみは泣きながらスタジオから逃げ出したのだった。


     ☆


 五年間の楽しかった思い出が蘇る。

 ビリーブラックと番組中にスケートをしたこと。一緒にお料理したこと。大冒険に出掛けたこと。色んな英語を覚えたこと。たくさん貰ったファンレター。様々なことを思い出し、あるみは暗くなった住宅街を歩いていく。

 もうビリーとは会えないのかな。そう思うと涙が滲んだ。

「あれ?」

 重い足取りで自宅の前までやってきて、あるみは首を傾げる。鹿島浦市の住宅街に建つ二階建ての一軒家があるみの家である。その家の窓から明かりが漏れていた。

(あっ、もうママが帰ってきたのかな)

 ママに番組をクビになったことを話さないといけないと思うと、ちょっと気が重い。けど帰らないわけにはいかないし、あるみはドアを開けて家の中に入った。

「た、ただいま~~」

「よう、お帰りあるみ。遅かったな」

 家に入って真っ先に目に入ったのは、リビングでくつろぐ黒ウサギの姿だった。

 ソファの上にふんぞり返り、テレビを見ながら大笑いしている。しかも冷蔵庫のものを勝手に食べたのか、あちこちにお菓子のゴミが散乱していた。

 あまりの光景にあるみは手に持っていたバッグを落としてしまう。

「ビリー! どうしてあるみの家にいるの!?」

「なんでって……しかたないだろ、他に行くところないんだから。俺の住処はあのテレビ局だったからよ、出ていった以上戻るわけにもいかねーし。そういうわけでしばらくの間やっかいになるぜ」

「けど、でも――」

「あら、おかえりなさいあるみ。もう晩ご飯の準備はできてるわよ」とリビングに入ってきたのはママだった。若くてスタイルのいいママは、焼きたてのステーキをテーブルの上に運んだ。「はいどうぞビリーちゃん。遠慮なく食べてね」

「わお、美味そうだぜ! ママさんの手料理が食べられるなんて最高だ! 人生で最悪に最低の日だけど」

 ビリーブラックはフォークを突き立てて一口でステーキを平らげる。ママが言わなくても遠慮なんてこのウサギがするわけがないことをあるみは知っていた。

「ねえ、ママはいいの? ビリーが家にいて」

「あらいいじゃない。この家はあたしたち二人じゃ広すぎるもの、騒がしくなっていいわ。それに今ウサギをペットで飼うのが流行ってるんだから。でも聞いたわよ、ビリーちゃんもあるみも『イングリッシュ・ショータイム』を降ろされたんですってね」

 どうやらさっそくママはビリーブラックから事情を聴かされているようで、あるみは力なく頷いた。そんな彼女をママは優しく抱きしめる。

「残念だったわね。でもいいじゃない。これで学校にも専念できるし。それにほら、ママはちょっと心配だったのよ、芸能界とか大変そうだしね」

「ママ……」

 そう言ってくれると少しは気が紛れる。優しいママを持ってあるみは幸せだ。

「それにいつまで経っても教育番組しか仕事がないなんて、きっと才能無いわよ」

「ひどいママ!」

 これでも一所懸命がんばったんだから!

「さあさあ、嫌なことは忘れてあなたも晩ご飯を食べなさい」

「……はーい」

 あるみはビリーブラックの向かい側に座り、ステーキを頬張った。美味しい。やっぱり気分が落ち込んでいるときは美味しい物を食べるに限る。

「まったく、あのアホウドリはほんとに腹立つぜ。むしろ今回の一件であいつから離れられてラッキーってなもんだ。あんな牛の下痢便のような連中が集まったところなんかこっちから願い下げだね」

「ちょっと、ご飯食べてるときに下品なこと言わないで! でもよかった、ビリーってばあんまり落ち込んでないね。せっかくのお仕事がなくなっちゃってもっとショック受けてると思ったよ」

 このウサギの性格上、哀しみよりも怒りの方が先に来ているのかもしれない。怒っている間は元気だし、その方が泣いているよりいいかも。少なくとも彼は自分よりはめそめそしていない。あるみはそう思ったが、ビリーブラックは番組を降ろされた現実を思い出したのか、涙をポロポロ流しながら項垂れた。

「ううう……アメリカから日本に来てようやく見つけた天職だったのに。子供たちに笑顔を届ける最高のコメディスターを目指していたのに……」

 弱音を吐くウサギを、あるみは愛おしそうに見つめる。

(やっぱりビリーもほんとは悲しかったんだね)

 強がって暴言を吐いていても、ほんとに辛いのは自分よりも彼の方だろう。あるみは優しくビリーブラックの頭を撫でてやった。

「次のお仕事が見つかるまで家にいていいからね。一緒に頑張ろう!」

「おう、ありがとう。持つべきものは大親友だ」

 こうして大人しくしていると、やっぱりウサギだけあってかビリーブラックはとても可愛らしい。彼といれば辛い気持ちも少しは半分個ずつできるだろう。あるみはそう思って彼をペットとして木崎家に迎え入れた。


     ☆


 その日の晩、泣きつかれたあるみはベッドに横になると深い眠りに落ちてしまった。

 あるみの部屋の天井裏からみしりと音がした。ビリーブラックである。

 彼はペットとして居候するにあたって、あるみの部屋にある屋根裏部屋を貸してもらった。まだ眠りについていなかったウサギは、梯子を伝い、足音を立てないようにあるみの部屋へと着地する。その黒い体毛は闇夜に溶け込んでいた。

(まったく、マヌケな顔で寝てるな。俺は怒りのあまり一睡もできそうにないぜ)

 ビリーブラックは涎を垂らして寝ているあるみの寝顔をバカにし、そのまま彼女の学習机の椅子に座った。机の上にはノートPC。電源を入れてインターネットを立ち上げると、ウサギは器用にキーボードを叩きながらとあるサイトにアクセスした。

 通販サイト『アリゾナ』。

『ネジ一本から中性子爆弾まで。なんでも売ってる素敵な通販サイト』とトップページに書かれていた。

 ビリーブラックは憤怒に燃える目を鋭く尖らせ、おぞましい笑みを浮かべる。

「ふふふふ! 今に見てろクソアホウドリ。俺は受けた屈辱に対して絶対に報復をする。これは戦争だ。クソッタレの戦争だ!」

 ウサギが商品をクリックすると『お届け予定日は来週の日曜日』と出た。

(ちょうどいい、来週の日曜日に決着をつけてやるぜ)

 可愛らしいウサギの指で、ビリーブラックは購入ボタンを押したのだった。


     ☆


 あっという間に一週間が過ぎ去った。

 これまであるみは『イングリッシュ・ショータイム』の台本や演技を覚えるために必死だったが、それももう必要なくなり、学校の勉強に集中できるようになった。

 クラスメイトとも放課後遊べるようになったし、いいことずくめだ。それでもやっぱり未練が残っているのか、『イングリッシュ・ショータイム』の収録日であり放送日でもある日曜日を迎えると、やはり憂鬱な気分になった。

「ふわーあ。もう早く起きる必用ないのにもう起きちゃったよ」

 習慣ってのは恐ろしいものだ。目覚まし時計をかけなくても、これまでと同じ早い時間に目が覚めてしまった。ベッドから起きたあるみは、パジャマからピンクのワンピースに着替えると、屋根裏部屋の入り口をトントンと叩いた。

「ビリー? 朝ごはん作るから起きなよー」

 だが返事はない。覗いてみると、屋根裏部屋の布団の上にウサギの姿はなかった。どうやら自分よりも早くに起きたらしい。

(やっぱりビリーもあるみと同じで早起きしちゃったんだね)

 一緒で嬉しいと思いながらあるみが階下へと降りていくと、何やら玄関先で物音がした。

「木崎さーん。お届けものでーす」

「待ってました! こっち持ってきてくれ」

 どうやら宅配便が来たらしい。業者さんが運んできたのは『アリゾナ』のロゴが入ったきなダンボール箱で、ずっしりと重そうである。

「ごくろさーん」サラサラとサインを書いたビリーブラックは、さっそくダンボールの梱包を解き始めた。

「『アリゾナ』で何を頼んだの?」

「スパイキットだ」

「ほえ?」

 スパイキット? とあるみが開封されたダンボールの中を覗き込むと、中にはぎっしりと特殊工作員、すなわちスパイが使用する道具が詰まっていた。

 盗聴器から始まり、マイクロカメラ、レーザー光線ペン、スニ―キングスーツ、ピッキングアイテム等々、スパイというよりもむしろ犯罪に使えそうなものばかりだった。

 ダンボールの中には領収書も一緒に入っており、それを見てあるみは愕然とする。

「じゅ、十万……ところでビリー、このお金って誰のクレジットカードから払ったの?」

「まあ金のことはいいじゃないか」

「よくないよ!」

 ママに怒られちゃう! 涙目になるあるみの肩を押さえつけ、ビリーブラックはダンボールから取り出した衣服を彼女に押し付けた。

「な、なにこれ?」

「変装グッズだ。いいか、お前はそれを着て俺についてこい」

「えええ!? スパイグッズなんか手に入れてどこに行くつもりなの?」

「決まってんだろ」とビリーブラックは中指を立てる。「あのゲロクソ塗れのテレビ局だ。準備は整った、今日報復を決行する!」

「ダメだよ復讐なんて! そんなことしても虚しいだけだよ!」

 やっぱりこのウサギは仕事を失ってもまったく変わっていなかった。この怒りっぽさ、しかも相手に一矢報いるまでけして恨みを忘れない粘着性……絶対に敵に回したくないタイプである。

「うるせえ、お前だってほんとは内心ムカツいてんだろ? 安心しろ、お前にはテレビ局内に侵入するためにちょっと手伝ってもらうだけだ。それでもダメか? 頼むよ、ほんと。おねがいおねがいおねがーい!」

 ウサギは上目使いであるみの顔を見上げ、キュートでつぶらな瞳で見つめる。ああ、こんな小動物らしい顔で懇願されたら断れない。

「わ、わかったよ。あるみがんばる!」とつい簡単に返事してしまったことを、あるみは後悔することになるのだった。


      ☆


「ほんとにこれで大丈夫かな?」

「しっ! 静かにしろ。大丈夫に決まってるだろ、『アリゾナ』製の変装道具なんだから」

 あるみは今、清掃員になりきっていた。スパイキットの一つの変装道具で、青色のツナギを着込み、頭にはタオル、そして様々な掃除道具の積まれた台車を引いている。

 ビリーブラックはその台車の中に隠れ潜んでいた。

(こんな形と言っても、またここに来ると思わなかったな)

 あるみは目の前の高層ビルを見上げる。このテレビ局の中ではたくさんの局員が働き、テレビスタッフ、俳優や芸人など多くの有名人が出入りしている。こんな夢のような場所に忍び込むのはとても気が引ける。

 ビリーブラックは景気づけにミルクを一ビン飲むと、ゴミ箱に捨てることなく正面玄関の真ん前に投げ捨てた。

「感傷に浸ってる場合じゃないぞ、さあ行け!」

「はーい」

 あるみはテレビ局の出入口までやってくると、ゲートを管理している警備員に声をかけた。警備員は多少怪しい目で見ていたが、清掃依頼を請けたから、と嘘を話すとすんなりと通してくれた。

(大丈夫かなこのテレビ局。こんなズサンな警備体制で)

 あまりに順調に事が運び過ぎて心配になる。しばらく迷路のようなテレビ局の廊下を歩いて行き、人通りがなくなったところでビリーブラックは台車から顔を出した。

「オーケー、もういいぜ。ここからはダクトに侵入して行動に移るからな。また帰るときに頼むぞ」

「えええ! もうあるみ先に帰りたいよ!」

「ダメだ。復讐は家に帰るまでが復讐だ。というわけでどっかそのへんでブラブラしてろよ、じゃあな!」

 ウサギはスパイキットのレーザー光線ペンで天井の通気口に穴を開け、ジャンプしてダクトに潜りこんだ。取り残されたあるみはこれからどうしようと、途方に暮れる。

(うううう。一人になったら急に不安になってきちゃった)

 もし自分のことを知っている人に会ったら一発でバレてしまう。そんなことになったら怒られるだけでは済まない気がする。

「ちょっとそこのあなた!」

「は、はい!」

 いきなり呼びつけられてあるみは飛び上がってしまう。振り返るとスーツ姿の中年女性が、鋭い目であるみを睨み付けていた。どうやらテレビ局員のようである。

「あなた……」

「な、なななななんですか?」

「あなた頼んでおいた清掃員の人ね。こんなところをウロついて迷子になってるのね。あなたに掃除して欲しい場所はこっちよ、ついてらっしゃい」

「あ、いや、その」戸惑っている間に女性局員に手を引っ張られ、あるみはとある部屋に連れてこられた。そこは広い板張りの部屋で、壁の一面は窓ガラスとなっており、グランドピアノが中心にでんっと置かれていた。

「ここってもしかして」

「そうよ、ここは『音楽であそぼう』のスタジオ。三時間後に収録があるから床と窓をピカピカにしておくこと、わかったわね」

 そう言って女性局員は出て行った。

「ここで『音楽であそぼう』を撮ってるんだー。あるみ、あの番組大好きなんだ!」

 あるみがここで子役をやりたいと思ったのも『音楽であそぼう』がきっかけだった。その番組は歌のお姉さんがピアノを演奏し、子供たちに音楽の楽しさを教える番組だ。あるみはその歌のお姉さんに憧れて、いつかあの役をやりたいと思っていた。

 もうその夢は叶えられることはない。こうしてこんな状況でこのスタジオにやってくることになるとは皮肉なものである。

「よーっし、せっかくだからお掃除をちゃんとやっていこう。これがあるみの出来る最後のお仕事だもんね」

 どうせビリーブラックが帰ってくるまで時間はあるのだ。あるみは窓ガラスから拭こうと雑巾を絞ったのだった。


     ☆


 ビリーブラックは事前入手したダクトの地図を参考にして、どんどん這い進んでいく。目指す場所はあの憎きアホウドリ、ブービーの楽屋である。

「ここだ、間違いない」

 通気口から下を覗くと、ブービーの楽屋内が見下ろせた。どうやらアホウドリは席を外しているらしい。今がチャンスだ。

 ビリーブラックは通気口の柵を外し、楽屋の中に飛び降りた。

「さーて、目当てのものはあるかな……あった!」

 楽屋を見渡し、テーブルの上に今回収録する『イングリッシュ・ショータイム』の台本が置かれているのを発見した。ビリーブラックはあのブービーがいつも収録直前に台本を読むタイプだと知っている。ならやることは一つだけだ。

「あいつは脚本に口を出して俺を笑いものにしたんだ。なら俺も同じ方法で復讐してやる」

 ビリーブラックはスパイキットの中から写植プリンターを取り出し、台本のフォントと同じものを選んで文字を打ち込んでいく。

「けけけけ、この俺様が考えた脚本の写植を台本の上に貼りつけてやる」

 脚本ビリーブラック。主演ブービー。最高のコメディ・ショーの開幕だ!


     ☆


「ブービーさーん。スタジオ入りお願いしまーす!」

「おうよ、今行く」

 トイレから楽屋に戻ってきたアホウドリのブービーは、台本にざっと目を通した。自分ぐらいのベテランとなれば台本を暗記するのに時間はかからない。ブービーは特に脚本に疑問を持つことなく、楽屋を離れて局内の第二スタジオへと移動した。

「あなたには言うまでもないでしょうが、今日も生放送だからミスのないようにお願いしますよ」

 監督にそう言われブービーは「任せろ、オレを誰だと思ってやがる」と返し、のっしのっしとセットの中心へと入っていった。既に新しい『英語のお姉さん』ことキャシイはスタンバイしており、きわどいミニスカート姿でアホウドリを迎える。

「やあキャシィ、今日も美人だねえ」

「あなたも素敵な羽毛よ」

「じゃあさっそく本番始めようか。さあ、監督。いつでもオーケーだ」

 役者モードに入ったブービーは、番組内でのキャラ付通り、鈍くさい雰囲気のとろんとした目つき、しまりのない口ばし、いかにもマヌケでアホな面を作り上げた。

「じゃあ本番入りまーす!」

 ADが指を三本立ててカウントダウンを始める。ワン。ツー。スリー。

「テレビの前のみんなー! 『イングリッシュ・ショータイム』はじまるヨー!」

 キャシィがカタコトの日本語で挨拶し、隣に立つブービーが視聴者に向かって手を振る。

「やぁ、みんなぁ。ぼくブービー。ぼくたちと一緒にたのしく英語を学ぼうねぇ」

「今日から番組をリニューアル! ねえブービー、みんなにワタシのこと紹介して!」

「うんわかったよぉ」あるみに代って新しい『英語のお姉さん』を子供たちに覚えさせるために、台本の台詞を思い出してブービーは言った。「このひとはキャシィ。とってもビッチなお姉さんだよぉ」

「――ワッツ!?」

 ブービーの言葉にスタジオ、そしてテレビの向こう側の茶の間が凍りついた。

 ビッチ――いきなり雌犬と罵られたキャシィは屈辱のあまり頬を紅潮させ、番組のことを忘れて英語で怒鳴り散らした。

「な、なんだよ。オレは英語わかんないんだ。いきなりそんなアドリブで話しかけられても困る」

 ひそひそと小声でキャシィにそう言い、なんとか白けたその場を取り繕う。キャシィはまだ怒っているようだったが、それでもプロとして番組を続けようとした。

「え、えっと。ブービー、今日は基本からおさらいしようか。英語で挨拶をするときはなんて言うんだった?」

「ファック・ユー(くたばれクソ野郎)!」

「ワッツ!」

 またもやいわれのない汚い罵りを受け、キャシィは激怒してブービーの口ばしに掴みかかった。

「おい、やめろって。台本通り進めるんだ」自分が何を言っているかわかっていないブービーは、なぜキャシィが怒っているのか分からずにそのまま台本通りに台詞を続けることにした。「キャシィ、キス・マイ・アス!(オレの尻を舐めろ)!」

「ガッデム! ユーアークレイジー!」

 キャシィは全力でブービーの顔を平手打ちし、倒れ込んだ彼を蹴り倒す。その様子を見てようやく監督はスタッフに呼びかけた。

「カットカット! おい放送を止めろ! こんなもの流せるか!」

「ですけどこれ生放送ですよ」とカメラマン。

「すぐに『しばらくお待ちください』を流せ!」

 児童向け教育番組で放送禁止用語のスラングを連発し、挙句の果てにマスコットキャラクターがボコられるなんて流せるわけがない。完全なる放送事故。スタッフはキャシィを止め、ブービーを助け起こした。

「おい、あの金髪女はどういうつもりなんだ!」

「どういうつもりはあんただよブービーさん! なんでキャシィに向かってあんな汚い言葉を使ったんだ。アドリブにしちゃ酷過ぎる!」

 監督に怒鳴られ、ブービーは混乱した。おかしい。そんなバカな。確かに自分は台本通りにやったはず……。

「ギャハハハハハ! アーハハハハハハハ! ヒヒヒヒヒ! 笑い過ぎて腹が痛いぜ。まったく、あんたはとんでもないコメディアンだな」

 スタジオ内に下品な笑い声が響き渡る。出入口で腹を抱えていた黒い影には見覚えがある。追い出したはずの元主役、黒ウサギのビリーブラックだった。

 彼を見た瞬間、ブービーはすべてを理解した。そして憎悪がマグマのように湧きあがり、抑えることもなく爆発した。

「ぶっ殺してやるぞアホウサギ!」

 このウサギが台本を書き換えたんだ。そして番組を放送事故にまで追い込んだ張本人。ブービーは両の羽を拳のように丸めて、ビリーブラックをボコボコにしてやろうと追いかけ始めた。


     ☆


「ふう、思ったよりも疲れるなー」

 あるみは言いつけられた通り、窓ガラスを吹いていた。だが壁一面のガラスともなれば面積も広く、小柄なあるみでは作業がはかどらず、上の方までは手も届かない。この部屋はビルの二十階にあり、窓ガラスから覗くと、遥か真下に正面玄関が見える。

(掃除ってこんなに過酷な仕事なんだ。いつもありがとう本物の掃除屋さん)

 感謝をしても疲れるものは疲れる。一旦ガラス拭きは休憩して、床吹きに専念しよう。モップ掛けならあるみにも出来る。

「よーっし、たくさん拭くぞー。あるみがんばる!」

 濡らしたモップを板張りの床に置き、隅から順に拭いていく。だが失敗だったのが掃除用具の入った台車を置きっぱなしにしていたことだった。

 モップを押しながら走っていたとき、その台車にモップが当たってしまったのである。

「あっ!」と声を上げたときには遅かった。

 台車に乗っていたワックスの缶が倒れ、しかも蓋がゆるかったのかドボドボと中身が流れ出てしまう。あっという間に床はワックス塗れ。

「どうしよう、どうしよう、もうメチャクチャだよ!」

 必死にモップで拭き取ろうとするも無意味だった。それどころかドンドン床一面に広がっていく。

「ううん。あの局員さんはピカピカにしろって言ってたんだもん。ワックスをかけるのは正解だよ。うん、大丈夫。収録までに渇くかはわからないけど……」

 あるみは持ち前のポジティブ精神で気持ちを切り替えた。よーっし、このまま一気にワックス掛けだ、と走り出す。

 しかしあるみは油断していた。ワックスの滑り易さを知らなかったのである。

「きゃあ!」

 足を一歩踏み出した瞬間、ツルリと滑ってしまい、前のめりに倒れ込んだ。なんとか顔面を強打するのを避けようと手を前に突きだすが、そのまま今度はついた手が滑り、あるみは一回転してドシーンと背中を打ってしまった。

「ううう……いたたた……うえーん、もうやだー!」

 あまりに散々だ。もう掃除はいいから今すぐここから出たい。泣きべそをかきながらあるみはこのスタジオを出ていこうと立ち上がろうとしたが、上手くいくわけがなかった。

「ふにゅうっ!」

 立つために踏ん張った足もまた滑り、しかも今度は自分のつまさきに清掃ズボンの裾をひっかけてしまう。小柄なあるみにサイズがあっていなかったのだろう、そのままあっけなくズボンはずれ下がり、水玉模様の下着に包まれた小さなお尻が丸見えになってしまった。周囲に人がいないのが幸いだった。

「うう、ズボンが。パンツが~~~~~~~!」

 あまりに惨めな姿に自分が情けなくなる。だが慌てれば慌てるほど上手くいかなくなる。焦ってズボンを穿き直そうと片足をあげてしまい、残った足が滑ったらもう転ぶしかない。あるみは後ろ向きに倒れてしまう――が今度は背中を床に打ち付けることはなかった。

 あるみの背後にあったグランドピアノが支えてくれたのである。

「ほっ、よかった」と安心したのも束の間。あるみが体重をかけたグランドピアノがなぜか動いたのである。「え? え?」

 ワックスのせいだった。ツルツルの床はグランドピアノさえも滑らせてしまい、そのままの勢いで前へと進み始めてしまう。

「ちょ、ダメ! ダメだってば!」

 あるみの言葉も虚しくピアノは疾走する。

 ピアノが向かう先にあるのは、一面の窓ガラスだった。


     ☆


 ビリーブラックの策はここまで完璧だった。

 唯一の失敗はブービーの前に顔を出したことである。笑いを我慢できなかったのがいけなかった。そのせいでブービーは完全に切れて我を忘れてしまっている。

(このままじゃぶっ殺される!)

 ウサギは持ち前の足の速さでテレビ局の中を走り回り逃走を開始した。背後からドシンドシンと音を立ててアホウドリが追いかけてくるのがわかる。

「逃げるな! その耳を千切り落として首を絞めてやる!」

「まじかよあのクソ鳥。怒りのあまり耳まで口が裂けてるぜ――あっ」

 逃げた先は行き止まりだった。ビリーブラックは右隣の扉を開けて飛び込む。そこはどうやらドラマの撮影スタジオらしく、大勢のスタッフと、セットの中で銃を構え合う俳優の姿があった。

「ちょっと通るぜ!」

 撮影の真っ最中、俳優たちの間をビリーブラックはすり抜ける。「なんだ!?」「バカヤロー」「ふざけんな!」と役者やスタッフの怒号が飛び交うが気にしていられない。

「おい、お前。そいつを貸せ」

 同じくドラマスタジオに飛び込んできたブービーは強盗犯役の俳優からライフルを強奪し、その銃口をウサギに向けた。

「おい、冗談だろ!?」

「ウサギ狩りのシーズンだ!」

 ブービーは容赦なくビリーブラックに向かって発砲する。弾丸がウサギの両耳の間をすり抜け、高額なカメラを破壊した。

「ずいぶんトサカにきてんな。丸頭のアホウドリの癖に」

「ぶっ殺してやるって言っただろ! 撃たれたくないなら止まれ!」

 次々放たれる凶弾を、ビリーブラックはくねくねと体を動かしながらなんとか避けていく。だが弾丸は近くの機材をぶっ壊し、カメラのクレーンが倒れ、悲鳴を上げて逃げ回るスタッフたちによって退路が断たれる。そのせいで逃げ足の遅くなったビリーブラックはブービーに距離を詰められてしまう。

 それでも必死に階段を駆け下り、出口までとにかく走る。そしてようやくビリーブラックは正面玄関を開けて外へと飛び出したのだった。

「ぎゃあ!」

 だが正面玄関に落ちていたミルクのビンを踏んづけてしまい、そのまま一回転してスっ転んでしまう。思い切り倒れたウサギの頭に銃口が付きつけられる。ビリーブラックは冷や汗をかきながら両手を上に上げた。

「年貢の納め時だ、間抜けウサギ」

「くそ、こんなところにビンさえなければ。まったくポイ捨てしたバカは誰だ!」

 当然、それはビリーブラック本人である。因果応報。自業自得。

「さあ立て、命乞いをしろ。謝罪しろ。そうすれば一発であの世に送ってやる」

「ぐうう。万事休すか」

 ブービーの眼は正気ではない。完全に自分を殺す気である――と、その時、唐突にガシャーン! という激しい音が空から聞こえてきた。ブービーは頭に血が上っているせいかまったく気づかずに、ライフルの引き金に指をかけている。

「デンジャー・オーバーヘッド!」

「は? 何言ってんだお前?」

「ブービー。あんたにあの番組は相応しくない。番組に対する愛が足りない」

「なんだと?」とブービーは血走った目を潜める。

「だってそうだろ? 『イングリッシュ・ショータイム』を愛していたなら多少の英語は理解できたはずだ。それなら俺が仕込んだ台本の違和感に気付いたはずだろ?」

「いまさらそんな言葉聞きたくないね。あの番組はオレのものになるはずだったんだ!」

「だったら先週覚えたデンジャー・オーバーヘッドって英語の意味がわかるよな?」

「あん? そんなのいちいち覚えてねえ! いいからくたばれ!」

「意味は――頭上注意だ!」

 直後、空からグランドピアノが降ってきた。

 ピアノは真っ逆さまにブービーに直撃し、壊れて弾けた鍵盤が奇しくもベートーヴェンの『運命』を奏で、哀れなアホウドリをぺしゃんこにしてしまった。

 ビル二十階から落ちたグランドピアノの下敷きになったブービーは、もう一言も発することはなく、ビリーブラックは命拾いしたことに安堵する。

「まったく、危ないところだったぜ。しかし空からピアノが降ってくるなんてどういうことだ。これは俺様の復讐に天が味方したに違いない。ありがとう神様――ぎゃあああ!」

 だが落ちてきたのはピアノだけではない。大量の割れたガラス片が豪雨のようにビリーブラックに降り注ぎ、彼に大怪我を負わせたのだった。これが神様の采配だというのなら、まさしく天罰と言えるだろう。

「うわーん、ビリー! もう帰ろうよー! とんでもないことしちゃったよー!」

 泣きながら正面玄関から出てきたのは何故かパンツ丸出しのあるみだった。彼女は瀕死のウサギを抱きかかえ、テレビ局から離れていく。

「どうしよう、顔見られちゃったかな。逮捕されちゃうかな」

「だいじょうぶだろ。みんなお前の顔よりもパンツに目に行ってるからな」とビリーブラックは血だらけになりながらもあるみのお尻に目をやった。ウサギだけではなく、通行人もみんなあるみの可愛いパンツに釘づけである。

「うわーん! もうお嫁にいけないよー!」

 こうして五年続いた人気の英語講座番組『イングリッシュ・ショータイム』は放送事故という伝説的な理由で打ち切りが決定したのだった。


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